日記

日々のあれこれ
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瀬戸内の旅

2007年09月30日 | 旅行
岡山県の下津井と牛窓を巡る旅。どちらも海上交通で栄えた港町ながら、交通体系が変わった今は時間がそのまま止まってしまったような街に。
古い港町の頭上に巨大な瀬戸大橋がかかっています。
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瀬戸内の旅

2007年09月30日 | 旅行
こちらホテルで。海のイメージの前菜とテーブルクロス。最上階のレストランは両側が海。絶景でした。
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「ヒロシマ、60年の記憶」 近藤紘子こんどうこうこ 2005 リヨン社

2007年09月28日 | 読書
先日見た「ヒロシマナガサキ」の映画で、原爆乙女を引率していったのが流川教会の谷本清牧師だと知った。無知でお恥ずかしい。向こうのテレビ番組に出て、原爆を投下したエノラゲイ号の副操縦士からカンパをもらった場面も見た。あんなに簡単に和解していいのかなと思ったが、この本にはそのいきさつも詳しい。
昭和二十年代、アメリカでは谷本牧師は平和活動家として大変な有名人だったらしい。
知らなかったですねぇ~~~本当にお恥ずかしい。

谷本牧師を初めて知ったのはこちらへ嫁入りして、四国の教え子だった女の子が母親と一緒にはるばる訪ねてきてくれたとき。我が家へ来た後、流川教会へ行って谷本牧師に会ってきたと後で写真も送ってくれた。賢い子でのちに東大へ進学したのだけど、お母さんは平和活動に興味を持っていたのかもしれない。白髪の穏やかそうな老人と教え子、そのお母さんが写った写真を探そうとしたが、ただいま来週の壁紙張り替え準備で家の中はめちゃくちゃ。落ち着いたら探してみよう。

で、著者は子供の頃、若い頃、父親に反発し、広島から逃れて暮らし、アメリカで教育を受け、牧師の妻にだけはなりたくないと思っていたが、気がつけば結婚した人はのちに受洗して牧師になり、自身もまた父親の平和への思いを引き継いで公演活動をする傍ら「国際養子縁組」の活動をしている。

親の生き方を見て育った子供が、その思いを受け継いで広い視野に立って自分の出来る活動をする。一人の人間の力は限られているが、長く続けたらそれが成果として現れる。そのことを思った。
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広島プリンスホテルの温泉施設

2007年09月27日 | 広島案内
今日から営業だそうで、新聞に広告があった。
近所なので私はもう偵察済み。と言っても実際に施設に入れるのは宿泊客だけだそうで、ロビーでパンフレットを貰ってきた。

温泉は二年くらい前から、ホテル横の従業員駐車場で掘削していた。
私は昨日行くまで、その駐車場に温泉施設ができているとばかり思っていた。露天はやっぱりヨシズで囲って、ホテルの宿泊客は渡り廊下か何かを浴衣姿で行くのかと。でもエレベーターに乗るのは浴衣じゃまずいし・・・と千々に思い悩んでいたが、昨日すべての疑問が解けた。

掘削したところから湯を引き、ホテルの三階を改装してその施設にあてたらしい。当り前か?
温泉=露天風呂=よしず張り=浴衣・・・わが発想の貧困さ。

入浴代は2,500円!!!!!マッサージは8,000円くらいから~4万円台まで!!!!!!!
ひょえ~~~~

それにきのうはロビーに入ったとたん、女の人が飛んできて「何の御用ですか」と咎める言い方。今まではこんなことなかったのに。
プリンスホテルのロビーとショップは近所の中高年の散歩コースと開業当時から決まっているのに、何をいまさら。ホテルのロビーは公道と同じ。誰がどんな格好で通ってもいいはず。という図々しさが嫌われたのかも。

「ホテルのロビーはお客さんを探すプロの女性だっているのにね」
「あんたじゃ客がつかんだろ。金もらっても遠慮する」とつれあいのつれないお言葉。

さよなら広島プリンスホテルさん。
一階の二千円のランチバイキングはすぐに飽きて全然行かなくなったけど、最上階ラウンジの千円のケーキバイキングはいつの間にかなくなり、中華は激しくまずいし、ショップの洋服はド派手でカラオケ大会にしか着られそうにないけど、地元にホテルがあると何かと心強かったけど、もう行かんけんね・・・・とむなしくタンカを切る私だった。
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何にもなくてもいいんじゃない?

