日記

日々のあれこれ
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「きつねのはなし」 森見登美彦

2010年11月30日 | 読書


京都を舞台にした四作品からなる作品集。京都は南以外の周りを山に囲まれ、思わぬ近さに深い自然がある場所。そして、歴史の記憶が何層にも折り重なった場所。

人間界と自然界、あの世とこの世、過去と現在が混沌とした物語の舞台としてはまことにうってつけの場所である。

表題作「きつねのはなし」
骨董屋「芳蓮堂」でアルバイトする大学生私(男)が、顧客の男性に次々と無理なことを要求され、ついには恋人の写真までとられる。恋人が行方不明になり、店の主人ナツメさんが竹林に囲まれた気味の悪い屋敷へ出かけた後、恋人は吉田神社の節分祭で見つかる。

storyを説明すればまあそれだけのことだけど、私の落ち度につけこんで次々と無理難題を吹きかけるのが狐の面をつけた人間ではなく、何か怪しいものらしいことが次第に分かってくるのが読ませどころ。

他の作品も、奇怪なことの背後の気味悪さを丁寧に描いている。「水神」は琵琶湖疏水の技師の末裔が、祖父の葬儀の日、姿を現した庭の「水神」を目撃する話。

感想*気味悪いものを気味悪く書いても、そう怖くはないかも。怖いのは異界の魔物ではなく、すぐ近くにいる理解できない人間とその心の動き。私には昨日の「日の砦」の中の老女、鍵を無くして締めだされたので半日預かり、娘が返ってくると礼も言わずに散らかり放題の家の中へ一瞬にして消えていく方が気味悪い。言葉や気持の通じない異物のような感じがして。

小説は「説明せずに描写せよ」という言葉があるように、目の前に光景が浮かぶようでないと、読者はその世界に浸れないのでは。私ごときがエラソーで申し訳ないけれど、語尾の「…た」の一部を少し別な言い方に替えると少しは分かりやすいかも。

写真はしつこくお見せしますが、我が家の勝手口に現れた野生のタヌキ1998年のお盆過ぎ。10日間ほど庭の水を飲みに来てたけど、街中の我が家、どこから来たかは不明。子供たちは「ポン吉」と命名していた。

本日の追加。
昨日は予防接種に孫娘が。来る途中で服が濡れたと言うので、近所のジャスコでこんな服を売っていたので買ってやった。ベビーサンタ。三ヶ月で寝返り、今は半年だけど、もう片手と両足で、少しだけハイハイしている。運動苦手な我が家に新しい風~
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「日の砦」 黒井千次

2010年11月29日 | 読書


東京郊外、一戸建ての家が並ぶ住宅街に住む、定年直後の群野は妻と娘の三人暮らし。
定年まで無事勤め上げ、あとは悠々自適の暮らしである。ちょっと遠くへ散歩に行ったり、郵便局へ香典出しに行ったり、と何ということはない毎日が過ぎていく。

だが、思いもよらぬ他人の行動にこだわり、うろたえ、心にさざ波が起こる。人とは分からないもの、自分の想像をはるかに超えた人が、同じ市民として隣り合わせに住んでいる。
不気味とまではいかない違和感。人間のありようの深さ。日常生活の中に、また別の世界が暗い口をあけて待ち構えているような恐怖。そうしたものが達意の文章力で活写されてるいる。

思えば郊外とは、高度経済成長時代に急速に発展したもの。地縁血縁を離れ、都会に職を求め、そこで家族をつくったものの集合体。出身地は全国各地にわたる。理解し合えないのが本来の姿かもしれない。

描写は的確、情景が立ちあがってくる。

短編ばかりなので、肩すかしのように違和感はゴロンと読者の前に差し出されただけで終わるものばかり。うーーーむ、とちょっと考える。この考えるかどうかが文学か読み物かのボーダーだと思う。読み終えた後は、人生と社会の何たるかがわかってちょっと賢くなったように錯覚するので、60歳前後の方には特にお勧めです。

写真は昨日と同じく佛通寺。11/18
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「きもの草子」 田中優子

2010年11月28日 | 読書


法政大学社会学部教授、専門は日本近代文化、アジア比較文化。
いかめしい肩書だか、たまにきりっとした着物姿でテレビに出ているのを拝見。

おばあさんは横浜で置屋をしていたそうで、粋な着こなしも祖母譲りと本の中で明かしている。なるほど。

一年間の各月ごとの、自分の着物と帯、小物などの写真が楽しい。アジアの布で作ったもの、おばあさん、お母さんのお下がりなど、贅沢ではないけれど、趣味のいいものばかり。その布の来歴を学者らしく丁寧に説明し、着こなしの上で自分が心がけていることも併載。

