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日記

日々のあれこれ
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夏が逝く 極楽寺山へ

2009年08月31日 | 旅行
きのうは一人で極楽寺山へ行きました。八月ももう終わり、充分遊んだはずなのにまだ遊び足りない気がして(立山で写真を取れなかったのがいたい)デジカメもってふらふらと出かけました。

でももう暑くて疲れるのは嫌。山頂近くの温泉施設「アルカディア・ビレッジ」の無料送迎バスを利用。
以前は廿日市発だったけど、宮内串戸に替わっていた。30年以上前、夫の仕事の都合で二年間、この付近に住んだ。広島から行くとあまりに田舎で、店が少なく、買い物がとても不便だったが、今は便利になった。

子供たちを連れて登ったのが1981年、そのあと1999年の年末に夫と登ったら、六月の豪雨で登山道が消滅、木の幹につかまりながらよじ登るうち、行くことも帰ることも出来ない崖の途中にいる自分を発見。落ちないよう気をつけてやっと登ったところが、極楽寺のご住職の家の庭。奥様が「あなたたちどこから来られたの?」とびっくりしておられました。
下はぽかぽか陽気、でも頂上は吹雪。だあれもいなくて、何かの工事をしていた土木事務所で暖をとり、できたばかりの温泉施設から帰りはバスで帰った記憶が。ちょうど十年前ですね。

きのうはまたお寺までバスが送ってくれるようになっていたので、便乗。帰りは温泉を利用して帰りましたが、650円はバス代だと思えば安いもの。

頂上近くの蛇の池は、水量も復活、きれいな睡蓮が咲いていました。
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短編を書くと豪語したのだけど・・・

2009年08月29日 | 暮らし
私は昨年末、数枚の年賀状だけ出して、他は全て今後年賀状でのお付き合いはご遠慮させていただく、その代わり年賀状掲示板というものを作ったので、そこでご挨拶をしたいと、まあ自分でも呆れるほど、すっぱりとほとんどの年賀状をやめた。

出したのは実母1、恩師2、親戚3くらい。で、その年賀状掲示板で今年は短編小説を一本書くと豪語してしまったのである。書く気はほとんどなかったけど、年の初めに目標を立てると自分を叱咤激励して頑張れると思ったから。

で、気がつくともう八月も終わり。三分の二が過ぎてしまった。九月は一番小説を書きやすい時期である。起きていても寒くないし、昼間も涼しくなるし。

うーーーむ、まず書く道具だけど、万年筆にコクヨの原稿用紙は論外、ワープロソフトも何かと使いにくい。とすれば、この場所のような、ブログとか日記でとりあえず書いてみるということになるけど、誠に恥ずかしいものである。

本名、ネット上のHNそれぞれに人格が出来てしまって、全く別な自分になりきらないとノンフィクションなんて書けない。今は時間は工夫すればいくらでもあるのだけど、なにかこう取っ掛かりがないというか。言い訳がましいなあ。

先日、実家からの帰り道、高速バスから見た夕焼けの空が燃えるように赤かった。古来、日本人は西の彼方に仏の国があると信じ、死後は西方極楽浄土へ成仏する事を願った。
信仰心のない私であるが、現実に打ちひしがれたとき、あの空の向こうへ行きたいと思う人がいることも理解できないではない。

この数年間、たくさんの被爆者の方の話をじかに聞き、極限状態での人の強さ、弱さ、美しさ、醜さなどいろいろと勉強させてもらった。
悲惨の極みにこそ美しい花が咲く…そんな話が出来ればいい。夕焼けを見ながらそんな事をふと考えていた。

写真は関門海峡の夕焼け。クリックで全画面表示。
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「差別と日本人」 野中広務 辛淑玉 角川書店

2009年08月28日 | 読書
被差別に生まれ、町議会議員から始めて最後は国会議員になり、森内閣で幹事長を務めたあと、現在は社会福祉法人の理事長をする野中氏。一方、人材育成コンサルタント、評論活動、講演活動を通じて弱者支援の戦いをする辛氏。二人の対談である。

近代日本における二つの差別、差別と朝鮮人差別を、それぞれの活動してきた場所、差別される側から隠すことなく話し合う。

見えてくるのは未だ差別を残しているこの国の、救いがたさである。差別はいろんな理由を付けて富を独占しようとするものの作った装置、人を差別することは快感と辛氏は言い切る。なるほど、快感は身体感覚なので、なかなか無くせないのだと教えられた。

