日記

日々のあれこれ
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冬の毎日

2014年01月31日 | 日記

寒かったり、暖かかったり、毎日いろんなことをしているうちにあっという間に月末です。

先日のモチーフ。野菜は各自で山分け。私はオレンジを持ち帰る。

もう一つはこちら。スイトピーは島の農家から直接買ったとかで、とてもいい匂い。

私が今描いているのはこちら。月曜日までに仕上げるように言われたけど・・・

花はモチーフとは別に一束150円で売ってもらう。こちら二束。小説は読了。感想はいずれまた。

先日の見学会のあと、いろいろあって、結局これを貰った。ランチ券。観音の方が車で行きやすそう。

本日は織りの教室。お弁当持参。おにぎりは岡崎の八丁味噌を入れてこねくり回し、サラダ用の豆を付け足す。

これは昨日のテレビ番組、県民ショウのパクリ。なんでも山形県では餅に味噌、砂糖、豆などを入れて搗くそうで。濡れせんべいみたいな味だそうです。

これもよくこねくり回したらお餅みたいになって美味でした。皆様もお試しください。

皆さんが「一口ちょうだい」と言うので上げたら、おいしいと言ってもらえた。あの番組は最近見るようになったけど、面白い。

島原の「イギリス」、わが実家地方の「イギス豆腐」に似ているなあと思ったら、やっぱりそうでした。島原の乱の後、小豆島から次、三男などが移住したそうなので。島原素麺も小豆島素麺がルーツと聞きました。

食には意外な歴史があるものです。

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昔の写真を探すうちに

2014年01月31日 | 日記

以前の日記で、どうしても見たい写真を探すうち、とんでもないものに再会してしまった。8年くらい前かな。

今も付き合いのあるさる男性。大学対抗の何かの自動車レースで、事故車が道端にあるという設定で、他チームの注意をそらし、試合を自チームに優利にしようとする仕込み。

しかしながら、他チームの選手は目もくれず、自チームだけが「何なんだあ」と笑い転げて、不利になったというオチが付いたらしい。

こんなこと考えたのはあんたでしょうが。

この車のオーナーも結婚式に来てくださっていた。本当にありがとうございます。そして車関係の友達のテーブルだけが異様に盛り上がっていた。

昨年息子が建てた家のことで、税金関係の手紙を送ったら、「糊でくっついて開かない」と電話が。「水につけてみなさい」と言う会話をしたばかり。

お嫁さんがきれい好きで、いい加減な母親に育てられた息子はよく注意されるらしいけど、きれい好き結構。躾けなおしてもらいなさい。というか、Mちゃん、ごめんなさいね。いい加減な私で。

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脇町いろいろ

2014年01月30日 | 旅行

いまだ健在な琺瑯看板。白い和服姿は初期の透明な袋のボンカレーで、看板は超レアものらしい。

最近外されて居酒屋の外の飾りになっている看板が多く、こんな風に元の場所にあるのは稀。琺瑯看板の世界では、この看板、有名とのこと。

http://www.geocities.jp/kazetaro2002/matsuyamauouko.html

この人誰かって。松山容子さん、琴姫七変化は土曜日7:30からでしたっけ。お城を抜け出したお姫様が、馬にまたがり毎週事件を解決する・・・いかんなあ、思いっきり昔話でしたね。すみません。

ここです。右の、テントの支柱のところに。

こちら藍屋さん。

店先のスクモ。こんな字だとは知らなかった。


 

假屋崎省吾氏の作品まだまだ

花と着物のコラボレーション。振袖の中にあるのは菊、藤、梅、牡丹、菖蒲、そのほかいろいろ。手前と奥が融け合う。

花の上を鶴が飛ぶ。こんな衣装の花嫁さん、見てみたい。

松、桜のようなツツジのような花。


 

昔の映画館。今は内部の見学と、たまに催し物をするらしい。


脇町では二時間以上時間があって、ゆっくり見学しました。2時半頃ホテルに帰り、車で最寄駅まで送っていただきました。

30分に一度の電車です。

来ました。今から高松へ帰ります。

高松で。レトロな電車は現役らしい。90年近く前。素晴らしい。

そういえば三男の通っていた大学も、1910年建築の学生寮がいまだ健在。入学手続きで入寮の案内を見たとき、びっくりした。古いものには独特の味わいがあり、一瞬にして昔にタイムスリップ。

