日記

日々のあれこれ
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「時代の果実」黒井千次

2022年05月31日 | 読書

今回読んだのは向こうの本。公民館で借りてきた。

手前2冊は手持ちの本。他に「高く手を振る日」もあったけど、ヤフオクに出したらしく見当たらない。著者の本はほかにもいくつか読んだ気がするけれど、今回は見当たらず。引き続き断捨離実行中なので、整理ができていない。また出てくるかもしれないけど。


著者は1932年生まれなので、90歳になられる。高齢である。

最初に名前を知ったのは今はなき福武書店の文芸雑誌、「海燕」だったと思う。40年近く前。近代文学や戦後文学とも違って、今の時代のことを書いているという印象だった。その頃の著者は40代でしょうか。

落ち着いた作風だったという記憶。「高く手を振る日」は老人の恋愛。小学生がつきあってもせいぜい一緒に下校するくらい。老人もまたしがらみを抱えて、話したり、ソファーの上で抱き合ったり。老人なのでプラトニックなどという淡いものではなく、もう体が言うこときかないんですね。それが切ない。蓮如のような老人は稀。

本書は昔、担当していた編集者に勧められ、あちこちに書いた短いエッセイや書評、追悼文などからなる。どこからでも読めて楽に読めてよかったのですが、ちょっと物足りないのはこんな種類の本ではいつも感じること。仕方ないですね。

追悼文を読むと、もう歴史の彼方に去ったような作家と同じ時代を生きていたのだと、改めて著者の長寿を感じた。昨年も小説を出したようなので、これからも生きていいものを書いていただきたいなと思います。

読書の勧めの中の、佐多稲子「時に佇つ」をまた読み返したくなったけど、こちらもヤフオクへ行ったらしい。また買って読みますか。南木佳士の「トラや」も面白そうだけど、他の作品の中で、自分の父親を引き取って妻に介護させる話があったので、小説だけど嫌になって、以後読まない。作品の背景として書いているのですが、背景にされる妻の立場に同情した。小説だけど。


こういう体裁の本はなかなか自腹を切ってまで買いにくいので、出会えてよかったです。昔の知り合いのその後の消息を聞いたような読後感。最近は書店に行ってもなかなか読みたい本に巡り合えず、なにをどう考えたらいいのか標なき道でばあちゃんは惑うばかり。

 

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去る者は追わず、来るものは大歓迎

2022年05月30日 | 断想

画像はお借りしました。

先日会った遠くの友達、まだまだ話し足りないので、私から声かけて来月また会うことにした。

元々は同じお稽古事をしていた仲間、その教室は数年前に解散になり、その後延々みんなで遊んでいたけど、次第に疎遠になって行くのは仕方ないこと。それがまたちょっとしたきっかけで二人だけでよく話するようになった。

他の人に悪いとは思わないことにした。気が合う、話が合うとあちらから認定してくれたのだから素直に歓迎し、二人だけで付き合うことにした。もちろん、みんなで会うのも歓迎ですが。

これとは別の遊び友達のグループ、勤めている人がいるので遊ぶのは日曜日が多いけれど、私は日曜日はたいてい出歩いているのでいつの間にか誘われなくなった。ちょっと寂しいけど、もう気にしないことにした。

その中の一人が、私に悪いと思ったのかどうか、最近よく遊んでくれる。おばあちゃんの遊びというのは家へ行って食事呼ばれたり、お茶飲んだりということです。この、家に呼ばれるというのが私は何よりも嬉しい。どんなに豪華なレストランより(行ったことないけど)、くつろぐし、時間制限はないし。

で我が寓居にも来月には来てもらう予定です。

今年の初め頃は、人に去られるのがとても辛くて北山修氏の「ハブられても生き残る方法」を読んで、サバイヴの方法考えたりしていたけど、待てば海路の日和ありで、普通にしていればまた流れも変わるのだなあと最近しみじみしている。

その体験を通じて思ったのは、人が去って行くのもそれは流れなので、いいとか悪いとかはないということ。人の興味は変わり、縁が切れるのは普通にあることだから。

ネット上のお付き合いでも、人は出会いまた別れ、長いお付き合いの人もいれば、一時親しくてもいつの間にかお互い縁遠くなるのはよくあること。興味の方向が違ってきたり、価値観の違いに気がついて付き合いが続かない。それはいいでも悪いでもないと私は思います。

それを踏まえたうえで、最小限のエチケットとして、人には丁寧に対応、その場に居ない人の悪口は別の人に言わない。それを見ているかもしれない人のことは書かない、言わない。これからは特にそれを気を付けたいと思います。

