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日記

日々のあれこれ
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「太郎が恋をする頃までには・・・」 栗原美和子 幻冬舎・・・「破戒」から一世紀

2008年10月30日 | 読書
この小説には島崎藤村の「破戒」の同じ部分が二度?引用されている。
主人公瀬川丑松が子供達の前で、被差別民だとカミングアウトして謝る場面である。

好き嫌いで言うと私はこの場面が嫌いである。まるで罪人みたいに、何でそこまで卑屈になって謝る必要がある。。。。と百年後の私は思ってしまう。
「破戒」は差別に苦悩する人の姿をリアルに書いたことで、文学史上の金字塔の扱いだが、明治時代の差別意識がどれほどひどいものであったかを今によく伝えている。それは作者島崎藤村も同様であろう。でなければ、瀬川丑松をなぜアメリカへと旅立たせる?
日本で生きさせてやれよと、私は思う。被差別民は日本にいてはいけないのかと。

翻ってこの作品である。この作品は私小説の体裁で、はじめに前書きとして小説を描くに至った経緯が挨拶文として出てくる。挨拶の主は主人公、五十嵐今日子である。ここからがもう小説なのだが、うかつな私はここは前書きと思って小説の最後まで読み、別れてしまったのでショックだった。
なのに表紙に著者自身の結婚写真を使っている。私は混乱してしまった。別れたあとでこんな写真使ってどういう意味なんだろうと?????

しかし著者自身は幸せに結婚生活を続けているらしい。(Wikipediaによると)

私の理解能力の欠如を棚に上げた上であえて言いますが、この最初の書き方、ちょっと紛らわしくないですか。そして表紙に自分の結婚写真使うと、限りなく私小説として読まれまてしまいせんか。

これ読むと結局「ああ、の人と結婚するのはとっても高い障壁がある」と思い、「のものは幸せになってはいけないのか」とむかつく基。
厳しいことを言うようだが、これでは差別の再生産。乗り越えたのなら、その乗り越え方をこそ、私は読みたい。愛はどんな障壁をも飛び越えるという感動的な小説になっていたのに。残念。
読者は人の不幸が好きだけど、おもねる必要はないのです。

著者の結婚前後の頑張りは敬服するし(小説の通りなら)、相手を思いやるその善意を疑うものではありません。しかしながら「破戒」からの百年は何だったのかと、しみじみと空しい。

昔の写真。鯉幟が大きすぎて、勤め先の屋上に立てさせてもらい、屋上に長男を抱いて上がっている若い日の同居人。三男が、ロック歌手みたいとあせっていた。
確かに、怪しすぎ。
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「太郎が恋をする頃までには・・・」 栗原美和子 幻冬舎

2008年10月30日 | 読書
私はテレビをほとんど見ないので、著者がテレビ局の元キャスターで今は新聞社にいる人(この作品によると)…なんて全然知らなかった。

小説だが、自分が体験した事が元になっている。テーマは古くて新しい、問題と結婚差別。小説では深く愛し合った二人が、結局は別れてしまう救いようのない結末だが、実際には幸せに暮らしているらしい。でなかったら、結婚式の写真など表紙に使いませんよね。

さっきみたアマゾンのカスタマレビューは差別意識丸出しで、もろむかついた。けんかしてもいいのだが、感情的な文章は説得力がないので、また後ほどということで。

人を出身者かそうでないかで判断してはいけない。出自はどうであれ、いい人とそうでない人がいるだけのこと。本人に何の責任もないことで差別し続けられるのは勘弁して欲しいものである。
は明治になって、それまで特権的に占有していた産業にほかの人が参入してくることで貧しくなったと私は理解している。差別する人はそんな事も知らないのだろう。

子供が結婚してもおかしくない歳になったから私は言えるのだけど、子供の幸せを第一に願うのが親。この小説の中のお母さんは「親子の縁を切る」と娘を苦しめて母親失格だよ。何のかんのと言ってくる親戚には「子供の幸せにケチをつけんで欲しい。人を差別する人は以後一切我が家の敷居をまたがんで欲しい」と言い切ろう。帰ったあと、清めの塩をまこう。私が同じ立場になれば必ずやそうする予定。