先日やってきた電車大好きの長男がそそられていた。

何だかだとありましたが、楽しい旅でした。皆様も機会を作って脇町をお訪ねください。落ち着いたいい町でした。

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早くも月末

2014年01月29日 | 日記

假屋崎省吾氏の花は豪快。細かな配置よりも、花の数の豪華さで目を引かれる。チューリップにカスミソウ、昔懐かしい花たち。春はそこまで。


いゃあ、この間年が明けたはずなのにもう月末。今月は例年の一月に増して忙しかった。

原因はひょんなことから水彩画を始めたこと。毎週一度、夜出かける。二時間では描くのに追われ、宿題になるが家ではしたくない。家でするとものすごく時間取りそうで。

あとは織りと器の絵付け、どちらも遠いので行くのも大変。

申告のための事務、お正月に遊び過ぎて全くやる気が起きず、一日伸ばし、でも何とか16日に完了、税理士さんに渡した。それ以後のは追って渡す予定。

泊まりがけの旅行二回、よりによって寒くて忙しい時に。18,19は愛知県岡崎へ、22,23は四国の温泉と街歩きに。

2日には息子たち全員が家族とともに我が家に集まり、とっても賑やかだった。26日には長男一家が再び来て、賑やかだった。

そして今日は税務署と市に提出の書類完成。それぞれ提出した。午後からは三月のホテルの予約。健康保険から年間3回補助があるので、近所の旅行会社へ出かけたけど印鑑忘れた。また出直すことになった。

最近、何かを探しに別の部屋へ行くと他のものが目に入り、何か考えているうちに元のことを忘れることが多い。つくづく歳とりましたね。それを防ぐため、「メガネ、メガネ、メガネ」と言いつつ移動する。いやあ、人には見せられませんね。

来月になると少し暖かくなって、時間も少し楽になるかなあ。と思いつつ、毎夜、寝るのは2時から3時。3時になるとさすがに寒い))))暑さも寒さも過ぎると体へのストレス。早く暖かくならないかなあ。

 

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うだつを生ける

2014年01月28日 | 旅行

先週母と見てきました。

https://www.awanavi.jp/docs/2013110500016/

画像がたくさんあります。ゆっくりご覧ください。

脇町は洋蘭の栽培の盛んなところです。

小さなコーナーにも花が

棕櫚を脱色しているらしい

枝はイヌビワ

百花繚乱

二階は明るい。仏手柑がアクセントに。

吉野川までが敷地だったらしい。南へ明るく開けた気持ちいい場所。

松柏がお正月らしい。後ろは菊の柄の打掛。

蘭と三椏

写実的な藤。匂ってくるような迫力。

こちらは花丸の柄。白地が上品。

蘭と金の竹

床の間いっぱいの花

大胆な縞柄の振袖

庭にも。お正月らしいアレンジ。

母。いつも、同居している弟一家のことをあれこれと。

娘に旅行連れて行ってもらって、なんでもっと楽しい話ができん?・・・と言いつつ、私も考えが固くなり、人の意見を聞かない傾向が出てきたので気を付けなければ。

「人は(お母さんは)本当にありがたいことに感謝していない。たまに何か人にしてもらう(娘が旅行に連れて行ってくれる)と嬉しいけど、本当にありがたいのは毎日の自分の暮らしを支えている当たり前のこと。若い人と一緒に健康に暮らせることに感謝しなさい」と言っても、全く聞く耳を持たない。

「うちへ来てもいいよ。だけど一緒には住まない。近くの家具付きアパート借りてあげる」と言ったけど、それに比べたら今の暮らしがずっとまし。それに気が付くといいんだけど。

自分の言動で自分の居場所を狭めているとしか見えない。年寄りは、若い人が暮らしやすいよう気を配るのが役目だと思う。

おやおや、家族の恥を、私としたことが。人は自分が暮らすだけの家と土地と少々のお金があればそれで充分。人に好かれるためにはまずは人柄。美貌は若い時にはあると何かといい(らしい)けれど、歳とるとそれまでの人生が顔と態度に出る。気を付けないと。

ここまで書いたら、疲れたので残りは明日以降に。See you again!!