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自動車の高齢者講習でした

2022年05月30日 | 日記

免許証の更新はまだ先ですが、本日、高齢者の講習を受けました。

指定時間に近所の自動車学校へ行くと、男性(おじいちゃん)が9人、女性(おばあちゃん)3人が集まってきました。

まずは一人ずつ視力検査。通常視力、動体視力、視力回復時間を測ります。

間違ったらどうしよう・・・とか結構緊張しましたが、年相応とのことでした。

ちなみに講習なので不合格はありません。

続いて外へ出て運転します。真っ赤な車です。

と言っても、こんな車ではなく・・・画像はお借りしました。

ましてやこんな車でもなく、画像はお借りしました。

赤のマツダ車でした。

コースを回るのですが、我が家の車とウィンカーとワイパーが左右逆で焦りました。

合図出したつもりがワイパーがシャアカ、シャアカと動くし。。。。

極めつけは「右へ行って」と言われたので右車線に入り、対向車が来たら急いで左へ戻るテストかと思ったら「逆走です!」と厳しいお咎め。

右折するんだったらしい。なら分かりやすく「Bのコーナーを右折」とか言って欲しいものです。

外側コースを周回したり、段差に乗り上げたり、これ、本番の試験なら当然不合格ですが、講習なのでそれもなし。

修了書をいただいて本日は終わり。

友達が認知症のテストがあるって言ってたけど、それはもう少し年行った人でしょうか。男性が、車に乗る時3人いなくなっていたのは謎ですが、深いこと考えない。(帰ったのは二輪限定の免許の方らしい)

女性三人はわずかの時間だけど仲良くなってちょっと話して楽しかった。

ということで、これからは一層安全運転に勤めます。

 

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島根県邑南町、山野草の楽園へ行く

2022年05月29日 | お出かけ

月末まで公開、最後の日曜日に出かけます。

広島道→中国道→浜田道→大朝IC→県境→道の駅瑞穂→山野草の楽園。

1時間40分くらいで到着。

地元有志の方で運営管理しておられます。

いろいろな山野草を植えて見学できるようになっています。

例年4月から5月に公開。途中の道の駅で「もう閉まっている」と告げられるも入ってみると開いてました。

花がないので・・・と言われたけど見学させてもらいました。

ヤマシャクヤク

キエビネ

キエビネ

シライトソウ

山道を登ります。

ムサシアブミ

ヒトリシズカ

ブタヤクシュ

マムシグサ 花は四月半ばから末頃。

水芭蕉も葉が茂り・・・

ヤグルマソウ

拡大

葉の先を金魚の尾に見立てる。

ミヤマシキミ

マイヅルソウ

ササユリとウラシマソウ


この後、木陰で、道の駅で仕入れたお弁当食べる。

涼しい木陰。だあれもいません。

前回は15年くらい前、アツモリソウ、クマガイソウが見事でしたが、アツモリソウは消滅したとか。

次はもっと早く、四月中に来たいものですが、次はいつになることやら。

帰ります。以前はここも水を張って水生植物があった気がしますが、今はこんな感じ。


帰りは地道で。千代田から土師ダムへ回り可部経由で帰る。

風がないので、鯉のぼりがシシャモみたいに一列に並んでおとなしく。

土師湖畔のサイクリングセンター前で。


本日のお買い物。

夫は茄子の苗、私は野菜、タケノコ、味噌など。いずれも島根県の道の駅瑞穂で。

味噌は八丁味噌みたいにコクがあっておいしかった。邑南町内の醤油醸造元が製造。

垣崎醤油店 0120-141639

山野草は期待外れでした。でも久しぶりに一般道を走って珍しかった。沿道のいろいろが楽しかったのでそれでよしとしましょう。

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広島大学跡地へ

2022年05月28日 | お出かけ

夕方出かけました。

電停の名前は広島大学前から日赤病院前へに変更。

門柱は大学当時のもの。

フェニックスも統合移転した東広島が寒いので残留。

今は一部が東千田公園に。

旧キャンパス内はマンションに商業施設いろいろ。

森戸道路と呼ばれた、正門からのメインの通り。

突き当りが理学部一号館。

被爆建物。戦争末期には中国軍幹部本部になっていた。←見たわけじゃなくてそういう話になっている。

活用方針が決まらないまま今は立ち入り禁止。

広島では被爆建物と名前が着くと扱いが難しくなります。取り壊さず、活用できず、時間だけが経っていきます。

玄関周りの意匠。

昭和6年完成。分離派風のようでもあり、和風も感じる。

タイサンボクの季節。北アメリカ原産。芳香あり。

桑の木があります。

実が黒くなると食べごろ。

子供の頃よく食べた。届くところのをいただく。

古を静かに思え。半世紀も昨日の如し。

元のグラウンド付近にタワマンが。

この後、夫と待ち合わせて食事。食後は早々に解散。それぞれ別のルートで帰る。

着かず離れて。君子の交わりはそれ水のごとく。

日赤方面へ歩く。中華料理の北京亭だけは昔のまま。

正式名称は広島赤十字・原爆病院。昔の正門付近は救急車の入り口?

