日記

日々のあれこれ
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プラタナス

2006年11月30日 | 暮らし

排気ガスに強いとかで、街路樹としてよく植えられる。
花も咲かず、実もならず(作り方によっては花も実もある木かもしれないが)地味な縁の下の力持ちのような木である。
葉が大きいのも掃除に楽、今年も街中でしっかりと冬の始まりを告げている。

長い間、プラタナスは太い幹に葉が群がって着くものと思っていたが、中国の西安や上海のプラタナスは枝が伸び放題、三階に届くくらいに大きく枝を伸ばしていた。

なるほど、日本ではきちんと切り詰めるのでああいう樹形なのだと納得したことである。

写真は広島の相生通り。元は広島城の外堀のあったところ。写真だけ見るとお洒落だけれど、この下には出会い系などの名刺?がびっしり。いけませんねえ。

今年もあと一月、本当に早い。
後ろから追い立てられるように時間が過ぎていく。
今の望みはなんだろうか。景色のいいところでのんびりと滞在して、本を読んだり、外を歩いて気や草を見たり。。。
いつかしようと思ううちに長い年月が経ってしまった。来年こそは是非。
で、その滞在先でもブログを更新したりして。。。いかんなあ。
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柊黐(ヒイラギモチ)

2006年11月29日 | 暮らし

中国原産。セイヨウヒイラギの代わりに日本ではよく栽培されるそうな。
葉が四角っぽくて独特。実も大きい。別名、シナヒイラギ、ヒイラギモドキ、チャイニーズ、ホリー。

これは近所のお宅の日当たりのいい場所に鉢植えで。日陰でもけっこう実をつけるらしい。

最近、我が家ではコタツを出さない。誰も入らないので通る邪魔、掃除がしにくい、足だけ熱くて背中が寒いと極めて不評、散々である。
実家では畳の部屋に掘りごたつを作りつけている。夏は布団を掛けず、冬は電気を通してコタツに。

不思議なことに、実家ではコタツに入っても寒くない。
うつらうつら眠って、目が醒めて一瞬自分がどこにいるか分からず、ああ実家に帰っているんだと気がついたとき、じわーと体中に広がる安心感と幸福感。
それはたぶん、遠い昔に感じていた、そしてもう二度と味わうことのない親の懐に抱かれている安心感なのだろう。

夏は開け放した座敷で、縮みの夏ざぶとんを二つ折りにし、木綿のワンピース一枚で昼寝をする。風と詰めたい畳の感触ががここちよい。目が醒めると冬と同じく「ハッ、ここはどこ?私は誰?」それからじわーとみなぎる安心感。
どんな高級リゾートホテルにも勝るくつろぎ。

母も年とった。後何回、その幸せを味わえるのだろうか。
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洋種山牛蒡

2006年11月27日 | 暮らし

外来種。日当たりのいい荒地などでも旺盛に繁茂し、冬には姿を消すが根は残っていると思う。丈夫な植物である。
これはコンビニの駐車場とブロック塀の間から顔を出したもの。今から実るようだ。
実から紫の汁がビックリするほど出て、うっかり触ると衣服や手に色がつくが洗うと取れるのでご心配なく。

子供の頃には見たことのない草。よく見ると特に醜い植物でもないが、これが生えているだけで投げやりな荒地の印象になってしまう。草には気の毒。

最近雨が多い。雨の日は家にいて片付けなどをすればいいのだが、なかなか。

ものはうっかりしているとすぐ増える。我が家の場合、階段下に一間の物入れがあり、何でも突っ込んでいる。もはや記憶も定かではないが、奥の方は鯉のぼりのポールを打ち込む杭だとか、とんでもないものが入っていると思う。毎年捨てようと思いつつ早や幾年月。

それからついつい入った生命保険。一部解約しょうと思いつつこちらも電話をかけるのが面倒で。営々と掛け続けた年月、運用していればどんなに増えたことか。悔しい。

寒がりだけど、おかげさまで病気知らずのわが夫、自営業になってからは無理矢理連れて行った検診に一度だけ。普段は検診は全く受けず。
「がん検診なんてあんなものは気休め。治る時期なんて短いもの。治るガンは治る、治らないガンは治らない」のだそうで。
子供の病気も「治る病気は放っておいても治る。治らない病気は治療しても治らない」とかで、息子三人が子供の頃、病気になっても泰然自若。
まあ、そんなものかと私もあまりオロオロはしなかった。