善良な市民が平気で人を差別するこの構図。因習とはなかなか抜け出せないものなのだろうか。私見ですが、人を差別して平気な人の共通の特徴は、無知と、他人の痛みへの想像力の欠如。

子供の告白に対しては「それがなにか?」と対応しよう。早くこの世から差別をなくそう。(この項、明日も続きます)

写真は広島のマリーナホップ。初めは愛媛からツアーまで来ていたのに、ああそれなのに。バッグや服のアウトレット店はいつの間にかアジアの雑貨へ(それが悪いわけではありませんが)…こうなれば百均が(それが悪いわけではありませんが)出来るのも遠からじ…
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後日談

2008年10月29日 | 暮らし
友達と電話で話した。

一箇所ではなく、いろんなところを五時間自転車でさまよっていたなんて。。。。
「そんなときは早く電話しないとご家族が心配するでしょ」
と昔からの友達なので、私も偉そうについ忠告めいた事を…
「うん、でもどうしても自力で帰りたかったから」
昔から頑張る人だったけど、何もそんなところで頑張らなくても…

聞けば家のすぐ近くも通っている。彼女の家の付近は広島湾を埋め立てて新田開発したときの細い道のまま、それを新しい四本の幹線道路で取り囲んでいる。古い道は幹線道路と直角には交わらないので、外からは行き先が分かりにくい。夜なので錯覚したのかな?

「ずっと家にいるから外の感覚が分からなくなるんじゃないの。今度私が誘うから一緒にどんどん外出しようね」
「お願いします」
ということで話がついた。

話し変わって、実家の母親83歳一人暮らしは外へ出かけるのが大好き、昼間電話してもいたためしがない。十一月は二回旅行に行くと言っていた。一人で生活、一人で決断。充実の老後。
昨夜電話したら、近くに住む長男とけんかしたと鼻息も荒く話していた。
「ほんまに実の息子なのにあんなこと言うて」
「何を言われたのよ」
「前に(同居していたときに)どうだったこうだった言うていろいろ言われた」
「ごめんって謝った?」
「謝らんわあ」
と相変わらずこれだからね。どこまでも強気な母。
「そんなこと言うとっても、私が死んだら泣くんじゃわ言うたら、死んだらせいせいするいうて」

いゃあ、相変わらずですな。どっちも大人になろうね。本人達は真剣でも聞いているほうは不謹慎にも笑ってしまう。

「出来の悪い息子だね。親の顔が見たいと思わない?」とからかいモードに入る私。
「あまりよそで息子のこと言わないのよ。私に話して気が済むんならいつでも聞くからね。元気で好きなことして、子供はみんなちゃんとやってるんだから」
自分の幸せに気がついて欲しいものである。

私自身は、友達のようにはならず、きっと歳取ったら母親のように出歩くのが好きな強気の年寄りなると思う。弟にもそう言われたことがある。
でも息子とケンカだけはやめておこう。それがわが身のため合掌

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友の道に迷うや不可解???

2008年10月27日 | 暮らし
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転写紙を使った絵付け体験のお知らせ。
11/8と11/9に国道二号線沿い広島産業会館西館であります。時間は九時から夕方五時まで。例年の通りだと千円で、マグカップなどを作って先生のお宅の窯で焼成します。後日の郵送料は別途。私の習っている先生がします。
手芸関係の年に一度のイベントで、いろいろなブースがあります。お近くの方、興味のある方はぜひどうぞ。

友達59歳♀が迷い子になっていた。
日曜の夜の九時頃、娘さんから「お母さんが三時間ほど行方不明だがお宅に行っていないか」と電話があったのである。

かなり慌てていたので詳しい事情は聞かなかったが、びっくりした。
私が今まで出会った中で一番まじめな人、几帳面で、家の事をきちんとして、、、
黙っていなくなるような人ではない。いったいどうしたのだろうと胸騒ぎがした。
事件?事故?しかし、人口100万以上、政令指定都市の中心部、いくら暗くなるのが早くなったとはいえ、まだまだ六時といえば宵の口である。