 

 

 

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母と温泉、街歩き

2014年01月27日 | 旅行

http://www.ooedoonsen.jp/reomanomori/

先週、母にせがまれ、行って来ました。「レジャーのことは大西に任せろ」の頭文字を取って大西何とかと言われる方が20年くらい前に?開園、それから経営者が替わり、今は大江戸温泉物語になってます。

庶民は何が嬉しいのか、よくリサーチし、安くて楽しい温泉アミューズメントとなっています。以前は閑散としていたレストランの巨大空間に人、人、人、なかなかの眺めでした。

私はいまだかつて、寛いだ人がこんなにたくさん居る場面に遭遇したことがありません。自尊心だとか、規範意識だとかは温泉の湯に流し去り、「あとはご飯食べて酒飲んで寝るだけ」の人たち。

食事は朝夕バイキング。夜はカニ食べ放題。食事開始の五時半に行ったら、もう隅の方しか席がありません。次行くときは五時くらいから並んでおくべきですね。

ズワイガニの食べ放題とは言え、そうたくさんお皿に盛れるわけでもなく、だいいち食べるのがめんどくさくて、途中で嫌になる。というか、バイキングは列に並んで取るのがとっても面倒。貝(名前不祥、蛤より大きい)、エビを焼いてくれるのがおいしかった。

朝は前よりずっと良くなっていた。おかずたくさん。讃岐うどんもあります。

部屋はこんな感じ。

セミダブルが三つ。二食付シングルユースで9,800円と安いのか、高いのか。多分高くはないと思う。


 

さらに驚くべきは、広島、福山、倉敷、岡山、姫路、三宮、大阪などから香川県まで平日無料の送迎バスがあること。これにはいくらなんでもびっくりした。

 クリックで拡大。部屋からの眺め。讃岐富士などが見えます。足元レジャー施設。

お客さんは関西方面からが多いみたい。みなさんとっても喜んでいるように見えた。帰りのバスは15時台発なので、それまでホテルが主催する各種ツアーがあります。

私たちは徳島県の歴史散歩2,300円というコースに参加しました。県境の峠付近は積雪しています。いいお天気だけど冬です。


まず美馬町へ行きます。

馬の産地だったそうです。

お寺がたくさんあります。

ガイドボランティアの方が数人、寒い中、親切に案内していただきます。

お寺の前から遠くに雪化粧の剣山も見えます。気持ちいい冬晴れです。母もニコニコと元気に歩きます。


続いて脇町へ。吉野川沿いに水運、藍の取引で栄えた街です。

うだつの町と言われますが、古い家はうだつがないそうです。

二階は元は装飾、次第に高くなり、部屋を作ったそうです。

うだつは西風の強い土地で防火目的に作られたもの。一階屋根と二階軒下をしっかりつないでいるほど時代が古いそうで。

次第に装飾としてつくられるようになったとか。

商店の動態保存。土日祝だけ、軽食、みやげものの店になります。この家は威張ってないので、親しみやすいです。

琺瑯看板健在。


古い街並みは裏通りにも残っています。こちらは暮らし方がよく分かります。

格子戸が立派です。

電柱はなくて、電線は家に直接つないでいるようです。懐かしき昭和の眺め。

温泉旅館のサービスツアー、そう期待してなかったけど、とっても楽しめました。従業員の研修も行き届いている印象で、みなさん親切でした。

帰りに最寄電車駅まで送ってくれた運転手さん、「お客さんも賢くなって、広島から無料バスでホテルへ来て、翌日は無料でバスで大阪へ行く人もいる」そうで。

うーーーむ、そんな裏ワザがあろうとは。

 

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息子一家の来襲 

2014年01月26日 | 日記

夕方、一家で来ました。7か月の下の子が、何でもよく食べます。ジャガイモ、豆腐、大根・・・きょうはおでんでした。

上の子(三歳七か月)はデジカメがおもちゃ代わり。なんでも写します。

「何写しるての」

「だって可愛いじゃないの」

ネコ尽くし


 

ボクは今からミカンを食べます。ミカン大好きです。

逆さにぶら下がったり

足をブラブラ

高いでしょう

お父さんヤッホー、お母さんヤッホー、**くんヤッホー

お正月以来三週間ぶりに会う二人の孫は、ますます元気に育っているのでありました。それにしても疲れた・・・

 