○○とは何者か。朝鮮人と民をこき使って炭鉱を経営し、財を成した一族の御曹司にして首相の孫。それ以外に首相としての政治的資源は何もないからこそ、自分の出自で人を見下す。(公職選挙法に触れないようになんて、書き込みのページにあるのであえて名前は伏せます)
骨の髄までしみこんだ差別意識の持ち主、日本近代の差別を体現した人物こそが○○であることで二人の意見は一致する。

「野中もAもBもの人間、あんなのが首相になってどうする」と発言した話はよく知られるが、その他に笑ってしまうエピソードも。
なんと最初の選挙で、街頭演説の第一声が「下々のみなさん」と言うのであったらしい。それで選挙に落ちた。ネタかいな?と思うくらいつぼにはまった話。

このほか、辛氏からは石原慎太郎の差別意識丸出しのトンでも発言の数々。拉致被害者を帰す見返りの闇取引を、日本政府は全く履行していないという野中氏の明かす裏話。

最後は自分たちが、民として、在日朝鮮人として差別を告発しなくそうと活動すればするほど、家族親戚が厳しく差別されるという経験を涙ながらに語り合う。「お前は日本人の恐ろしさを知らない」と言って、辛氏の母親は体を悪くしてしまう。涙なしには読めないくだりである。

差別感情は誰にでもある。私も断罪を免れないだろう。でもそれを自覚し、無くそうと努力することは出来る。しなければいけない。それを教えられた。
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「やっぱり英語をしゃべりたい!」 中尊寺ゆつこ ちくま文庫

2009年08月27日 | 読書
著者は漫画家、2005年に40代の若さでなくなった。どうやって英語が上達したかというハウツウ本。
「必ずものになる話すための英文法」四冊を完璧に憶えたそうです。まず基礎は英文法という極めてシンプルな攻略法。
それと子供に早くから英語を習わせるのは無駄。日本語の基礎をしっかりしてこそ、英語も話せるとのこと。
やる気一杯でどんなところも物怖じせずに出かけ、次第にアメリカのセレブが集まるパーティや、外務省の海外の催しで英で講演するまでになる。大変な努力家で、その努力に脱帽する。

歯に衣着せぬ彼女の物言いは、英語が話せるつもりの気取った人たちに厳しい。いろんなものを少しずつかじって、結局ものにならない英語難民から抜け出すのは結局は目に見えない努力なんだと教えられた。

英語は目的ではなくてツール。世界で通用する貨幣みたいなもの。どこへでも物怖じせずに出かけられるのは英語という道具があるから。羨ましい。
あーーー、私も英語しゃべりたい。でもしゃべれない。

蛇足ながら私の英語体験。
三月に京都の大アンティークフェアで、若い外人女性が藍染めの古い布をつかんで「Do you have any more?」と聞いていた。
オーナーの年配女性、困った顔で「さあ、英語わからんしねえ」と苦笑い。
私が「もっとないですかと言ってますよ」と横からいらぬ口出しを。
おばさん、きっぱりと「ない!」で相手に通じてましたよ。
「Only one」と私が言い沿えたのはどうよ。おせっかいですね。

その場の状況、雰囲気、手振り、身振りでかなりの事は伝わるけれど、流暢な英語をしゃべるとこの私でもものすごく美人に見えるのではないかという妄想にとらわれています。
あーーー、私も英語しゃべりたい。でもしゃべれない。

写真は九重夢吊橋。九重連山、中岳頂上からよく見えます。
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ニッポン百名山よじ登り クレイブ・マクラクラン 小学館文庫

2009年08月26日 | 読書
ニュージーランドの登山ガイド、マクラクラン氏が自分のスタッフと二人で、78日間かけて日本百名山を登った記録。九年ぶりくらいに再読した。
この人は他に日本を徒歩で縦断したり、夏場にお四国を徒歩で回ったりもしています。

最初に笑わせてもらった。
女性の登山者を評して、友人のケンいわく。
「女性のグループも多いだろ。旦那は働いているか、死んじまったかだ!どちらにせよ、暇と金があることに変わりはない」

しかしなんとも早足の神風登山、ほぼ毎日登山、一日に2座登ることもある。
期間は97年、5月18日の霧島岳、開聞岳から8月3日富士山まで。車で移動登山、下山して風呂と夕食を済まして寝場所の確保(野宿もしばしば)。