別のもう一人の友達にも連絡するが、知らないという。

何かあれば向こうから連絡があると思い黙っていたら、きょう私の留守中に夫が電話を受けて、その話によると、なんと市内で道に迷っていたという。

これにはびっくりした。広島城に出かけ、自転車で20分ほどの自宅へ帰るつもりが、川筋で言うと二つ向こうの吉島へ行っていたとのこと。吉島でも南の方の光南まで行っていたのかもしれない。

無事でよかった。が、一体、どうしたのだろう。全くもって不可解。
山の中ならともかく、街中である。携帯を持たない人だが大人なんだから家に連絡する手段ならいくらでもあるし、住居表示を見ればどこにいるかも分かるのに。
コンビニで道だって聞けるはずなのに。三時間以上も頑張って自転車でうろうろしてたなんて、、、、家族がどれだけ心配していた事か、どう考えても分からない。
あまり出かけない人だけど、一応40年以上も住んでいる広島、本当にどうしたのだろう。

でも道に迷うときって「逢魔が時」という一種不思議な感覚の中に滑り込んでしまうのかもしれない。行けども行けども同じところをぐるぐると、八甲田山で遭難した明治の軍人達のように、周りの景色に実体がないというか。

私も山でたまにやらかしますが、迷うというのは徐々に迷うのではなく、直前まで自信を持って進んでいるんですよね。で、なんかおかしいと気がついた時には、自分がどこにいるのかわからなくなっている。分からないから正しい道には戻れない。Oh, I'm lostという状態です。

そのたびに周りの山の形、太陽の方向などを見て何とか元へ戻れましたが、夜の街中では分かりにくいのかも。

私も東京で、旧新橋停車場を探してずいぶんあちこち歩いた事がある。現在の新橋駅の近くだとばかり思っていたら、ずいぶん海よりの離れた場所。大変だった。

帰宅後長男にその話をすると「そんなん当たり前や。常識やん」と怒られてしまった。彼は三歳の頃からの筋金入りの「鉄ちゃん」。細かな観察が大好きで、今はそれを生かした仕事をしています。

二、三年前、家の中を這っていた蟻の足が七本あるのを瞬時に識別。
私は生物学上の大発見と大騒ぎしたけれど、やつは冷静に「これは蟻蜘蛛の足が一本取れたんだと思う」と鑑定。いろいろ調べるとその通りでした。

広島市の道にもやたら詳しい。戦前の道がどのようになっていて、戦後のいつ、どのように区画整理されて、どの橋の位置が変わり、どの道のどちらがわが拡幅されたとか。

かく言う息子も、小6の春休み、初めて行った京都で、絵地図一枚、お金も持たずに親戚の家を出て道に迷い、私がやっと探し当てた事も。親戚の家がどこにあるか分からないのだから帰りようがないのです。

地図を見るのが得意な息子ですが、人生の地図は持たないようで紆余曲折の人生を歩んでおりまする。
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「とげ抜き 新巣鴨地蔵縁起」伊藤比呂美 講談社

2008年10月26日 | 読書
天から神の声を下ろして、集衆に伝えるのを「よりまし」というのならば、伊藤比呂美は現代の「よりまし」に違いない。

生きていく限り人はそれぞ苦難を抱えている。作者は自分の苦難を、先人達の書いたものの声を聞きながら、考え、自分の言葉に構成し直し、乗り越えるでもなく、打ちひしがれるでもなく、妥協しつつ生き延びていくという感じ。

不思議なリズム感の文章を読むと、小説という表現形態はどのような心証をも盛り込めるニュートラルな、使い勝手がよくて、奥の深い形式だと思い知らされる。

大ロマンも、大冒険譚もここにはない。日本の親に困らされ、年寄りのイギリス人の夫に困らされ、アメリカと日本の間でidentityの置き場に困る子供の心配をし、最後は心のよりどころを探り当てる…とはしょりすぎてはこの作品の面白さが損なわれてしまいますが。

エネルギッシュで、土俗的で、体を張って書いた小説。究極の小説という感じがした。元は「群像」掲載。

写真がなくて…六月イギリスに行った時のです。
ハワースの牧師館横。小説「嵐が丘」の舞台です。
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嫌煙な私