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さぬきうどん、感動の一杯

2014年01月24日 | 日記

駅前の「めりけんや」、お昼に行くと店内は長蛇の列。官公庁、金融機関が近いので、店内はほとんどがスーツ姿の男性。

中には何かの社員章?税理士バッヂ?を着けている人も数人。

香川ではエリートもそうでない人もお昼はセルフうどんと決まっているようで。こんなんなら社員食堂もいらないと思う。

30人くらい並んでいたけど、「かけ、小」とか「ぶっかけ、大」とか符丁のように注文し、出てきたうどんに自分でネギなどをトッピング、サイドメニューも自分で取って最後に支払。いい感じで人が流れている。注文から支払いまでせいぜい数分、列も少しずつ短くなる。

私はしっぽく小、えび天付き。うどん400円、天ぷら130円のところ、JAFカード提示で10%OFF。480円になりました。

早い、安い、うまい。お茶、水もセルフでいくらでも飲めてけっこうでした。

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脇町で振袖と花を見る

2014年01月23日 | 旅行

きょうはホテル発のバスツアーで徳島県美馬市脇町の「うだつの町並み」を見てきました。

うだつとは、一階の屋根の上に張り出した袖壁とのこと。

ここのお宅は明治時期には郵便局、戦後しばらくまでは医院だったとか。

藍の商いで財を成した吉田家、広い店で生け花の展示中。

手前はシンビジューム。脇町は洋蘭の産地です。

振袖も假屋崎省吾氏のデザインとのこと。華やかです。

フジ、サクラ、マツ。手前はミツマタらしい。

柑橘類いろいろとオンシジューム。

 

まだまだ作品はたくさん。少しずつご紹介します。春に先駆けて、きれいなものをたくさん見てきました。

イベントは来月23日まで。入場料500円。少し遠いですけどよかったらどうぞ。

この後ホテルまで帰り、近くのコトデンまで送ってもらって、松経由で帰宅しました。

広島からは平日無料の送迎バスもあります。きょうは春のように暖かくて、母もしっかり歩いてしっかり食べて元気でいい一日でした。

 

 

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夜景

2014年01月22日 | 日記
ホテルは山麓にあります。手前は遊園地、遠くに民家の灯りがちらほら。
一人静かにしていると、はるばると辿りこし我が人生を思う。
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母と温泉に

2014年01月22日 | 旅行

三時ころチエックイン、洋室シングルユースにしたら巨大なベッドが三つ並んでいて仰天。

部屋のおやつ食べて、隣の部屋で母と少し話して、ロビーで土産物見て、することないのでロビーのパソコンいじっている

なんかものすごく人が多い。風呂は遠いし、朝夕バイキングだし、巨大ホテルに泊まることもめったにないので、せいぜい楽しもう。

大江戸温泉物語になってから、繁盛しているみたい。

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「地面の底がぬけたんです」 藤本とし

2014年01月22日 | 読書

著者についてはこちらのサイトからお借りしました。http://tobc.co.jp/yui/ytop.html

引用初め

「藤本としは明治34年(1901年)に東京・芝琴平町で生まれた。
子供の頃は芝居好きの 母親に連れられ、よく歌舞伎を観に行った。
縁談がととのった18歳のとき、突然、自分がハンセン病であることを知り、はかり知れない衝撃を受けるとともに、絶望の淵に立たされる。
数年後に相次いで両親を亡くし、自殺を図ったが果たせなかった。
以後、療養所を転々と する間に全身が麻痺し、47歳のとき失明。しかし、不自由な身体にあって、唯一感覚の残った舌を使って点字を読み、過酷な人生にもかかわらずいつも笑みを忘れず、病友にも慕われた。
昭和62年(1987年)岡山県の国立療養所邑久光明園で死去、86歳だった。
彼女の自伝的な聞き書き・随想集『地面の底がぬけたんです』(思想の科学社刊)は人間 の生き方を深く考えさせる感動的な本である。」

引用終わり

18歳でハンセン病を発病し、闘病しながら書いたエッセィと聞き書きから構成されている。同病の作家に北条民雄がいる。彼の作品が、実存の中心にまできりきりと迫り、読む者をして言葉をなくさせるような迫力を感じるのに比べ、この人のエッセィは自分の病態を落ち着いて書き、そこから得た知恵、ものの見方をわかりやすく書いている。