亡くなった父が、私が生後何ヶ月かの頃、百日咳をこじらせた時、真冬の真夜中に、「おいのこ半纏」に私をくるみ、自転車に乗って医者を駆け巡り、何軒目かでやっと見てもらえたと聞いたことがある。
「お前や、小児科が横付けやけん、何ちゃ心配いらんわ」と言っていた父。
お父さん有難う。生きてる間はとうとうそのことのお礼を言わなかったね。


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2006年11月26日 | 暮らし

秋の終わりになっても、菊が咲いているのは風情がある。
横向きに倒れ、花だけ上を向いたのを、訪ねた先の家で手土産に持たしてくれるのはさらに嬉しい。菊の香りがする。

備前の壺に入れておくと、二週間くらい持ったりして、露地ものは寸詰まりでも花持ちがいい。

菊に関わる思い出があまりないのは、あまりにもありふれていて、特別な記憶を結ばないからだろうか。

きょうは朝から一週間後の公民館祭りの準備に忙しい。その日の用事はその日の内に。
年末にかけてますます忙しくなる私。風邪を引かずに乗り切ろう。
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多羅葉(タラヨウ)

2006年11月25日 | 暮らし
クロガネモチと同じ仲間。常緑の木で秋、赤い実をつける。
葉の裏に傷をつけるとやがて黒変、昔は字などを書いて人に送ったといわれる。
別名「はがきの木」。写真は広島駅前の広島東郵便局で。

今年は殆ど実がついていない。もう落ちたのか、樹勢が衰えたのならちょいと心配。
排気ガスだらけの植物には苛酷な環境である。


この間友達と話していたら、もう高校の同窓会には行きたくないという。
「バンドがうるさくてゆっくり話が出来ない」とのこと。
う~~む、出演者には悪いけれど、私もあの大音響は果たして同窓会の場にふさわしいか疑問を感じたのは事実。逃げ出してロビーで話してたもんね。

音楽は、聴きたい人が聞きたい曲を聴きたい時に。これ大原則。あそこまで大きい音だとちょいと暴力。次回もまたやるつもりなのかな。みんな大喜びで会場が盛り上がったと総括していたのでまたやるかも。やばいなあ。

そうそう、あの子達、高校のときからバンド組んでたよね。で、文化祭だと、二日間のステージのうち、四分の一の半日を貰って演奏してたよね。一つのバンドにそんなに時間を与えてなんて問題になってたけど、その頃ギターとかドラムとかとてつもなく高価。普通の家庭では買うという発想すらなかった時代、豪勢というか何と言うか。いやはや。

ギター弾くだけで女の子に持てまくりだったのだろうか。全然接点がないので分からないけれど。

私はと言うと、同じクラスの男の子に短編小説やエッセイのようなものを見せられ読んで欲しいといわれた記憶が。詳細は失念。でも簡潔でみずみずしいいい文章だった記憶が残っている。
自分の得意技が通用する相手と見抜かれたのだろうか。としたら光栄なことだ。勉強駄目、運動もっと駄目、友達少なめと地味でさえないわが高校生活の中で、そこだけポッと灯りがついているような。

あの子は同窓会名簿にも頑なに名前を載せず、同窓会でも一度も出会ったこともないけれど、大きな会社の偉い人になっているらしい。どうして分かったかって。。。ネットで探したら株主総会の資料がどうのこうのとか難しげなファイルなどに名前があったので。

そうだなあ。昔みたいに港を囲む突堤の先まで行って、潮風に吹かれながら現代文学を語る。そんな同窓会ならやってもいいかな。実現不可能だけど。

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ススキ

2006年11月25日 | 暮らし
ススキは日当たりと水はけのいい所に生える。
一度草木を取り払ったあと、草が生え、次の段階で生える植物。やがて小低木が生えるとススキは枯れ、小低木から高木へと変わっていく。我が家の付近では椎など。
安定した植生になると極相林というらしい。

赤松の林はやがて椎に変わっていくので、松枯れと騒ぐのもおかしいような気がするが違うのだろうか。山全体赤松だけというのも不自然な植生だと思うが。

下手な薀蓄はさておき、ススキを見るとしみじみと秋を感じるのは日本人だから?