2007年09月26日 | 暮らし
本棚撤去(9/23の画像参照)

時々背表紙を眺め、全体から立ち上ってくる記憶や、その時代の雰囲気や・・・
でももうどうでもいいかな。
ないのもすっきりしていいかも。と思いながらまた元に戻すのだけど。

捨てるのは難しいと思う今日このごろ。
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直島なおしま

2007年09月25日 | 旅行
三菱マテリアルのある島。昔は銅の精錬をしていて、亜硫酸ガスで工場周辺の木は枯れていた。ヤシャブシなどの植林をするが白砂青松とまではいかない。

子供のころ、親戚があったのでよく遊びに行った。船に乗って、海も山も近く、社宅や購買部や大きな風呂屋や福利厚生の映画館は畳敷きだった。

今はベネッセのリゾート開発で地中美術館などができ、アートの島として知られるようになった。機会があれば行ってみたい。

岡山県に近いが香川県。
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「ヒロシマを語る十冊の本」、「いのちあるかぎり-原爆と未開放部落-」

2007年09月23日 | 読書
涼しくなったし子供もみんないなくなったので、二階の畳替えをする気になった。
1989年に増改築してはや18年、どの部屋も一度も変えてないのでかなりくたびれている。

問題は連れ合いに作ってもらった大きな作り付けの本棚。仕事場で作っていざ家に入れようとしたら入らないので、ロープをかけてベランダから釣り上げた記憶がある。これを外さないことには畳が取り出せない。

で、本を出すことに。ここには若いころ読んだ単行本を入れている。近所のスーパーでバナナの空き箱を10箱貰ってきた。バナナの箱は蓋も利用できて丈夫、棚二つ分を一箱に入れ番号を付けてとりあえず二男の部屋へ入れる。
埃だらけの汗だく。いちいち本を眺めていたらはかどらないのでタイトルは見ないように。

がしかし、表題の二冊は午後から読み返した。ヒロシマを語る・・・は執筆者の文沢隆一氏から頂いたもの。「夏の花」、「原爆の子」、「原爆に生きて」、「花の命は短くて」、「句集広島」、「ヒロシマ日記」、「夕凪の街と人と」、「ヒロシマ・ノート」、「黒い雨」、「原爆爆心地」がその十冊だそうで。
もう一つは被爆証言集の1、2号に絵を提供していただいた金崎是氏の手記も掲載。姉二人が遊郭で働き、そこへお金を送ってもらうよう氏が字の書けない母親に代わって手紙を書く、住所は別なところにして。

連れ合いが若い頃勤務していた病院に来られたこともあるとか。いろんなところでいろんな人がつながっているんだなと思った。
最近読んだ本=「ヒロシマ以後」の広島に生まれて 女性史・「ジェンダー」・・・ときどき犬 平井和子著 発行(有)ひろしま女性学研究所にも金崎氏のことが書いてあった。文字に残すことの大切さ。

いかにネットが発達しようと紙に書かれた媒体は滅びることはないと思う。
で、本も捨てずにまた取っておくことに。次の畳替えは18年後?生きてるかな?
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「ウェブ人間論」 梅田望夫 平野敬一郎

2007年09月22日 | 読書
新潮新書。月刊文芸誌「新潮」の対談に新たに対談をくわえ一冊の本としたもの。
持田氏の前著「ウェブ進化論」を踏まえ、インターネットの発達の現状とそれによって人間がどう変わるかを、技術者でありビジネスマンの持田氏と小説家の平野氏が語り合うのはなかなかに刺激的。

そう、私たちはもうネットのない時代には戻れない。
そしてネットの中心は検索機能にあると持田氏は言う。今まで考えられなかった変化が過去10年間で起こり、未来もまた予想できないように変わっていくであろうと。

きわめて安価に情報が世界を行きかう時代に、紙の媒体は残るのか、人の付き合いの方法まで変わるのでは、知識が自分の頭の中にだけあるのではなく、ネットによって広くつながっていくなど、新しい見方を教えてもらった。

・・・グーグルとアマゾンとアップルは本当にすごいと思います。既存の産業の在り方を変えるには狂気が必要です・・・(本文139ページより)

上は昔々の紙の媒体。左の本には
「大禮記念 香川縣師範學校附属國民學校」の印、購入は16.9.16(たぶん昭和。。。としたら大礼とは皇紀2600年のこと?) 定價壹園五拾錢 外地定價壹園六拾五錢!!
小さい時叔父からもらったもの。66年前の本、紙の媒体は長生きですねぇ~~~
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映画二本、連続鑑賞

2007年09月22日 | 歴史、社会、家族
昨日は本通シネツイン1で11:00より「ヒロシマナガサキ」、横川シネマで13:30より「ひめゆり」を観た。

ひめゆりの元挺身隊の証言、ひどいもんである。野戦病院とはいえ赤十字のマークも付けない塹壕の中で傷病兵の看護に当たる。これはもう戦場そのもの。
寝る場所は木箱、それに交代で腰掛け、あるいは壕を支える木にもたれて眠る。