体力と若さがあればこそ出来る事ですが、おりしも梅雨のシーズン、悪天候の山頂を極め、急いで下山、寝るのは日付が変わってからと大変です。
最後には山の楽しさよりも、風呂に入って横になる快地よさだけを求め、突き動かされているような体育会系のノリですね。

とても真似できないので、素晴らしいなあと思う反面、自分には自分に合った楽しみ方をすればいいのだとも思った。

この間遭難があったトムラウシも軽く横から登っているし、五月の雪の白山は手製のそりで一気に滑り降りるとか、もうびっくりです。

78日間の記録はその後破られたと夫が話しておりました。表現力がないと、夫が文句をつけておりました。それもそうかもしれませんが、簡潔で読みやすいです。

写真は九重山で。高いのは中岳ですが、形のいい久住山が百名山になっています。

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阿蘇の涅槃像

2009年08月24日 | 旅行
久住山頂上から阿蘇山がよく見えます。頭を左にお釈迦様が入滅したときの姿だそうで「阿蘇の涅槃像」と呼ばれるそうです。
好天の日にしか見えない、ありがたい眺めです。

クリックで全画面表示。
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いい姑、悪い姑

2009年08月22日 | 暮らし
今年から世に言う姑になった。姑…なんか嫌な言葉ですね。女が古くなって、意地悪になってって言う感じかな。そうならないよう気をつけますが。

私の考えは、放置。向こうから手助けを頼まれたら、言われた分だけする。善意を押し付けない。
家風なんてものを押し付けない。家は一代限り、夫婦二人が相談して自分達のいいようにするのが一番。とそう考えています。

息子の嫁さん、親御さんも、私のことどんなお姑さんかと心配していたかしら。
お互いのやり方を尊重していれば、衝突など起こらないはず。
必要最低限ーの常識に欠ける、世間に迷惑をかける、という場合は姑の発言権発動。でもそれは伝家の宝刀、一生に一度くらいでないと効き目がないものです。

今は携帯のメールという便利なものがある。わざわざ電話や手紙で連絡とらなくても、「きのうはありがとね♪」で心は通じる。で、若い人のほうがメール上手。私は娘がいないので、嫁さんのこと娘のように思いたいけど、まあ若い友達くらいの感じがいいかも。
どうしているかも気にはなりません。二人がよければそれでよし。「どうしても困ったときには言って来てね」とはじめに言ってある。

冷たいかな~?私のお姑さんは今まで一切の口出しをしてこなかったので、私は楽だった。それがどれだけ大変だったか、今になればよく分かる。

娘として育てられるのは母親に。嫁として育てられるのはお姑様に。お姑様はいい人なので、心安らかに生活できた。感謝してもしきれない。
立派な業績を残さなくても、家族を大切にしていい人だったと死後思われるだけでも、偉業だと思う。人生の幸せとは多分そんなところにあるのではないだろうか。

身近に、いろいろな醜い例を見ているだけに。。。。

写真は白木山麓、水辺に咲くイカリソウ。
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明日から九州へ

2009年08月21日 | 旅行
お盆は道が混むので、時差レジャーであすから九州へ行きます。四年前に登りそこねた久住山へ行く予定。
あの時は前日の由布岳頂上で、登山靴の底がいきなり取れて、ハンカチで縛って下山したのでした。翌日の久住山は断念、ふらふらと遊び歩いて帰宅しました。
あの時は九月に行くつもりになっていたら、大雨で山口県内の高速道の路肩が崩落、それからうやむやになっていたもの。今回リベンジできたらいいのですが。

写真は由布岳登山口。そのとき作ったページもよかったらどうぞ。
由布岳
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雨の立山

2009年08月21日 | 旅行
ツアーの写真が届きました。後ろは雨にけぶる山頂の雄山神社、3003m。せっかくの登山がこれですもんね。。。。
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「日本アルプスの登山と探検」 ウェストン 岩波文庫 絶版

2009年08月19日 | 読書
11年前の本を再読した。そのときと同じように面白かった。
ウェストンは英国聖公会の宣教師として、1888年に初来日。初めは九州の山や富士山などに登頂。

1890年には山好きが昂じてか宣教師を辞め、1891年から1894年にかけては中部地方の山を集中的に探検し、この本をロンドンの出版社から刊行した。

登山道もない時代に、ウェストンは麓で道案内人や人足を雇い、山頂を目指す。この本では登山ブームのはるか前、手付かずの自然に分け入ったときの感動がつづられる。と同時に、麓の素朴な村人との交流、近代化がまだ届いていない昔ながらの生活が、詳しく書かれている。そちらも同じくらい面白い。

