さて、青木繁旧居を後に徒歩で久留米駅まで。そこから数分の坂本繁二郎生家へ行きます。
駅まで戻らずに鹿児島本線のガードをくぐると近道だった。残念。次に行くことはもうないはず。
着きました。坂本の生家は代々久留米藩に仕える武士。久留米市内に唯一残る武家屋敷だそうです。
敷地は1492.88平米、建物は243.4平米。1910年、20歳で上京するときに家を知り合いに売り、代々その一族が大切に住んでいたそうです。
2006年、解体修理され、久留米市が所有管理。安い費用で、各種行事に利用できるようです。
入口。
説明版。
座敷。
青木繁が三か月居候していた三畳の部屋。
襖の絵は繁とだけサインがあるので、青木繁か坂本繁二郎か分からないとのこと。
こちらは太い線を青木繁が書き加えたとのこと。上と共に複製。
坂本繁二郎のアルバム。小学校と地元の画塾で一緒だった青木繁が上京して活躍するのを知り、後を追って東京へ。坂本自身は東京美術学校へは行かなかったようですが、20歳で二科会の創設に参加。39歳から42歳までフランスへ絵画留学。帰国後は久留米から八女に移り、そこで絵を描いたそうです。
地方で、絵だけで生計を立てていたのでしょうか。中央画壇から距離を置いて画業に没頭する。それも生き方。そして、74歳で文化勲章を受ける。
早世した青木繁を思う時、体を大切に長生きすることはとても大切。そう思いました。
庭から家を見る。茅葺でした。昔の暮らしがよく分かる建物。なんか懐かしい。
我が実家も子供のころはこんな感じ。茅葺ではなかったけど。年中、戸締りなんてしてなかった。
さてまだ午後2時過ぎ、ホテルに行くのは早いのでバスで石橋文化センターへ行きます。こちらはブリジストンの作った私設の施設いろいろがあるらしい。
ムーンスターにブリジストン、久留米はゴム関係の産業が盛んなようです。
着きました。アジサイと菖蒲まつりのようですが、その他にも花がいっぱい。
公園は無料。たくさんの人が来ています。
シンメトリーな洋式庭園。
アトリエが移築されています。本日公開日。
丸いのはカメラの曇り?
北向きの窓の大きなアトリエ。
公開時間は過ぎていたので、窓越しに拝見。
再びバスでJR久留米まで。直通便は少ないけれど、西鉄久留米まで行くとすぐに次のバスに乗れた。石橋文化センターはJR久留米からバズで15分くらい。
美術館もあります。青木繁の絵を最も多く収蔵しているはず。常設展もあるのかも。次の機会にまた行きたいものです。
新幹線さくらの中で夫と合流し、新八代まで。これは示し合わせたわけではなく、たまたま。
着きました。
駅から徒歩100歩くらいで今夜のホテル。隣接して明日のレンタカー。便利。
シングル二部屋に分散宿泊。二人で一部屋はきつい。とは言え、ビジネスホテルにしてはゆったりしていた。
食事に行こうとしたら、唖然、駅の近くに全然食事処がない。駅中の食事処はは昼間だけ。駅前は空き地だらけ。
夫は事前にリサーチした中華料理にタクシーで行き、食後は歩いて帰ると言うので、ここからはソロ活動。
駅中のKIOSKでコンビニ聞いたけど、遠いって・・・たどり着けるかなあ。
とぼとぼ歩くうちに明かりのついたコーヒー屋さん発見。
何か食べるもの売ってないかなあと覗くと、軽食もできるようでした。やれやれ。
店内、お客さん多し。元はコーヒーだけ販売、やがてホテルの宿泊客向けに食事も出すようになったらしい。
女性の一人旅らしい人も。そういう私も一人。最近よく見かける同好の士。心強い。
量が多くて安くて恐れ入りました。ビールも飲んで1500円くらい。
メニューはこのほかにハンバーグ、とんかつ、カレーとか。
食事して、まだ明るい。畑の向こうにホテルが見えます。周辺、本当に店がない。さっきのコーヒー屋さんだけ。とても有難かった。夜は暖かいもの食べたいですよね。
夫は予定の店にたどり着けず、帰りは夜道で迷ったとかで、20時過ぎて帰ってきた。やれやれ、行かなくてよかった。
夜、細く窓を開けると在来線の列車の音が聞こえる。懐かしい響き。
暑いのか寒いのかよく分からず何度も目が醒めるけど、翌日は登山。何も考えずにとにかく寝ることにした。