2008年10月20日 | 暮らし
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きょうあるところである人から「タバコ税の値上げ反対」と言う署名を頼まれたのできっぱりとお断りした。
「タバコなんて健康に悪いのに、それを承知で吸ってる人からはしっかり税金を取ればいいんでないの」とつい日頃の思いを言ってしまった。

好き嫌いで言えば、私はタバコが大嫌いである。
(愛煙家の方、ここからは気分を害すると思うので読まないでください。
もし読んでしまったら、一つの意見として生暖かく見逃してください。お願いします)
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もちろん、タバコを吸う人も大嫌いである。

一番嫌なのは、人に煙を吸わせて健康被害を与えている自覚も反省もないこと。田舎へ行くと今でも食事する店で禁煙コーナーのないところがあってたいそう困ります。
ごみを撒き散らす事。公共機関での清掃のコストは非喫煙者も払っている事を知るべきだと思う。

捨てた吸殻がたまに火災の原因になる。そりゃそうです。火種をいつも持ち歩いてるんですものね。タバコを吸うのは危険な人たち。ちょっときつかったですか。

し嗜好品にはいろいろあるが、関係ない人に迷惑をかけることにおいてタバコの右に出るものはまずないでしょう。みなさん、そう思いませんか。

統計では、喫煙者は非喫煙者より早く死ぬんじゃなかったですか。呼吸器の病気になる確率も高かったんじゃないですか。この世からタバコというものがなくなれば、国民の総医療はかなり減ると私は思います。それはメタボリックシンドロームの比ではないと思うのですが。
出来るならば、喫煙者だけで、掛け金の高い健康保険組合を作っていただきたい。
いえいえ、皆さんでロケットに乗って、違う惑星に行って思い切り喫煙していただきたい。

今や公共機関での分煙もだいぶ進み、タバコのCMやドラマでの喫煙シーンも見なくなりましたが、禁煙が大きな世論にならないのはタバコ税が国の税収にとって以前大切だからではないでしょうか。

きょう、ほかの人は付き合いだと思うのか、深く聞きもせずに署名していたけれど、「私の主義に反するので申し訳ないけれど署名はできません」と私はお断りした。

私も日本人の端くれ、人の和を大切にするにやぶさかではないけれど、考えの違うものにまで賛同できない。
タバコを吸うことを前提に署名を求めてくる人…他人への想像力が欠如していませんか。

私はタバコが嫌いだーーーーー!!!嫌いだったら嫌いだあーーーーーーー!!!!
(失礼しました)

写真はある日の昼食。買い物に行くのが邪魔くさくてあるもので済ます。
古いお盆で定食風に遊んでみました。
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英語を習う

2008年10月18日 | 暮らし
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十月初めから英会話を習っている。地元大学の公開講座で、全五回、昨日で三回が終わった。
アメリカに三年半留学した先生(=日本人♂)は40歳くらいだろうか、なかなかに面白い講座をしてくださる。

初めに言語とという表層に現れる文化の下には、長い間つちかってきた風俗習慣、考え方、所作など、文化の基底が隠されていると言うお話を。
言葉を話すだけではコミニュケーションは取れない、言語5%+音声的特徴40%+顔の表情55%で人は意思の疎通を図るなどなど、会話以前の心構えのような事を教えてもらている。

日常会話は簡単な単語で。こちらも目からうろこである。

Where from?
Any children?
Pretty bad!
Sounds good.
But it works.

などなど。そのときは簡単なのでわかったつもりになっているが、簡単な言い回しなので却って覚えにくいと言う事もある。

そして思うのは英語には丁寧な言い方はあっても敬語がないこと。
こんな言語を使っているから、誰もが分け隔てなく自分の意見を言うようになるのだろうかと思ったりした。

指名されたり、意見を言わされたり、人前で恥をかくのも久しぶり。
でも楽しい。ある方と先生との会話がとても面白いと言っては失礼なんだけど、先生が英語で聞かれているのに「さあーーどうですかいのぉ」ともろ広島弁で。まあ、笑っている私も似たようなもんですが。

今は無料の講座だが、いい雰囲気の講座があれば行きたいなと思ったりしている。

それではTake care!!
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株価の乱高下

2008年10月14日 | 暮らし
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写真は12日、西条酒まつりで。コモ巻きの実演中でした。