昔はやった曲の一節に「ススキの原が二つに割れて手をふり駆け寄る、あなたが揺れる・・・」なんてあったけど、ススキの中はとても歩けません。

山歩きで道なき道を歩くのを藪こぎというけれど、ススキの中だけは歩こうと思わない。だって歩けないんだもの。
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2006年11月24日 | 暮らし

公園に柿の木が一本、すっかり熟柿になり、メジロ、スズメ、もっと大きな鳥(すぐに逃げたので種類不明)がついばんでいた。

地面に落ちた柿のきれいなところを指でつついてなめてみた。甘くておいしい。昔だったら、子供も喜んでおやつにしていたことだろう。

きのう知人と話していろいろ考えさせられた。
彼女は私と知り合ったときには離婚していたが、その詳しいいきさつをきのう初めて聞いた。
大変だったのだなと思った。浮気、暴力、ギャンブルを三大離婚原因と私は思っているが、彼女の場合はギャンブルの借金。働いていたので、マンション二戸分くらいのお金を
肩代わりしたという。お金のことさえ解決すれば、またもとの生活に戻れると思い、ギリギリまで頑張ったのだろう。

いよいよ駄目になって子供を連れて親のもういない実家に帰り、兄嫁さんに布団を敷いてもらって寝た。。。そこでやっとホッとしたのだろう。

家裁は本当に女の味方で力になってくれたと言っていた。
財産分与で自分の退職金の半分を渡して別れたとか。
別れるのは本当に大変。でもあの時別れててよかったと明るい顔だった。子供に力付けられるとか。お父さんの話はいつさいしないとのこと。

判子を突いてハイさようならではすまないらしい。
別れるのは本当に大変なんだと教えてもらった。

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鼠黐(ネズミモチ)

2006年11月23日 | 暮らし

今の季節はモチノキ科の実が美しい。
これは色が地味で、いびつな形、鼠の糞そっくりなのでこの名前がついた。
ほかに一回り大きな丸い実の「トウネズミモチ」というのもある。中国のネズミは丸い糞?まさか。
が、最近の学生さんは鼠の糞を見たことないものばかりで、説明に苦労すると岡山理科大学の先生が教室のサイトで嘆かれていた。

我が家にもこの木があった。庭の外が菜園になっていて、仏壇用の花やすぐに使う葱などの野菜を植えていた。その端っこにも庭というほどではなく適当に木が植わっていて、その中にあった。

子供の頃見た木はとても身近に感じる。その手前には物置小屋があって大した物が入ってなかったので、雨の日は遊び場になっていた。
祖父が、木箱にためた曲がった釘を金槌でたたいて直しながら、私達の子守りをしていた。

祖父は話し好きで、自分でこしらえた壮大なおとぎ話を聞かせてくれるのだった。
とんでもない強力の冒険たん(漢字出ず)、テレビのない時代のそれは子供の娯楽だった。

家も建て変わり、小屋も消滅。菜園は潰してアパートになり、やがて根こそぎ区画整理で引っ越してしまった。今はその場所に人の家が立っている。

私にとってネズミモチは雨と物置小屋と曲がった釘とがセットになった特別な木。
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黒鉄黐(クロガネモチ)

2006年11月22日 | 暮らし

ちょいと裕福そうなお宅の庭なんかによく見ます。名前が「金持ち」で縁起よさそう。
赤い実は小鳥が好み、春先までついたまま。確かに見るだけで豊かな気分になれます。

↓の相続のはなしだけど、知人の実家は元は農家。今はアパートがたくさんあり、長兄は会社経営をして両親に役員報酬を出していたりで、話が複雑になったらしい。

結婚後も両親の面倒を見て家によく出入りしていたのが仇になり、他の兄弟からお金を取ったのではと疑われたという。
彼女はとてもよく出来た人だけど、親の面倒を見るのを生きがいにまでしてしまったのはまずかったと思う。共依存というヤツである。末っ子なので、他の兄弟に負けまいと頑張ったのだろうか。家をほうっておくので、ご主人とは離婚寸前までになつたとも。

彼女から座敷いっぱいに並べた着物の写真を見せられたことがある。なくなった母親が買ったもの。仕付けのかかったのも多く、殆ど来ていないという。大島紬に染めをしたものとか、高価なそうなものばかり。自分がお金を使っていない証拠に裁判所に出すのだと。いやはや。

お金と付き合うのは難しい。大金をコントロールするには人間としての器量、胆力がいる。たいていの人は持ちつけないお金を持つと、その代わりに大切なものをなくするようだ。人の縁のあり難さだとか、たまの贅沢の感謝する心だとか。

彼女は弁護士さんに言われたとか。「何億も相続してはいけません。人間の欲望には限りがないんです。欲が欲を生むからね」

食べるに困らないだけの仕事があり、家族が健康で仲良く暮らしていれば、人生でそれ以上に何を望む?