被爆当時の病院長の奮闘ぶりが、大江健三郎、ヒロシマ・ノートには詳しい。私が広島に来た頃はまだご存命だったはず。

と、いろいろと記憶を喚起される場所ではありました。

50年前、原爆病院の玄関は南面していて、お年玉記念広島原爆病院とあったので、建設には年賀はがきの寄付金なども使われたと思います。

すみません、ばあちゃんのたわごとです。

来週は運転免許の高齢者講習。友達によると認知症テストの予習本を売っているらしいけど、昔も今も予習嫌い。ぶっつけ本番で行く。

電停から。

電車に乗って帰ります。

夫はスーパーで買った食材持って歩いて家まで。ご苦労様。

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「蓮如」五木寛之

2022年05月27日 | 読書

1994年発行、28年前の本。本棚整理してまた読む気になり、読んでみた。

前に読んだのは40代、今は70代。

前、どんな感想持ったかもう忘れたけれど、今回読んで85歳の長寿の蓮如が以前よりは身近に感じられた。

蓮如は親鸞から数えて8代目の本願寺法主。真宗門徒の中では有名人ですが、世間的にはあまり知られてないのかもしれません。

本願寺というと、現在京洛の一等地に大伽藍を誇る東西本願寺を思い浮かべるかもしれませんが、応仁の乱頃の本願寺は大谷にある親鸞の墓所を守る小さなお堂で、信者の寄付で運営、その暮らしも質素を通り越して厳しかったようです。

浄土真宗も今のように盛んではなく、当時はやはり比叡山の天台宗が圧倒的な力を持っています。

父親が20歳の時、住み込みのお手伝いと思われる女性との間にできたのが蓮如。6歳のとき、父親が正式な妻を迎えたので実母は幼い蓮如に何も告げず寺を去って、以後行方不明。母親は蓮如の姿を絵に描いてもらったと聞き、その絵師を探し出して同じ絵を描いてもらう。

ううう、ここでもう70代になって、似た年頃の男の孫を持つ私は泣けてくる。うちの孫は小学生になっても「ママおっぱい~💛」とママの胸に手を入れていた。

おばあちゃんの触ってもいいよと言うも「嫌だあ」だそうです。でも今はしなくなりました。お姉ちゃんに「ママおっぱいしたらYouTube禁止!!」と言われて卒業できたようです。

話が大きく逸れましたが、そのくらいにまだ甘えたい年頃、お母さんがいなくなる・・・子供にはわけわかりません。不憫です。

蓮如は27歳で最初の結婚をし、43歳で法主を継ぐまでは寺に部屋住みの身、子供は7人、全員を手元では育てられず別の寺に奉公に出したりと厳しい暮らしだった。

41歳で最初の妻は死去。子供を7人産むし、当時だから栄養も悪いし、女性は特に早死にだったのでしょうか。

父の死後、自分の寺から天台宗の宗教色を一掃し、宗祖親鸞の教えに立ち還ることを表明し、比叡山から迫害を受け、寺も壊されて琵琶湖畔、堅田の支援者を頼って本願寺を移す。その後越前の吉崎に大きな道場を作り、大いに栄えるも、信者の集団が力を持ちすぎてコントロールできなくなり、64歳になって京都の山科に本願寺を移す。

75歳で隠居後も山科で終生暮らし、85歳没。山科には蓮如の廟所があり、今年三月見てきました。大名の墓のように立派で、現在は東西の本願寺が協力して管理しているとか。


この本読んで改めて思ったのは、蓮如の布教に当たっての卓越した発信力、組織力。

親鸞の教えを時代に合うように分かりやすい短文にまとめて、信者団体に下付する。

それは今も御文章や和讃として残っている。信者が集まると読んだり唱和して絆の確認。それから南無阿弥陀仏の六文字を書いて与える。また当時、成長してきた在地農民の集まりである惣村に宗教的共同体「講」を組織し、信者を広げていく。

きっと弁舌に優れたプロパガンダでもあったのだろう。

それよりも驚くのは妻は死別再婚を繰り返して4人、子供は総勢27人で、最後の子は84歳で生まれている。巻末の年譜で83歳、老衰著しく医師の診察とあるけれど、翌年には子供です。もうお、びっくり。にわかには信じがたい。83歳ならひ孫がいてもおかしくない年、それで実子なんて絶句。