北条には返す言葉もないが、この人ならゆっくり話ができる気がする。

とはいっても、発病してからの人生は過酷である。自殺しようとしたときに茶店のおばあさんに身延山の施設へ行きなさいと教えられる。その人の後ろへついて歩くうち、何度も亡くなった母の姿に替わる。

錯覚だろうか。極限の心理状態では、理屈では説明できないことが起きるのだろうか。

人はどんな過酷な運命の中でも人であり続けられる。それはものすごい努力と戦いの果ての境地だと思うけれど、教えられることの多い本だった。

自分の自堕落な人生を反省した。こういう読み方をしてはいけないのだろうけど、読む者の立場でどんな読み方も許すのが本当にいい本だと思う。

著者に手向ける一枝を。

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冬のいろいろ

2014年01月21日 | 日記

寒くて色彩の乏しい冬の毎日、子供の頃なら旧正月の餅つきとお寺の報恩講。

この「おとき」には誰が行ってもよく、本堂で熱い卓袱うどんhttp://www.pref.kagawa.jp/nousui/aji/3/195.htmか卓袱そばhttp://www.kijoan.com/blog/takeuchi/2009/12/post-129.htmlが出た。讃岐のそばは太さはうどんと同じ、でも短い。あれもとてもおいしかった。

中には「ご飯ください」と言う人がいて、炊き立ての白いご飯にたくあん載せたのを食べてる人もいました。人の好みはそれぞれ。さりながらうどん王国でその勇気。


 

冬の赤い実が好きです。水彩画のサークルでこんな絵を仕上げました。

台の色がきつすぎる。背景の影は不用との講評。

昨日のモチーフ。レモンは誰かの庭に植えているんだと思う。当地は暖かいので露地でレモンも育ちますが、アメリカ産がずっと安いので店にはめったに見ません。

春らしい組み合わせ。人形や静物はまっすぐな線が多く、ごまかしがききません。着物の襞なんかも難しい。

二時間ではとても仕上がらないので皆さん自宅で続きをやるらしいけど、私は家ではほかにやりたいことが多くてなかなか手が回りません。

今はゴッホ風の絵の模写をしています。模写しなさいと言われたもので。。。。

おやつも出ます。東京名物、人形焼。誰の顔かと言えば・・・新幹線です。かわゆい~


 

東海土産各種

菓子折りの熨斗紙。絵は広重の岡崎らしい。川は矢作川であろう。

これですね。日吉丸が蜂須賀小六に拾われるところ。戦国三英傑は全て愛知出身、愛知は近世への扉を開くパワースポットなのでした。

岡崎城から八丁西、矢作川そばの八丁村が八丁味噌発祥の地。濃厚でお醤油に似た味。慣れるとおいしい。

友達からもらった栗きんとんもおいしかった。こちらは中津川製。

「私が子供の頃は学校へ行く道の途中に花火を作っている家や機織りの家があった」と息子のお嫁さん。遠くにはまた別のおいしいものと別の伝統産業があるのでした。

自分の世界が広がったようで、何だかうれしくなった私。

 

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昨年の今頃

2014年01月20日 | 日記

高校時代の恩師、友人と待ち合わせ、ホテルで食事して、ロビーでお茶して4時間ほど話して帰宅。

先生にいただいた本のお礼を言い、近況報告と昔話。50年近い時間を一気に越えて、昔の教室にいるように話をした。今は塾を四つの経営している友人は同じクラスで同じ新聞編集局(通称新聞部)だったし、三人で話しているといろんなことを次から次へと思いだした。

専門は史学方法論の先生が、ひょんなことで香川県の高校教員になり、国語を教えることになったいきさつから始まり、当時は16歳で取れた軽自動車の免許で普通自動車に乗り、学校へたまには車で来ていたという友人。職員の駐車スペースに置いていたのだろうか。私も乗せてもらったことがあるけど、コロナは軽自動車とばかり思っていた。めちゃくちゃである。そして、それで済んでいた時代である。

「私たち、近所の店から部室へ出前取ってましたよね」と私が言うと、「教員でも出前なんか取らないのに生徒が取るなんて」と先生は呆れておられました。

「お店の人は普通に正門から入って、職員室の横を通って三階の部室まで持ってきてましたけど。それで一度も見とがめられたことはないし」と私。

「そうそう、それで岡持ちがいつも部室にあった」と友人。

それから同級生の誰彼の噂も。

「生徒会は新聞部の傀儡政権だったから、次の生徒会長を誰にするかは新聞部の三人くらいで相談してで決めていた」

へえ、そうなんだ。で、友人は文化祭委員長をしていた。学校行事の中でも一番派手な行事の最高責任者。仕事は一年がかり。本館の一階真ん中あたりに生徒会室があり、そこに文化祭の委員もいつもいた。