きもの本の多くが、女性作家や女優さんの持ち物を紹介することに多くのページを割いているのとは対照的、勉強にはなるし、着る参考にはなるしといいことずくめ。

この本の中で、私自身のわだかまりをすっきりと解きほぐしてくれたところを紹介します。赤字は私の感想です。

着こなしの目標は「自分のいいところを出す」ことに尽きる。そうだ、そうだ!!

私は着物を着ている人に出会ったときは、教師または反面教師にしている。おかしいな、と思っても何にも言わない。…着物はそれぞれが自分の好みと裁量で着るものであり、「正しいか正しくないか」で着るものではない…そうだ、そうだ、自分が着られない人に限って、人の着物に闘争心丸出しで文句つけるんだよね。

布はさまざまな意味で魂を運ぶ。死んだ者が、生きていたころの記憶、病になったものが元気だったころの記憶、逆に、幸せなものの辛かった時の記憶、そういう媒体であった。ものとの付き合い方が洋服とは全然違うんだから、人様の着ているものをあれこれ論評するなんて厳に慎むべきだと思う。どんなつまらない地味なものでも、その人にとってはかけがえのないもの。なにもピラピラしたものだけが着物でわない!!!

着付けをしてもらう時には自分の好みをはっきりと言う。素人が他の人に着付けをするのはもっと難しい。基本的には「しない」という態度が必要。「やってあげるわよ」というおせっかいは厳禁である。頼まれたら手伝いに徹する。そうですよね。私も心したいと思います。
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どんな着物を選び、どう着るか、それは結局はその人の教養と生き方が現れるものなのだろう。この本で紹介された、紬などの落ち着いた着物と、面白い柄や趣味のいい帯をみてそう思った。
着物着るのなら、少々のことでめげず堂々としていればいいのだとも思った。(と言いつつ、最近飽きてしまって全然着てませんけど。。。)

写真は18日、佛通寺で。
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三滝観音の紅葉

2010年11月27日 | 広島案内
三滝観音は、己斐(こい)広島西縁断層帯が広島デルタへと切れ落ちる場所にあり、三滝川が削る細い谷間に長い境内を持つ古くからの寺院。弘法大師が9世紀に開基したと伝わる。

桜と紅葉の名所で、広島からJR可部線で僅か二駅目と近いが、深山幽谷の趣き。好天の昨日出かけてきました。



参道の料亭



山門付近



小さなお堂。両側から山が迫り次第に陽が射さない。



落葉、山からのクヌギなども。



境内には滝もあちこちに。



お堂を覆う紅葉



こんな色も。



日なたと日陰



石畳と落葉。袋帯の柄みたい。



境内の茶店で一休み、窓の下はモリアオガエルの生息する池。



入口付近へまた戻る。

行き方、広島駅より可部線乗車、二つ目の三滝下車。180円。駅出て左へ。最初の角を山へ向かい、西願寺前で右へ。駅から徒歩10分くらい。バスもあるが便数は少ない。
拝観料なし、境内自由参拝。





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宇品線跡・・・昭和の面影

2010年11月26日 | 広島案内


旧宇品線は日清戦争直前、5,9キロが足掛け17日間の突貫工事で完成。
以後、広島駅から宇品港へ兵士や軍事物資を運ぶ鉄道として利用されるが、1986年に廃止。

現在はほとんどが道路などとなってしまったが、黄金山通りから南へ数百メートルのみ、鉄道の面影が残っている。

ボランティアであるご老人がタチアオイを育てていたが、今はキバナコスモスそのほかの草が中心らしい。
「宇品アオイ祭」というのがあったけど、「宇品タチアオイ祭り」の方がいいんじゃないの、とまたまた突っ込む私。