とてもとても生命力にあふれた人だったのでしょう。

山科に落ち着くまでは一所不在、布教に明け暮れた一生でした。これ、大河ドラマにすれば絶対面白いと思うけど、他の宗派の手前、難しいのかもしれませんね。


めったに泣かない私ですが、P154では泣けました。

以下引用

蓮如の「お文」「御文章」といわれるものは、ある状況下においてそれを聴くとき、思いがけない大きい力でひとをゆさぶる文章なのです。そのときずばりと胸に食いこんてくる言葉です

引用終わり

先月、知り合いの方の若いお身内が、短い闘病のあと亡くなられました。何とも慰めようもなかったのですが、姑様にお悔やみ品を頂いたので、わずかばかりのものをさせてもらいました。その時思い浮かべたのは「白骨の御文章」。

身内と死別しない人は皆無、誰もが経験する。その悲嘆の極みで、黙って背中を撫でてくれるように文章だとやっと気が付いたのです。そして、自分のことを言っている、あの時のことだと感じられる普遍性が今に続く御文章の力かと思います。

若いころ、子供のころは死は他人事、どこか遠い出来事でしたが、この年になると、死は生きている一続きと実感できます。すぐれた文学が人を慰めるように、優れた歌で癒されるように、この短い文章で延々と癒され続けてきた人がいる。そこに宗教者としての卓越性を感じるのでした。

あの世があるとか、なくなっても魂は死なないとか、そんなことは全然考えない私ですが、宗教に掛けた人の一生の力強さ。それがたいそう魅力的でした。

蓮如上人 山科廟所 2022/3/21 午後4時頃。

扉の隙間から向こうを写す。

説明版。

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単衣に開きの八寸帯

2022年05月27日 | 着物

きょううはこちらを着ています。

麻の柄、単衣の着物に軽い夏用の帯です。小物ももう夏用にしました。

きょうは写真がちょっとあれなので小さくしましたが、スマホだと拡大できるんですよね。やれやれ。

さすがに単衣、涼しいです。袖口から見八ツ口にかけてが涼しい。首回りも涼しい。

単衣の着物はあまり持ってません。でももう増やさない。あるもので楽しく。

今年もたくさん咲きました。白い花が好きです。

こちらも今年は元気がいいようです。

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60歳すぎたらやめて幸せになれる100のこと

2022年05月26日 | 読書

昨日、久しぶりに本屋へ。

満面の笑みの中尾ミエさんの表紙に惹かれて買って、すぐ読めた。

分かりやすくてこれからの暮らしの道しるべになりそう。

60歳はとうに過ぎたけれど、そのころ読んでもまだピンと来なかったと思う。今読んで、暮らしをシンプルに楽しいことだけしようと決心がついた。

先への不安、心配はあるけれど、予測不可能なことも多いし、健康で人間関係をよくしておけばあとは流れに任せてその都度考えればいいと思う。なんかすっきりした。

参考になったこといろいろ。

ダイエットしない。痩せてももうきれいにならない。確かに。それより無理なダイエットで筋力が落ちないようにする。

無理な運動をしない。

孤独を恐れない。老人ホームに急いで入らず、出来るだけ一人で暮らす。子供と同居しない。

いろいろな行事、習慣を見直し止める。冠婚葬祭は行かない。同窓会も行かない。年賀状も止める。

台所もシンプルに。洗い桶、三角コーナーを使わない。

収納グッズを買わない。買えば買うほど片付かなくなる。収納しただけでは物は減ることはありません。←おっしゃる通り。夫にも言いたい。すぐに便利な道具を作りたがる。

そして孤独を恐れないと矛盾するけれど、60過ぎたら離婚しない。離婚には膨大なエネルギーが要る。それに割く時間も体力ももったいない。とりあえず離れる。夫とは一緒に食事しない。一緒の部屋で寝ない。

夫を変えようとする努力は時間の無駄。人は自分のことしか変えられない。自分の貴重な時間を夫を変えるために使わない。

リフォーム、引っ越しなどは早めに済ませる。お金の整理などなど。

自転車に乗らない。投資を新しく始めない。

要するに手間のかかることを整理し、シンプルに暮らす。それを目指すということのようです。参考になりました。

最後に参考にならないことが2つ、運転免許証の返納と病院からもらった薬を全部やめてみるということでしょうか。

街中でも車でないと行きにくいところはあるし、まして田舎だと車手放すと生きて行くことすらままなりません。

薬は、処方した医師に「やめたい」と伝えましょうとあるけれど、医師相手にどう言うかむずかしいところ。それより、健康や美容のサプリを止めた方がいいのでは。あれ、効果は不明確、お金だけかかりすぎ。

今まで何となくモヤモヤしていたことの答えが見つかって、690円ですがいい本でした。最後にメルカリへの出品の仕方、詳しく解説しています。


この年になると、大切なのは残された時間。今までの暮らしの残滓のようにしてたまってきた物は潔く手放して、物に振り回されない。お金も必要なだけあればいい。

健康と心許せる人間関係、これが何よりも大切と改めと思いました。

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糸が届いた

2022年05月26日 | 機織り

昨日午前に注文、きょう10時頃、大阪から届いた。

速ッ!!