中でも信頼をよせた案内人の嘉門次は、当時小さな小屋を持っていて、その小屋は現在も嘉門次小屋として営業しているところが凄い。ウェストンは嘉門次荷案内されて槍ケ岳に登るのである。嘉門次小屋

末尾に当時の装備が。ポケットの多い上着、薄いウールの下着など、今に伝えられるノウハウがすでに出来ていた事にも驚く。

水晶や銀の採掘ではなく、ただ面白くて登る。それが当時はなかなか理解されないが、ウェストンに刺激され、日本人も山へ登るようになる。日本近代登山の父、ウェストンの記念碑が上高地にあり、山開きの日には毎年ウェストン祭をして登山の安全を祈るのは広く知られたところ。

好奇心のかたまり、危ないことが大好きな健脚のイギリス人、日本人に対する差別意識もなく、草深い田舎人の慎み深さに敬意を払うところなども読ませどころ。

写真は昨年、信濃追分の民宿から。浅間山の噴煙・
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お墓参り

2009年08月17日 | 暮らし
お盆に、婚家の親戚のお墓にもお参りしました。三人が、1945年8月6日に広島で亡くなっています。合掌。
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絵付けのお稽古

2009年08月17日 | 暮らし
きょうは午前中、絵付けのお稽古に行きました。よほど服にしようかと思ったのですが、きょうも和服で。
お召に黄色の博多帯、帯枕なしで出かけました。暑いのは最初に長襦袢を羽織るときだけ。あとは体が諦めるのか、そう暑くありません。
きょう声をかけてくださった方四名。

(近所の方) 「素晴らしい格好で…お出かけですか」「ハイ、お出かけです」
(知らない方)「着物をキリリと着てるから尊敬してしまう」「そんなあ」
(近くの店で)「管理はどうしてるんですか」「シーズン終わったら洗いに出します」「やっぱりね。大変だあ」
(近所の方) 「夏の着物はすっきりしてて見ると気持ちいい。私も着たいけど足が 悪いので」「お大事に」

普段着の安い着物を着るだけでこれだけ広がる話の輪。うん、なんか自分自身がしゃんとするようで気持ちいい。

写真はきょう出来上がった絵付け作品。描かずに専用のシールを貼り、窯で焼きます。夏は青い柄も涼しそうです。
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「山岳霊場巡礼」 久保田展弘 新潮選書を読む

2009年08月15日 | 読書
山岳霊場巡礼

恐山、出羽三山、木曽御嶽山、比叡山、大峯山と熊野三山、高野山、立山、白山の山岳宗教が紹介されている。

ざっと読んでみて改めて思ったのは、日本の昔からの宗教の豊かさである。珍しい自然現象や常ならぬ景色にも霊性、仏性を感じ、それを信じる敬虔さと言い換えてもいい。
立山では山全体への信仰を基本に据え、その上で細かく仏教説話を作り出していく。昔の人って素直に地獄極楽の話を信じたんだなあと思った。

立山から仏教色が一掃されたのは明治の神仏分離令、廃仏毀釈によってである。天皇を神の子孫とし、国家神道を整備していく上で、神様より偉い仏様はあってはならないもんね。
でも朝廷も明治までは仏教でしたよね。京都の二尊院住職は宮中の仏事にはお経を上げに行ってたそうだし。なんで天皇は神様なんかになったんでしょうか。近代国家をこれから作るときに神様を持ち出すのが、アジア的。

庶民の心の問題=宗教にまで国が踏み込んで指図する時代は決していい時代ではないと思う。立山では山にあったたくさんの仏像が捨てられ、堂が破却されたという。残念ですね。そうでなければ、山はもっと賑やかなはず。

信仰とは不思議なもの。山に登るのも、信仰心があればこそ達成できる。今なら、写真とってブログで自慢したいという一心かな。(私の場合)
で、カメラをバスに忘れるという失態。

この中で未踏は、恐山、出羽三山、木曽御嶽山、大峯山と熊野三山。白山や比叡山は、高野山はもう行った。次は御岳でも攻略しますか。
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立山曼荼羅が見たい

2009年08月14日 | 旅行
昨夜、「剣岳 点の記」という映画を見た。国土地理院の前身、陸軍陸地測量部の職員が剣岳の頂上に三角点を立てるため、苦労して登頂する話である。