きょうの東京市場は史上最大の上げ幅だそうで、朝方から一気に上がり、後はずっと高水準。いゃあ~びっくりした。いずれ回復するとは思っていたけど。。。

今は売るより買う…なんて偉そうな事を書いたのが先週の9日。
翌日はさらに下がって、このまま下がり続けたら10日もすれば日経は限りなくゼロに近づくなんて、笑っていたのにそうも行かなかったようで。

最近では、買うのは金曜日でしたね。あーーーー買い損なったよう。なかなか理想通りには動けないものです。次を期待しましょう。

とはいえ、急速に下がった世界の株価が回復するのはまだ先のようです。下がるのは早いけど、上がるのはジワジワジワジワっと、なかなかのことではありません。

とある銀行でネット取引をしておりますが、昨夏、ネットで投資信託を買おうとしたら、前もって口座のある支店で書類を一枚出すようにと言われました。一月ほどするとネットで買えるようになりますと窓口で言われ、それから早いものではや一年と二ヶ月。あれから何の音沙汰もありません。(それともアクセスすればできるようになっているのかも???謎)

買いたかったのはブラジル株のファンド。あの時は18,000円くらい。今は三分の一に。買わんでよかったあーーーー。で、もう買う気もなくなった。もう少し様子を見る事にしましょう。
過去にも口座を間違えられたりといろいろあったけど、今回はとっても感謝しています。ありがとう、銀行さん。
(関係者の方、もし見ていたらごめんなさい。でもいったいどうしたんでしょうね)
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人生相談万事OK! 伊藤比呂美 筑摩書房

2008年10月13日 | 読書
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西日本新聞の身の上相談をまとめたもの。回答者伊藤比呂美さんの単刀直入、快刀乱麻の決め台詞が快感!!

一部ご紹介します。
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石橋が落ちる前に渡りきっちゃえば、こっちの勝ち

人を変えるむずかしさに比べると、自分を変えるほうがまだかんたんです

「離婚」、あれはきついんです

夫婦なんてね、別れたいと心から思えば絶対別れられるものですよ

興味のあることと向かい合う。これが人生の基本であります

子育ての極意は「かわいがる」

若い人の逸脱行為は、どんな行為でも、なんらかの自己表現と必然性が、ふくまれているものなんです
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ねっ、読むととってもすっきりするでしょう。さすがは言葉を使うことに鍛錬を重ねた詩人です。
自分の心の疲れたところ、足りないところに言葉の滋味がじわじわと染み込み、読後はぐっすり眠ったあとのように、疲れが取れます。

すぐ読める文庫本ですが、手近において思い悩んだとき開いてみるといいかも。

写真は野ぶどう、いろいろな色のみがきれいですが山葡萄と違って不食です。
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「女の絶望」 伊藤比呂美 光文社

2008年10月11日 | 読書
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著者は詩人で、昔「よいオッパイ、わるいオッパイ」という本で記憶しているが、これは自身が回答している新聞の身の上相談を小説として構成し直したもの。

落語調の軽い語り口ながら、取り上げた悩みはそれぞれ深刻で、回答がまた人の気持ちのどうしょうもなさをよくわかっていて、「自分は自分、人は人」と自信を持つようにと薦めている。

嫉妬とは自分との戦い、普通の価値観から外れると楽になるとか、自分の支配欲を満たせるもの、ペットとか園芸とかを持っておく、褒められると喜ぶ癖をつけておく。。。

夫婦は時間をかけて枯れていく、駄目になるものは駄目になり、駄目にならないものは駄目にならない。

夫を憎みきっていない間は別れずにいたほうがいい。離婚したら自由にはなるけれど、大きな孤独がぽっかりと穴を開けている。
夫でも、ぞうきんでも、いた方がいいのが、老後に向かうということ。。。

最後の、夫でも雑巾でもが言いえて妙である。
人がいると用事が増える。楽しい事ばかりではなく、嫌な事もある。でも全部放り出してしまえば、何もない長い老後が待っている。その孤独に耐えられないのなら、もうここまで来たのだから、これからもだましだまし夫と付き合っていこう。そう思わせる名回答である。

