京都を舞台にした四作品からなる作品集。京都は南以外の周りを山に囲まれ、思わぬ近さに深い自然がある場所。そして、歴史の記憶が何層にも折り重なった場所。
人間界と自然界、あの世とこの世、過去と現在が混沌とした物語の舞台としてはまことにうってつけの場所である。
表題作「きつねのはなし」
骨董屋「芳蓮堂」でアルバイトする大学生私(男)が、顧客の男性に次々と無理なことを要求され、ついには恋人の写真までとられる。恋人が行方不明になり、店の主人ナツメさんが竹林に囲まれた気味の悪い屋敷へ出かけた後、恋人は吉田神社の節分祭で見つかる。
storyを説明すればまあそれだけのことだけど、私の落ち度につけこんで次々と無理難題を吹きかけるのが狐の面をつけた人間ではなく、何か怪しいものらしいことが次第に分かってくるのが読ませどころ。
他の作品も、奇怪なことの背後の気味悪さを丁寧に描いている。「水神」は琵琶湖疏水の技師の末裔が、祖父の葬儀の日、姿を現した庭の「水神」を目撃する話。
感想*気味悪いものを気味悪く書いても、そう怖くはないかも。怖いのは異界の魔物ではなく、すぐ近くにいる理解できない人間とその心の動き。私には昨日の「日の砦」の中の老女、鍵を無くして締めだされたので半日預かり、娘が返ってくると礼も言わずに散らかり放題の家の中へ一瞬にして消えていく方が気味悪い。言葉や気持の通じない異物のような感じがして。
小説は「説明せずに描写せよ」という言葉があるように、目の前に光景が浮かぶようでないと、読者はその世界に浸れないのでは。私ごときがエラソーで申し訳ないけれど、語尾の「…た」の一部を少し別な言い方に替えると少しは分かりやすいかも。
写真はしつこくお見せしますが、我が家の勝手口に現れた野生のタヌキ1998年のお盆過ぎ。10日間ほど庭の水を飲みに来てたけど、街中の我が家、どこから来たかは不明。子供たちは「ポン吉」と命名していた。
本日の追加。
昨日は予防接種に孫娘が。来る途中で服が濡れたと言うので、近所のジャスコでこんな服を売っていたので買ってやった。ベビーサンタ。三ヶ月で寝返り、今は半年だけど、もう片手と両足で、少しだけハイハイしている。運動苦手な我が家に新しい風~