右端白だけ2枷。

色がいろいろ。一枷400円足らずととても安いと思う。

この店はロープから糸まで、何でも扱っている。織りの友達が直接行くと、倉庫の在庫からお目当ての糸を探し出してくれたそうです。

私も一度行ってみたいなあ。好きなだけ糸買ってみたいけど、まずは手持ちの糸を消費しなければ。

初めは風通織りをするつもり。

しかし、私の織機4枚綜絖では踏み方が複雑で(同時に3本踏むとか・・・タコなら簡単かもしれないけど足は2本しかないし)、かなり難しいことが分かったので、方針転換。

久しぶりの機織りでワクワク。進捗状況、またこちらで追々見ていただきたいと思います。と自分を追い込む。

きょうは夫の仕事が午前中。午後からバイトに行き、その後いったん帰宅、私と道具を積んで墓掃除と山の落ち葉の採集。屋上で腐葉土作るらしい。

毎日出歩いているので、早く梅雨になってもらいたい今日この頃。

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機織り用糸の注文

2022年05月25日 | 機織り

さて、長らく機織りをさぼっていましたが、次に織るものの準備で糸を注文しました。

こちらのお店はネット販売なし、初めに糸見本を千円くらいで取り寄せ、以後それを見て電話またはFAXで注文。支払いは郵便口座へと、昔ながらのやり方。

楽で何か安心。

糸は枷で来るので自分で糸巻きに巻替え、整経する。

上品な色ばかりで、木綿に表面加工して光沢もあり滑りもいいし、何よりも安い。1kgで4千円前後、一枷100gは12/2の糸なので600mの長さ?

いやもっと長いと思う。後で調べます。木綿と羊毛では規格が違うらしいので。

来年の展示会に向けて、ぼちぼち頑張ります。


昨日、友達の家で、器が面白かった。私が持って行った海苔巻きを載せたお皿が漆塗りで菊の紋章入り。さるお宅と同じ紋章です。

京都の親戚のご先祖が京都御所のすぐそばに住んでいて(お公家さん?)、東京へ行く前の明治天皇が門を通らずに塀の破れたところからこっそり出入りして遊びに来ていたという話は前に聞いたけど、昨日の器も、東京へ行くときに断捨離で整理し、もらったのでしょうか。話に夢中で詳細聞くのを忘れてしまった。

また今度出されたら聞いておきましょう。

お嬢ちゃんの作ったスムージーがおいしかったのでハンドミキサー買いました。

本日昼に使いましたが、使った後の片づけが楽です。時々使う予定。よそへ行くと違った暮らしで刺激がありますね。

台湾パイナップルが初めてだそうで、珍しがっていました。我が家はよく買いますが。

籠バッグは同じ作家の同じシリーズが今ヤフオクに出ている、昨年より2千円と送料が安くなってるとそのページのアドレスもメールしたけれど、落札するかどうかは不明。

私のは中国製の一番皮3ミリの網代編み、国内製作。取っ手はリング付きで、内布が付いています。今度はごついのが欲しいなと思うけど、寿命と相談しつつ、今あるものをまずは使いましょう。