写真は中国道戸河内IC付近の太田川にかかるつり橋。いつも道から見下ろすだけだったけど、先日やっと近くまで行った。ひとが全然いなくてちょっと怖かったです。写真をクリックすると全体が見られます。

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株・今は売るより買う

2008年10月09日 | 歴史、社会、家族
とわかっていても、ここまで下落すると気分が悪いのでつい投げ出したくなるのも人情。
でも焦りは禁物。株価の下落は個人の力では食い止められません。
何年かのサイクルで好況と不況が繰り返し、株価も上がり下がりを繰り返す。今までのチャートがそれを物語っています。

今はじっと我慢する時期ですね。そしてどんな場面でも少しずつ買い足していく、それが長い目で見るとリスクの分散になると思います。

先月末、BS7の朝の経済番組が終了。四人(だったかな?)の経済評論家が、毎朝、今日の株価の予想をしていたのだが、上がる、下がるの予想の的中率が55~50%の間にきれいに収まっていたのには笑ってしまった。二つに一つ、こんなんなら、素人だって予想できる。つうか、コインを投げてもいいんでないの。

ことほど作用に相場は生き物。過去の経験則が生きない日もあるわけで。長い目で考えたいもの。

写真は昔作ったカップ。気前のいい私はどんどん人に上げるので、これももう手元にはないです。
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祝・ノーベル賞

2008年10月09日 | 暮らし
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今年は日本人が四人もノーベル賞を受賞して、久しぶりの明るい話題だった。
学者というのは「自分が疑問に思ったことがわかると嬉しい」と言うようなことを言われていた。
世俗的な欲望の対極にある人たち、ただ真理を見極めたいと言う純粋な願い。能力のある人が大変な努力を積み重ねる。その姿勢に凡人の私も感動します。
ところでノーベル賞の賞金って税金がかかるんでしょうか。願わくば非課税にして欲しいもの。そんなところからまで、国はふんだくらないでと言いたい。

しかし、研究者として大学に残る人、残れる人はごくわずか。あとは世の中に出て行き、それぞれの会社に適応していきます。

写真は2006年、学部の卒業式の日。たまたま寺町通りで知人の先生が絵付けの展示をしていたので、ついでに卒業式も覗いてきました。
わざわざ言ったんじゃないと言い訳しましたが、卒業式がなければわざわざ行かなかったと思う。それで、子離れできない母親に息子は不機嫌です。
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永遠のダイエット

2008年10月08日 | 暮らし
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どこから始まった話なのか、最近バナナを食べてダイエットするのがはやっているらしい。
バナナ、ちょっと前までは一房100円なんてあったのに、最近は皆無。

前は納豆というのもあったし、ココア、こんにゃく、ヨーグルト、トマト寒天などなど。

そんなにいいものなら、全部一度に食べればいっそう効き目がありそう♪一つやってみますか。

私は変わり者なので、人がなびくものには眉につばをつけて聞くことにしている。
テレビ番組から流行りだしたのかしら。テレビもあんまり見ないので知らんなあ。

バナナって高カロリーだけど、どういうメカニズムでダイエットに効くのかしら。教えて欲しいもの。

話し変わって、きょうは日経がものすごく下げましたね。そろそろ買場かなとも思うけど、ちょっと様子を見てみましょう。
経済って動くときにはドラスティックに動くんですね。いゃあ、なんとも。。。。
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麻生さん、恐慌なんて言わないで!!!

2008年10月07日 | 歴史、社会、家族
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午前中外出、遅い昼食を食べながら予算委員会?の代表質問を見た。

民主党の岡田氏が「靖国神社は宗教施設、宗教性のあるものは国営の追悼施設に出来ない、明らかな憲法違反」と言っているのに、首相は「神様になる約束で戦争に行って戦死した人たち」と答えていた。
そうやって国民を戦争に借り出した反省の上に、現在の憲法はあるという基本理解の出来ていない人である。岡田氏が「わからん人だなあ」と言う顔で再度質問していた。麻生氏、明らかに劣勢。えんかいな、こんな人を首相にして。