原作は山岳小説の大御所、新田次郎、八甲田山とかあといろいろ書いていますよね。
室堂山荘に泊り込み、全編オールロケだそうで、風景がとてもきれいでした。お天気のいい日ばかりではないので、大変だったと思う。背景と人物も合成ではなく、実際登って撮ったようで、苦労しただけの映像ではありました。

で、私は全く知らなかったのだけど、白山、富士山と並んで立山は二本の三大霊山、万葉集、梁塵秘抄にも名前が出てくるほど古くから信仰を集めた山だそうです。

立山の麓には信仰登山のための集落があり、宿坊多数、ガイド多数、必ずガイドを先達として登山するのが決まりだったそうで、北国の山裾の生産力の低い土地ではそれが生活の糧だったのでしょう。

じっとしていても参拝客は来ないので、宿坊の主人は「立山衆徒」として、全国を布教して歩きます。そのときに分かりやすく説明するため持ち歩いていたのが「立山曼荼羅」です。江戸時代のことでしょう。
立山曼荼羅

立山衆徒は他にいろいろなお札、山絵図(今の登山地図?)、経帷子(死ぬとき着ていると極楽へ行けるらしい)などを販売。女性には不浄除けのお札、安産のお札など。他にも薬や箸・針・楊枝・扇・元結などを各地の立山檀那衆の元締めである庄屋を通じて販売し、翌年代金を回収、旅費を差し引いて国許へ為替で送っていたそうです。封建時代というと、土地に縛り付けられた農民のイメージですが、こうして宗教色の強い商活動が発達していたんですね。

このあたりのことは立山曼荼羅@アマゾンに詳しいらしいのですが、著者のウェブサイト
立山信仰と立山曼荼羅の概説でもおおよそのことはわかります。

スケールの大きな立山の光景は、今以上にこの世のものとも思えない感動を生んだはずです。

立山曼荼羅では立山の峰の一つ一つに謂れがあり、阿弥陀如来は浄土山と雄山の間から来迎し、剣岳は死の山、地獄谷はこの世の地獄、みくりが池は寒の地獄、血の池は(鉄分が多いので赤くなってる模様。似たものが香川県屋島山上にもあり、源氏が刀を洗ったと言われています)女人が落ちる地獄、と見てよく分かる曼荼羅になっています。

男は夏に苦労して立山に上ると、死後は極楽往生が適い、女は秋に麓の行事にお参りすると同じご利益があったとか。なるほどね。圧倒的な自然のたたずまいの中では、人智を超えた大いなるもの、悠久の力を感じてしまうものね。現代人は宗教心が薄いけれど、山では、日常生活の細かなことにとらわれる自分をちょっと振り返ってみたりする。

それにしても、立山って女人禁制だったんかあ~~~~、知らんかった。それなら、この間のツアー、ガイドさん、添乗員さん、ドライバーさん、夫婦連れのご主人のほうの四人以外はみんなアウト。いゃあ~昔に生まれんでよかった。よかった。
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夏山歩き、要るもの要らないもの・・・私の場合

2009年08月13日 | 旅行
登山用品店に行くと、靴、ザック、ウェアーの他にいろいろあってつい欲しくなるけど、携行品が多いと管理も面倒、忘れ物も。

で、備忘のため、持って行ってよかったものを書き出してみます。これはあくまでも私の場合。皆様もそれぞれの工夫があるかと思います。
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必要
ポカリスェットの粉末
濃い目に溶かして、水とは別にジュースのつもりで飲む。おいしかった。

黒砂糖
一口分くらいの塊にして密閉容器に。添加物なしでミネラルたくさん。飴やチョコよりおいしい。

小さな菓子パン
疲れるとおにぎりが喉を通らない。休憩のとき、一個ずつ食べる。元気が出る。

輪ゴム、ガムテープ、紐など。
何があるか分かりません。安心のために。重いものでもないし。
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不要
スパッツ
今まで、雨具で間に合った。一度泥だらけになって後で洗うのが面倒だった。

タオル
大きいのは持ちません。風呂上りも分厚いタオルハンカチで間に合わせる。

魔法瓶
いちいち蓋開けるのが面倒。重くなるし、その都度水を買う。

種抜きの梅干
近くへ行くときはいつも携行。今回は汁が垂れて嫌になった。

こんな感じでしょうか。

山小屋で全然寝られないし、トイレへ行くとき物音を立てて人を起こしてはいけないと気をつかうし、朝早いのは本当に苦手だし、もうこれきりと山では思ってましたけどね。。。。
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団塊の世代

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