やれやれ、一休み。マイセンの器は10年前、マイセンで買ったけど、日本でも似た値段で売っていた。残念。

これはシールを張り付けるのではなく、下書きの線をペインターが面相筆のような細い筆でなぞっていました。すっきりとエッジの立つ線。。。。

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洗える着物、新品108円を着る

2022年05月25日 | 着物

本日はこちらを着ます。

洗える着物に、開き仕立ての名古屋帯。

ほらね、着てるでしょ。

家にいるので髪はテキトー。

顔もいつも通り。

普段着物は長襦袢とかあれこれ着ない。

楊柳(上は手偏になってる恥)のズボン型裾除けに、長じゅばんと肌襦袢を兼用した腰までの・・・長襦袢もどき。

着物は暑いようですが、腰回り以外は布地が体から離れているので、袖口から身八口に風が通り、胸元と首の後ろから背中にかけても開いているので案外涼しいです。

で、タイトルの通り、この着物は新品を108円で買いました。3年前、消費税の上がる直前です。

前のブログの記事を再掲するのでよかったら見てください。


2019年9月。きょうは着物を衝動買いしてしまいました。

着物は母のお下がりや、その他いろいろあり、自分でも何持ってるか全容は忘れています。

そろそろ整理して、ほどいて洗ったり、捨てたりする予定でしたが、つい出来心でポリの小紋、買ってしまいました。

衣文掛けに掛けるのも、おこがましくてバサッと椅子の背に掛けてみる。

柄はいかにも、生地もまあそこそこ。

汚れたら洗濯機で洗ってくださいと言われて、普段に着るつもりでつい買ってしまいました。

値段は・・・値段は・・・108円でした。

証拠の領収書。ほらね、ちゃんと108円でしょ。

新品でおひとり様一枚のセール中。こちらもゆめタウン二階。最近できた店のようです。

着物は108円だけど、これに合うからとポリの半幅帯5万円を強引に勧められ、店員五人に囲まれて3時間も帰してもらえず、というとっても怖いことにはなりませんでした。

108円払ったら品物渡されて、すんなりと帰してもらえました。

まるでキツネにつままれたみたい。

明日になったら、この着物、葉っぱになってませんように。

丁度30歳くらいの全然知らない人が居合わせて、一緒に選んでくれました。

着物お好きなんですか?

着るというより、この値段だと今日のブログのネタですね。

と言いながら、その方も着物好きのようでしたが、あまりに安いので躊躇しているようでした。

一千万の久保田一竹着ると気分いいでしょう。百万の大島でも、十万の小紋でもその値段相応のいい気分になるでしょう。では108円の着物はどんな気分で着ればいい?

たぶんとっても平常心で。ユニクロ着るみたいに。いやいや、ユニクロだってこれに比べたらうんと高い。

そして、きょうは午後から、月に一度の水彩画の日、よせばいいのに私のことだから、108円と早速自慢した。

皆さん絶句。今度着て見せてねというところに話は落ち着く。うーーん、外へ着て行く気になればいいけど、今日一日のブログのネタで終わるかも。

夫に値段言うと、普段私のすることをめったに褒めないのに、消費税が高くなる前に買えてよかったと一緒に喜んでくれました。

きょうは一人でなかったので、小さな声でひそひそおしゃべりしながら描いて出来はイマイチ。

なんか武者小路実篤みたいになってしまった。。。。ザクロとかぼちゃです。

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友達の家で遊ぶ

2022年05月24日 | 日記

 

本日、歩いて15分くらいの友達の家で近況報告を兼ねて話をする。と言ってもつい先週会ったばかり。

近所の店で海苔巻き、赤飯のおにぎり、台湾パイナップルを買って持参。一緒に昼ご飯を食べる。たまたまお嬢ちゃんが仕事が休みで、珍しいものいろいろ作ってくれる。お母さんは時々、台所の方を向いてアドバイス。

いいですねぇ、女の子は。

小松菜、リンゴ、ヨーグルトのスムージー。とてもおいしかった。豆乳のグラタン。これもおいしくいただいた。あとは野菜スープに私の持参したものも食べて充実のお昼ごはん。

お嬢ちゃんは同じマンションに住んでいるので、そちらにもお邪魔して少し話をする。

きょうは午後から写経なので、急いで帰ろうとしたら友達が家まで車で送ってくれた。ありがたや。


来月また我が家で、他の友達も一緒に、情報交換しましょうと約束して別れる。

写真のヤマアジサイは、我が家のと似た花。5本くらい切って持って行った。

地味な花でごめんなさいと謝ると、店に売ってないこんな花がいいと言ってくれた。よかったあ。こんなものでいいならいつでも。アジサイは水揚げが悪いのでとりあえず全体を水に浸けるようお願いした。


お嬢ちゃんが私の山葡萄のバッグに反応、買ったサイトを探して帰宅後メールした。

30万円くらいするのかと思ったとのことで、値段に驚いていた。バッグもピンキリ。デパートの催し場では流通経費も上乗せになるでしょうし。

籠バッグは軽くてものの出し入れしやすいし、夏は洋服の時も持つ。着物の時は年中持つけど。

これからの毎日、一日に一度は楽しいことがあるといいなあ。ない時は自分で作る。


過去と他人は変えられない。未来と自分は変えられると人はよく言いますが、過去だって人に話して気持ちを共有してもらえれば、自分の体験したいいことも悪いことも今の自分を作る糧になっていると冷静に考えられると、私は思います。

事実は変わらないけど、意味が変わってくるのです。

それで人の苦労話はじっくり聞くようにしています。世の中には想像もつかないミラクルな話でいっぱい。そして自分の話をするときも分かりやすいように整理するうち、自分を客観的に見られるようになると期待しています。