米軍が上陸し包囲されると、「女学生たちは解散、後は各自の判断で行動せよ」なんて、遠足の後の解散ではあるまいし。

最後になると軍隊は軍隊を守ることしか考えないんだよね。民間人なんていとも簡単に見殺しにする。先の戦争で死んだ民間人、政府が戦後何かの補償をしたのだろうか。寡聞にして知らない。

海岸に追い詰められ、自決しようと取り出した手りゅう弾をまごまごするうちに米兵に取り上げられ捕虜になった女子学生が、すでに捕まった仲間が傷の手当を受けるのを見て全く理解できない。軍国少女は生きて虜囚の辱めを受けずと教え込まれていたので。

当時の写真と証言だけで構成される長い映画。つい見入ってしまった。

もうひとつのヒロシマナガサツキも、エノラゲイに原爆を搭載する場面、原爆乙女がアメリカへ出発する場面など、珍しい映像もあった。当時はグァム乗り継ぎのプロペラ機だったらしい。
流川教会の谷本牧師がまだお若くて、牧師がかかわった企画と知った。アメリカのテレビ番組に出てエノラゲイの元乗組員と握手をしてカンパを貰う。
谷本牧師が静かに微笑するが、心の中ではどう思っていたのだろう。

今となれば毀誉褒貶いろいろあるが、民間人同士が国を越えて交流したことに意義があると思う。帰国した後もホームステイ先の家族とは親戚同様の付き合いが続き、何度も遊びに行ったということを元?原爆乙女の人から聞いたことがある。

ユリつながりで山百合@六甲高山植物園
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「夕凪の街 桜の国」・・・被爆者が簡単に死にすぎる

2007年09月21日 | 歴史、社会、家族
原爆の映画である。声高に核兵器反対を叫ぶのではなく、一つの家族の62年の歴史を通じて、生きたくて生きられなかった者の思いを受け継いでいく家族の姿が淡々と描かれる。

佳作だと思う。そしてそれを踏まえた上で注文少々。原爆のことはとかく大げさに伝わりがち。きちんとした考証の上で作ってほしい。善意の表現が差別を再生産することがないように。

いちばんの疑問は昭和33年の銭湯風景。客の全員が体にケロイドがある。おっかしいなあ~~、ありえん。
一昨年証言を聞いた人によると、ケロイドがあると銭湯にも行けないので、終わる直前に行ったり、アパートで体を拭いたりしたとのこと。
広島にいるのがいやで東京、大阪で暮したと。都会では人のことに干渉しないので、暮らしやすかったとか。戦後すぐの広島でも体にケロイドのある人は少数派、それだから余計辛かったと思う。

昭和30年に広島へ住み始めた夫に聞くと、「当時でもケロイドのある人はめったにいなかった。顔がきれいなのに体だけケロイドなんて、顔を隠して体を出して歩いてたんか?外に出した顔や手足がまず火傷するはず」とのこと。

被爆者も簡単に死にすぎる。被爆者だろうとなかろうと、人は今まで話していて急に具合が悪くなって、抱き起こされて決めのセリフを言ってがっくりなんて・・・まるで映画みたい。急性の心不全ならともかく、人はなかなか死ねないものです。

もう一つの場面では娘が学校から帰ると玄関で血を吐いてもがいているなんて、あまりに類型的。
あたりまえだけど、被爆者が皆、病気で辛い死に方をするわけでもなく、非被爆者が永遠に死なない健康な体を持つわけでもない。
この映画の持つ良質のメッセージがそんなところで損なわれるとしたら残念である。

がしかし、被ばく二世の若い研修医と同僚の看護師の女性が周囲の反対を押し切って結婚することを暗示させるラストでは、愛の力で原爆や被爆者への差別を乗り越えていく人間の意志にちょっとウルウル。
「この場合、被爆二世でフリーターならどうよ」と突っ込みたいけど、フリーターでも結婚していると思う。だって映画のテーマはそうなんだから。
医者にしたのはチョイとまずいかも。「被爆二世でも医師ならOK?」なんて問いはこの映画にはどうでもいいことだから。

長女「皆実みなみ」、次女「翠みどり」、長男「旭あさひ」いずれも広島市内の地名である。広島の街は原爆に負けない、そういうメッセージを感じた。

これは全然関係ない旅館の布団。こんな柄の布団で寝ることも少なくなった今日この頃。
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想定外の息子

2007年09月20日 | 暮らし
昨日、ジュンク堂まで出かけてド○○○天国10月号を購入。
フムフム、載ってますねぇ。学○○2007の記事の中に息子の車も。今年最後なので華やかに終わりたいらしい。

が、しかし・・・・書いていることの意味がさっぱりわからん????