経済政策については「世界恐慌が来るので何とかかんとか…」って、言葉の軽い人である。それでなくても今経済が大変な時期にさしかかっているのに、恐慌なんて簡単に言っていいのかと突っ込みたくなった。

恐慌というのは何十年かに一度の出来事、あだやおろそかに言ってはいけません。経済学上では厳密な規定があると思う。気分で言って欲しくないもんです。

きょうも日経平均は下落、上海が開き、ムンバイが開き、ヨーロッパが開き、ニューヨークが開き、そしてまたあした東京マーケット…と錐もみ状態で下落する世界の株価。

こういうときの一国の首相は「政府としては経済状況を慎重に見極めながら、その都度出来るだけの政策をする」と、頼もしいことを言うべき。
お願いしますよ。本当に。

このあと、旦那と話をしていると、「早期に解散したくないから、大げさに言って解散どころではないと流れを持って行きたい」とのこと。なるほど。

みのもんたさんがある番組で、「こういうときが買い場ですよ」と言っていた。気休めだとしても、ちょっと視点をずらすのも大切。

寝転んで本箱を写してみた。夫が仕事場で作ってくれたのはいいけれど、いざ家に持って帰ると玄関から入らず、ベランダからロープで吊り上げた。ありがとね。
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ミーハー全開/TBSベストテンのころ

2008年10月06日 | 暮らし
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このブログ、九月ころから歌謡曲芸能ブログみたいになって…(ほかに考える事がないのか!!と自分で突っ込む)

先月、動画の投稿サイトを見ていたら、そうそう、昔は歌番組が多かったなあと、当時を思い出して一人感慨にふけった。

特に印象に残っているのがTBSの「ベストテン」で、だいぶ長い間続いたんじゃないかしら。
始まったころ、私はちょうど子育ての真っ最中で、夜の九時というのは子供たちを風呂に入れてやっと寝かしつけたかという時刻。夫は仕事が忙しくて、連日、真夜中過ぎに帰宅(ごくろうさん)、いつも一人で見ていた。(寂しい私イジイジ)

印象に残っている場面、アルフィーがファンの依頼にこたえて、その人の家へ行って歌う企画。行くとあいにく留守。仕方なく家の前で生放送で歌っていたら、どんどん人が集まり、依頼した人もびっくりして飛んで帰った年末の中継。あれが一番印象に残っている。けが人は出なかったのだろうか。とにかく大変な人出。

これはたぶん夏だったと思うけど、広島出身の吉川浩司という人が出身高校のプールサイドで歌い、最後に水に頭から飛び込んだこと。のちに息子たちがその学校へ通うようになったのも何かの縁?いえいえ何の縁でもありません。

沢田研二は、広島三越前の酒造会社所有の小さな公園で歌ったり、広島駅新幹線口のもみじ饅頭の売店前で歌ったり。いつも移動で忙しそうだった。

あとは安全地帯の初登場シーン、レコーディングスタジオにいたんですよね。

あーーーそれにしても昔の事をよく覚えているのは老化の始まり。食後すぐに、まだご飯食べてないとか言い出しませんように。

初めは生放送のライブ感がよかったのだが、歌は居間のテレビで見るより自分のラジカセで聞くようになり、順位付けが次第に無意味になって番組も廃れたのではないかと思う。歌の聴き方が多様化して、手軽に自分だけの音楽を楽しめるようになり、媒体としてのテレビの位置が相対的に下がったのだと思う。

それでも番組はいつまでもライブ感にこだわり、それが演出に見えるまでに過剰になってしまうと、見るほうも飽きてしまったのではないだろうか。
またベストテン番組で活躍した人は、流行歌の提供のされ方が変わっていく節目にうまくそれに乗っていけなかったというか。。。。

価値を一元化する中心部分が空洞化し、周辺の個性的な部分がそれぞれの個性を主張する。いままでもこれからもすべての場面でのその流れは変わらないし、それでいいのではないかと思う。(と乱暴にまとめてみました)

これからは誰もが知っているスターというのがますます出にくい時代になるのでは?
昔のテレビ番組がいっぱいの(著作権的にはアウトだと思うけれど)サイトを見ながら、そんな事をふと考えた。
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団塊の世代

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