彼女は這いつくばるような介護の経験はないので、その点では幸運だったと思います。いい悪いではなく、すべては巡り合わせ。介護の経験はしたものでないと分からない。でも私にとっても遠い景色。

あの日があるから今がある。過去が大変だったから、今が幸せに思えるって、午後から近所のお寺へ行ったのでだいぶ気持ちが落ち着いたようです。


健康に気を付けて、この人生、もう少し頑張りましょうか。

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安芸太田町の里山歩き

2022年05月23日 | お出かけ

5/22(日)

昨日はこちらへ行きました。

広島県安芸太田町 [登山・山行記録] - ヤマレコ (yamareco.com)

と言っても私は登らずに麓を半周、反対側の下山口で合流する段取りです。

私は前夜、3時間しか眠れず、朝もあれこれあって(詳細は末尾に)、気力は沸かず、とりあえず一緒に出掛けます。

中国道の加計スマートインター下りてしばらく行くとぷらっとホームつなみがあります。

廃線になった国鉄の駅舎の跡地らしい。川沿いに三段峡まで鉄道がありました。

野菜、果物、お弁当の販売、軽食の食堂などがあります。

車を置いていざ出発。

三島神社の奥から登山します。

私はここで別れて車道を東登山口まで歩きます。

田んぼにオタマジャクシ無数。

元気に泳いでいます。

トノサマガエル。

ミズスマシ。

あちら中国自動車道。広島県の山間部を通っています。海岸沿いは山陽道。二つの道路を結ぶ高速道路が広島道です。

昨日は広島道経由で中国道へアクセス、下り山口方面の最初のインターが戸河内ですが、その手前に無人の加計スマートインターが。我が家からは約1時間と近いです。

道路を回り込んでさっきの石段の上に出ます。

急な石段です。

日影がなくて暑い。バス路線は既に廃止。振り向いてバス停の標識を写す。

たまに車が通るだけで、歩行者は私以外皆無。

茶屋庵という小さなお堂まで来ました。

風格ある古木。手前がヒノキ、奥はスギ。昔から地区の人が信仰しているようです。

正福寺。古刹。

小学校の前まで来ました。

既に廃校。

地区の人たちの思いが刻まれています。

校舎その他は特に傷みもなく、校庭には草一本もなく、地区の人たちが手入れをされているのでしょう。

東登山口の先に古墳があります。

手前が有力者の墓。副葬品も出土したそうです。

向こうは子供用の甕棺が出たそうで、子供の墓だということです。

説明版。

プール建設で出土して、こちらへ移されたそうで、周りは公園になっています。

イノシシ捕獲用の檻。間違えて入らないように。

シイタケのホダギ。

カメラはイノシシの監視用?

夫は山頂でお弁当食べるというので、私はベンチで食べます。

五月の風がとてもいい気持ち。

ベンチにコガネムシの仲間。

この景色をスケッチしました。

右は体育館、プール、校舎など。

カエルが鳴いています。

このあと夫と合流、来た道を引き返します。

さっきのお堂。左へ下ります。

石垣にアマガエル。

琺瑯看板。

バラまき育苗というのがよく分かりません。

昔と違って、苗代で苗を作らず、出来上がりを農協で買って田植え機にセット、あっという間に田植えが終わるようですが、農村離れて半世紀、今の田植えの様子、見たことありません。

棚田と農家。

空き家、廃屋がたくさんある中で立派な家もあります。

この後再び車まで戻り、夫は疲れたというので家まで私が運転。本人、横でほとんど寝ていました。

きつい山だったそうです。


眠れなかったのは夫が前夜、姑様の遺品のハンガーラックを家に持ち込んだから。

こんな感じ。ディノス様より画像お借りしました。これよりはうんと横長。

自分の服はクローゼットに収めておけばいいのに、すぐに着るものを掛けたいそうです。

便利に使っている方もおられるでしょうが、私は今までなくて済んできたのに、ちょっと便利だからと収納家具を増やすのが大嫌いであります。

姑様は↑のようなのが3つくらい、それから回転式も2つ持っていました。

Amazon内山善様より画像拝借。

それを廊下や部屋に置いていました。

それから収納ボックス各種。スチールの枠の着いた9連結だったかの収納ボックスは押し入れのふすま外してセット。中には義弟妹の学校時代の制服など、何でもかんでもとっていました。