先生が、私の家へ家庭訪問に来られた時の印象だとか。友人は先日93歳で亡くなられたお父様と一緒に、進路のことで先生の下宿へまで行った話とか。

友人は最愛の奥様を数年前、くも膜下出血で亡くされた。お悔みは言うまいと決めていた。そのことは触れず、昔のように友人として話をして元気になってもらうことが何よりのお悔みになると私は思ったし、私自身も何も考えずに笑い転げていた娘の時代に戻ったようで嬉しかった。

同窓会にはほとんど行かない私。話したい人はほんの一握り。個別に会えば済むこと。でも奥様のご存命中は、遠慮してほとんど連絡取ってなかった。

「きょうはP下も呼ぼうと思ったけど」と友人。彼は京都大学の医学部に現役で合格して、今は京都で開業医をしている。「平日なのに」と私が言うと「いやあ平日でも声かけたら来るはず」「患者さんほっといて?」と私「患者さんほっといて」と友人。

そのP下クンが描いたいたずら書きがなぜか先日出てきたので、きょう持参したら先生にも友人にも受けた。話は尽きず、時間は瞬く間に過ぎてもう帰宅の時刻になり、瀬戸大橋線と新幹線を乗り継いで家へ。

とこんなことは、ブログ読者諸兄には面白くもなんともない話。私には今日の記念にしたためた一文。なにとぞお許しを。

帰宅途中、夫から携帯に電話が。去年電話工事してから電話料が引き落としではなく振り込みになり、振り込み忘れて午後から電話を切られていたそうで。前代未聞、我が家開闢以来の不祥事。

帰宅した時には電話は復旧していたけど、ああみっともない。振込用紙を見逃した私が悪いんですけどね。


また一年後くらいに会いましょうと、再会を約して分かれた。一年後まで元気でいよう。そして一年後にはこんなことをしたと言えるよう頑張りたい。

あれから一年経つけれど、この一年、何をしたのかな。確実に一年歳とったけど、はてさて。

 

 

 

 
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名古屋、岡崎へ

2014年01月20日 | 日記

名古屋で友人に会う。三時間話して駅前で別れる。

見上げるとタワーホテルとデパート。

駅前。名古屋は暮らしやすい、何のストレスもないと友人。

息子宅で。お嫁さんはきれい好き。息子が描く。「もうお、友達来るときは外しておく」とのこと。

息子のお勉強コーナー。

お姑様プレゼントの時計は息子の部屋に。

写真はフォルダに

息子とお父さん

写真はフォルダに

明日はどこへ行く?

外観。下の段は駐車スペース。

写真はフォルダに

息子とお父さん。


 

八丁味噌本店へ

樽を干しています。内側には味噌を塗っています。微生物が樽には棲みついているのでしょう。

石を載せて二年漬け込むそうです。

大豆、塩、水と発酵を促す微生物でいい味噌ができます。

樽の間を歩きます。見学は無料です。


続いて瀧山東照宮へ

華麗な本殿。

お昼は和食に連れて行ってくれました。

お弁当でした。山椒縮緬のお茶漬けとデザートもつきます。上品でいい味でした。

徳川家菩提寺、大樹寺で息子たちと別れました。二日間、ありがとね。楽しかったよ。

座布団と木魚。

本堂。夫は友人と待ち合わせのため、ここで別れる。

将軍の休憩所。本物の襖絵は収蔵庫保管中。


 

遠いところで伴侶を得て、家も建ててとうとう愛知県人になった息子。元気で幸せなら、親は何も言うことない。

昨日はお嫁さんと就職試験のときの話をしていた。何でも息子は役員面接と簡単な筆記試験で今の会社に入れてもらったそうで。知らんかった。本人何にも言わないので。

「英語と数学の簡単な試験だった」とのこと。いえいえ自分の名前が書けて、元気にお返事できたらって・・・幼稚園ではないのでそれはないか。

何はともあれ元気で仲良く過ごしてください。

 

 

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団塊の世代

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