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山漆

2006年11月22日 | 暮らし

紅葉の綺麗な落葉樹。山地の日当たりのいいところによく見られる。

と昼間書いた後、知人の相続の話を書いていたら、突然ぷつんと音がしてディスプレイがまつ黒に。Ctrl+ALt+Deliteの三つのkeyを押すと画面一面がモザイクに。

なつなつなんなんだあこれは。と焦りまくったが、再起動すると無事だった。よかったよかった。相続なんて重大なことを気軽に書こうとしてバチが当たったと思われる。これからは慎もう。

20年くらい前、私は地元の同人雑誌に下手な小説を書いていたが、そのとき、いつも合評会に現れる同世代ノ女性が極めて苦手だった。
ものすごく偉そうな態度とものの言い方。人の小説を決して褒めない。と言って、自分はありえないような設定の恋愛小説を書く。でも誰も言い返されるのが恐くて批評できないなどなど、地方文壇の女ボスのような方だった。
たまたまその人の近所に住むやはりアマチュア作家が、地元新聞の短編文学賞で入賞したら、その人がいきなり家にきて玄関先で作品批評をしたという。しかも一日に三度も現れたので「迷惑なので帰ってださい」とお引取り願ったとか。

広大なる共生感の存在する農村社会(大江健三郎:芽むしり仔うちより)で育ち、冷静に人と討論する訓練を受けていない私はその人に言い返す言葉を持たなかったことがいまだに悔しい。

彼の方は、実名を出してホームページを運営しておられる。同人雑誌とは離れたらしい。まったくあの方らしいというか。
最近の日記で大江健三郎の「叫び声」を注文したとあつた。
エッ、まだ読んでなかったのとビツクリ。
まあ私も読書はだいぶ偏っているので人様のことは言えないのだが、私は確か10代に読んだ。60年安保の頃を時代背景にした40年以上前の作品である。今は講談社文芸文庫にでも入っているのだろうか。

ちょっと気が晴れた。きょうのところはそれでよしとしよう。
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秋海棠

2006年11月19日 | 暮らし

ベゴニアの仲間であるが、育てやすいらしい。古くに中国から移入、今では野山に普通に見られるらしい。
これも先月、信濃追分の民家の脇に咲いていた。どの家もガーデニングなんて事はせず、自然のままに。それがとても好ましかった。
信州の花はどれもとても鮮やか。一日の寒暖の差がこんなに澄んだ色の花を咲かせるのだろうか。見るだけで幸せな気分になれる。

広島市植物園にはベゴニア温室というのがあり20センチもあるような花を品種改良して育てている。私はああいうのはどうも。

金曜日は久し振りで、夫と食事に行った。二人だけと言うのは五月以来である。
県病院の向かい側、なんでもありの居酒屋風のお店。10人くらいの男性グループが楽しそう。
「いいなあ、私もサラリーマンになりたい」と言ってしまった。自分が鬱屈していると誰を見ても羨ましい。


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山茶花

2006年11月17日 | 暮らし

山茶花とツバキの見分け方というほどのことはなく一目瞭然だが、花びらが根元でくっついているのがツバキ、はなれているのが山茶花。葉に葉柄があるのがツバキ、幹からいきなり葉になるのがサザンカ。

どちらが好きかって?もちろんツバキです。サザンカは花びらが散ると葉にくっついて汚いけど、つばきの花全体がボトリと落ちたのは水盤に入れて玄関などに置けば二度楽しめる。

庭にサザンカが二本あるが近年は花がつかない。少し離れたところにマンションが建ち、半日日が当たらないので。手入れもあまりしないし。

実家から貰ったツバキにはもう蕾がついている。年明けに期待しよう。
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千両