布団は畳の上にじかに置き、進物の箱各種、その他ありとあらゆるものが自然発生的に出来た通路を除いて積み上げていました。そんな部屋が三つ。

それ思い出して気分が悪くなって胸がバクバク。ついでに介護のときのあれこれ思い出してさらに気分が悪くなってしまいました。

もうおーーせっかく忘れていたのに。それで朝出かける前にひと悶着。

あれ見るとあんたの実家にいるみたい、嫌なことを思い出すので見たくない。

なんでそんなことで・・・

嫌なものは嫌。

話しながら、今までの嫌だったこと、悔しかったことを一気に思い出し、泣いてしまった。

普段はめったに泣かない私です。前は多分、霊安室でまだかすかに温みのある姑様を撫でたときかな。

それで夫も折れて、撤去して木で新しく作るという話になっていましたが、今朝見るともう胸もバクバクしないので置いてもいいことにしました。

その代わり、あの部屋の掃除器はかけてねと頼む。

私は収納家具が大嫌い。却ってものが増えて、見た目も悪い。押し入れなりクローゼットに収まるだけのもので生活するのが楽でいいのに。血は争えないわねとここで嫌味の一つを。

姑様は本当に物を捨てない人だった。上から上から積み重ねて、自分でも何を持っているのか忘れていたと思う。そうなってからでは遅い。頭のクリアーなうちに物は減らしましょう。

と、お出かけとは関係ない話になりました。

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里山は五月晴れ

2022年05月22日 | お出かけ

安芸太田町の集落を歩いています。
田植えを終えた田で蛙が鳴いています。
いいお天気😀

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洗える縮緬でGo!

2022年05月21日 | 着物

きのうは普段着とは言え、正絹の着物だったので夕食の支度する前に脱いで残念だった。

で、きょうは洗える縮緬を着る。洗えるというのはポリエステルです。

発色も鮮やか。柄も元気いいので、普段着にはちょうどよさそう。

昨秋着るつもりだったけど、膝が痛くてその気になれず、今日になりました。

色合いは秋ですね。帯を軽くするつもりで八寸帯にしました。格がどうのこうのは言いっこなしよ。ばあちゃんの普段着物、何でもあり、色が合ってればいいことにしています。

コンビニと百円ショップとイオンへ歩いて買い物行って帰宅したら、おやまあ、もうお昼過ぎてる。

2分後、夫帰宅。

たすき掛けてるけど、かたき討ちではありません。炊事をします。

急いでお素麺作る。簡単なようで道具いろいろ、手順いろいろ、結構めんどくさいけど、今年初めての冷たい麺がおいしかった。

茹で卵を丸のまま出したら夫が「なんでも大きく切る」と有難いご批評を。

そう、お母さんは何でも丁寧に時間かけて作る人でしたよね。私は気が短いので、波長が合いませんでした。ハハハ、そんなこと今さら口に出して言わないけど。

ついでに思い出したのは、姑様が着物着たのは私は三回しか見ていないこと。

私達の結婚式の留袖、舅様の葬儀の喪服。それとたった一度何かの集まりに外出するときに。

その時は帯が結べないと言われるので手伝いました。帯結び用の、帯枕の下に帯を通す窓が着いた一時流行った道具で手こずっていたので、それを外して、手結びにしたら「えっ、帯って結ぶんですか?」と聞かれたのには驚いた。私にすれば、えっ、帯って結ばないんですか?ですよ。結ぶというより後ろでねじるんですけどね。

私の母は、鏡も見ずにあっという間に帯を結んでいたので、自分の母親世代で着物着られない人がいるのにびっくりした。

でもまあ、着ないで済んでいくのが着物。姑様は時代を先取りしていたのかもしれない。そしてこの私、今の時代になって着物着るなんて時代をさかのぼりすぎ。

この格好で庭に居たら、通り掛かった近所の人が、一瞬、戸惑った顔を。買い物からの帰り、また別の人は私を見かけるとさっさと家の中に引っ込んだ。どう対応していいか面倒だった?

というようなことにめげず、しばらくは着物着てみましょう。


最近の写真いろいろ

本日の節約。豆苗二回目。

サラダにトッピング、汁物の青味、膾の天盛りに。

初版本帯付きでもエッセィ集は、オークションでそう高くないかも。

ちょっと読み返したけど、その時代に読まないと、面白くないことを発見。

作家も若く私も若かった。これもいずれヤフオクに出しますのでどうぞよろしく。

ヤマアジサイ。

地植えから挿し木で増やして鉢植えに。

色が違うのは土の違いと思います。

で、これも捨てるのはやめました。こんなんばっかりで狭い庭がいっそう狭く。


昨夜のEテレで、暮らしをシンプルにすると生き方が前向きになれるという番組をしていた。

なるほど、私も今使わないものを捨てましょう。どうしても残るものが私に必要なもの、そして私の行く先を案内してくれるもの。

それから一日に一度は楽しいなあと感じることをしたい。何もなかったら無理やり自分で作る。最近は着物かな。

 

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団塊の世代

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