「事前に書いてもらったスペック表には「自作・テキトー・デフロック」とあった。とてもステキな野郎だ。

パイピングをパテで作るとはムチャするのお~!

ABSユニットも撤去されていた!

バルカンにイカリング!テキトーな固定が好きじゃ!

コンデンサーのコア抜きも!」

(゜Д゜)ハァ? まったくわけわからん????ひとつも理解できん( ゜ Д゜)

自分で車を改造して想定出力400馬力だそうで。あ~~~~

なんか楽しそうなのはビンビン伝わってくるけれど、母の願いはただ一つ、怪我だけはしないで!!

写真は小一の時
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恐怖と感動の投入堂

2007年09月18日 | 旅行
連休、鳥取県を旅行した。
初日、倉吉市郊外の三徳山三仏寺(みとくさんさんぶつじ)の裏山にある投入堂(なげいれどう)まで登山する。
拝観料400入山料200を納めてタスキをお借りし、修験道の行者の道を行く。

連休なので入山者多数。履物チェックでサンダル、スパイクなどは草鞋を購入。
ハードな道である。切り立った崖の連続、木の根につかまり、岩のくぼみに足を掛け必死でよじ登る。
中ほど、大岩の上で「左側は転落事故あり、右側通行で」という木札がかかっているところが。岩の一部が欠け、覗くと谷底が見えないくらい下にある。こわ~~

途中、文殊堂、地蔵堂、観音堂などを通り、最後の岩のふちを回り込むと、国宝投入堂が目に飛び込んできた。ここまで一時間。
汗を流し、息切れして上がってきたものだけに味わえる感動の一瞬。

建物は山の斜面のわずかな窪みに建ち、柱のアトランダムで長い縦線が堂全体が今にも天空へ上昇するかのような錯覚を感じさせる。軽快で不思議な建物である。

凄いなあ~~~という感動は法力で堂をはめ込んだ役行者へではなく、平安末期ここに堂を建てようと考えた人間の限りない想像力、実際に建ててしまった人間の限りない能力に対して。

現地に行くまで岩の後ろに通路があるとばかり思っていたが、そうではなくて柱の下あたりからよじ登るしかないらしい。
全くとんでもない建物である。人を拒む孤高の建物。姿は優美だが、来れるものなら来てみろと言わんばかりの挑発的な造形。

年末、何かの行事で一般人の希望者を何人か募り、お堂に上げるとか。命の保証はないそうで、あくまでも自己責任で。上山1時間、下山40分。

車が便利ですが、路線バスもあるようです。境内に宿坊、みやげもの屋など。門前にもたべもの屋あり。
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絵付け1(転写紙とプラチナマーカーで)

2007年09月15日 | 暮らし
習い始めてはや四年、なかなか納得できるものができませんがこれはそれに近いかも。
すかし模様の盛り皿。銀はプラチナのマーカーを使います。
柄は上絵付け用転写紙(シール状になっている)を使います。
あれこれ配置を考えるまでは大変ですが、決まればあとは速いです。

先生に習っています。
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絵付け2

2007年09月15日 | 暮らし
こちらオランダ風風景とチューリップ
ブルーが涼しげです。
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沖縄と広島

2007年09月15日 | 歴史、社会、家族
広島の原爆被害は単純な構造をしている。銃後とは言えども、普通の市民生活の上に何の予告もなく原爆が落とされた。軍隊も民間も朝鮮民族の人もみんな等しく被害者。
だから核兵器反対はわかりやすいスローガン。

かたや沖縄では民間人も強制的に戦いに参加、時には軍隊にひどい目にあわされた人もいた。壕に隠れているとき赤ん坊を殺せと言われたり、銃剣を突き付けられて暴行された若い女性もいた。

軍に強制された集団自決は広く知られるところ。日本軍が手榴弾で住民を虐殺したり、殺せと命じたり。
重い口を開いて血のにじむような証言をされる人を、この夏はテレビで何人か見た。

広島では憎むべきは原爆とそれを落としたアメリカ、そこへいたった戦争と話は単純。
沖縄で、自分たちを守ってくれるはずの軍隊にひどい目にあわされ、身内に手をかけてしまった人の心の傷の深さは、広島とはまた違った戦争の残酷さをよくあらわしていると思う。
それでもと重い口を開いて話をされる人の思いを受け止め、二度とこんな悲惨なことが起こらないように、自分にできることを考えなければと強く思った。

沖縄戦の悲惨な様子がもっと広く世間に知れ渡るといいなと思う。

写真はワタの花
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