2006年11月16日 | 暮らし

お正月の寄せ植えや生け花に欠かせない実。葉が年中青く、赤い実が色彩の乏しい晩秋~初冬の庭で目だつ。

この木は実家から苗を貰ってきたのではなかったかしら。
万両の方は枯れたが、こちらは根がついた。やれやれ。

生涯最後の遠足は弘法大師が造ったといわれる満濃池だった。高校三年の時。しかし18歳でお弁当とおやつ持って先生の引率のもと、遠足はきついなあ。
前年同じクラスだったQ君が、私を探しあてて寄ってきて、二人で池の土手の道を話しながらなるだけ人の少ない方へ歩いていったのだった。

集合時間までの僅かな時間に、どこを受験するのかと聞かれた。手紙を出してもいいかと聞かれたので、いいと答えた。

あれが始まりだったが、楽しかったこと以上に苦しかったことが多かった。何であんなに苦しかったのだろうと今でも不思議に思う。ちょっとした意見の違いで、全てが終わる恐怖。今の自分からは想像も出来ないナイーヴな乙女だったと思われる(笑)体重だって10キロは軽かったし(泣)

例えばその頃習っていた新古今の中の西行の歌
「さびしさにたえたるひとのまたもあれないほりならべんふゆのやまざと」という歌を軟弱だと私が手紙で書くと、一読するとそうだが、自分の孤独に耐えた上で同じような人を求めている。決して軟弱ではないと反論された。なるほど、そういう読み方もあるのかと、人と文学作品を語り合う楽しさに目覚めたのもこのあたりから。

こういうやり取りは手紙ならでは。携帯のメールではここまで込み入ったことは書けなかっただろう。

今さら私が変な解説をするまでもなく、新古今の歌は花鳥風月を詠嘆するのではなく、おのれの自我と向き合う新しさがあると思う。古代政権の枠組が崩れ、末世と言われた寄る辺なき中世に生きる人の歌なのだろうか。(全部を当たったわけではなく強引な類推ですが)
それがちょうど、受験を前にした晩秋から初冬へかけての不安な気分とよく合っていた。

Q君から貰った手紙は50通くらいあっただろうか。もちろん今はないですよ。
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ノギク

2006年11月15日 | 暮らし

♪遠い山から吹いてくる小寒い風に揺れながら気高く清く匂う花、優しいノギク、薄紫よ・・・という歌に合わせて運動会で踊った記憶がある。五年生くらい?

山で見つけた菊をもっと美しく、もっともっと美しくと改良を加えて今のようなあつもの咲きの花も出来たのだろう。生き物相手の気の遠くなる作業である。

この間、お姑さんの所へ義妹が来ていて、しばらく話した。
義妹のところも郊外には大きなショッピングセンターが出来て、休みには夫婦二人で店を見て回るという。仲、いいなあ。

我が家では考えられない。全く、どうなっている?
今年の初め、今年こそバラの季節にイギリスへと思ったが、行きそびれてしまった。
来年は行けるかしら。もちろん一人で。
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山陽葵

2006年11月15日 | 暮らし
カンアオイの仲間。林の下、薄暗いところに生える。中国地方西部、四国、九州に分布。
まだ雪の残る頃、緑の葉をギフチョウの幼虫が食べるそうで、寒い時代の名残の植物と考えられている。ギフチョウの幼虫はこの葉しか食べないそうで、なかなかに気難しい好き嫌いの多いやつである。
また花粉は蟻が運ぶそうで、一つの種類が他を凌駕することもなく、地方によって種類がいろいろあるとか。このカンアオイの仲間には絶滅危惧種に指定されたのもあるとか。
カンアオイもギフチョウも森の片隅で細々と。そんなイメージである。

この間、知人と話していたら、乳がんの検診で医者が合わなかったので、もう行かないと言う。
医者は僅か数分の触診をするだけ、合う合わないもないと思うが。気難しい人である。

私は逆に妙に丁寧な言葉づかいの医者はちょっと。。。。。医者は正しく診断して治せばいいのであって、心の支えになって欲しいとか癒されたいとか、私はそこまでは期待しない。口数の多い先生はちょっと。。。。

いまだに昔かたぎの威張る医師もいるかもしれないが、それは論外。そんな人は患者さんが寄り付かず自然淘汰されていると思う。

というわけで、乳がん検診なんてとっても簡単、恥ずかしがる歳でもないし是非行きましょう。






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団塊の世代

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