隣接して陸軍運輸部の諸部隊があったが、戦後は市や民間に払い下げられたらしい。(詳細未確認)こちら市営住宅。向こうはマツダの建物。



おや、墓標のようなものが。



市の水道局が建てた、水道本管の埋設場所を表す石柱。



放置された枕木



線路跡は一部私的に利用されています。どこに咲こうと花は花。



私設のゴミ焼却炉。底のスノコ状に組んだ鉄線に工夫の跡が。



大蔵省



国鉄



枕木を利用した柵。モアイ像のような孤高の姿。



柵の広告。武田工務店。



メガネの京美堂。



なんだ?矢印に県。



こんな感じで。



道路をふさぐ私的利用。褒めてるわけではないけれど、今は希少な戦後的風景。



埋没する国鉄。



埋没する大蔵省。

県、市、国、JR?となんか権利関係が複雑そう。

数年前には天保年間の墓石がゴロンと転がっていた。明治時代に埋め立てられた土地なのでどこか別の場所から持ってきたのかも。現在は見当たらない。

この南方は木と草が茂って、夏は涼しい散歩道だったが、「物騒だから」と草が払われ、木も切られたのかな、ゲートボール場になった。この廃線跡もいつまであるか心配。
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四段活用について昨日の訂正

2010年11月25日 | 暮らし


「散りぬる」を昨日は連体形としたけれど、間違いでした。えらそげで済みませんでした。

ラ行四段活用の散るは「散る」「散る花」と終止形と連体形は語尾が同じ。

散りぬるは、正しくは、散り(連用形)+ぬる(完了の助動詞・連体形)と品詞分解される。
そこで春告鳥の歌詞に即して現代語訳すると、散ってしまったの(=花)も陽に映えてということになります。

うんうん、だいぶ意味が通ってきた。落ちてしまった椿の花を穏やかな冬の日が陽が照らしている。。。いい情景です。

が、しかし、ここでさらなる問題が。次の場面では、落ちてしまったはずの花が、その人の前髪を僅かにかすめながら水面に落ちていきます。

花は落ちたのか、落ちてないのか。そりゃ落ちたでしょ。散りぬるだから。落ちてしまったんだから。
でもこの歌の流れでは、枝から頭までの一瞬の間に陽に照らされてるわけですね。

だから分かりやすいように直してみます。

「衣笠の古寺の侘介のたおやかに散りゆくも陽に映えてその人の前髪僅かにかすめながら水面へと身を投げる」

これでどうでしょう。散りゆくだからまだ完了してないし、次の瞬間にはその人の前髪に触れつつ水面に落ちる。とすっきり意味が通ります。

風のない日なら、その人は池の真ん中にたっているか、とっても長い首。
強風の日なら、池の端に立っているかも。でも風の強い日ではなさそうだし。。。。

うーーーむ、これはどうあっても京都は等持院の心字池と樹齢400年とかの椿を見なければ。。。。

さだまさしさんのファンの方、えらそげでごめんなさい。なぜ心に引っかかるのか解明できて私はすっきりなんですけど。

あと何の歌だったか「国道沿いに僕は車を走らせ。。。」とかいう歌詞がありませんでしたか。

国道沿いなら国道は走ってないんだ、では車はどこを走っている?道路の法面かあ~、平行して走る県道かあ~と不思議だったこともあります。川沿いを歩くは川の中を歩いてるんじゃないものね。ファンの方、またまたすみません。

写真は北野天満宮の、三十六歌仙(たぶん)の絵馬。2008年三月。
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魚切ダムの紅葉

2010年11月23日 | 暮らし
きょうは急に思い立って佐伯区五日市の奥、阿弥陀山の麓まで紅葉を見に行くことに。



家にあるもので大急ぎでお弁当を。



一時間弱で、途中の魚切ダムまで。



放水中。上昇気流にのって水滴も上昇。こちらへ来ると小雨状態。



手前の公園でお弁当を。管理事務所の紅葉。



まだまだ頑張る紅葉。



阿弥陀山と手前の某神社、社叢がありません!!!!



かわりにこんなものが。「親とこどものふれあいの森公園」。。。



メタセコイヤ(中国奥地原産)とケヤキ。。。



こちらインド原産ヒマラヤシーダ。。。



クロガネモチも。モチノキならよかったのに。。。



台風で木が倒れたという話もありますが、ついでに公園にしてしまったのかしら。神社がただの小屋みたいに見えてしまうのよね。残念な思いで帰宅すると、「前にもらったんだけど」と夫が仕事場からお菓子を持って帰った。
愛媛県松山のお菓子。坂の上の雲、マドンナ、夢一夜。。。夢十夜じゃないのね。



長野県のお友達から今年も地元のふじをいただきました。ありがとうございます。
左は伯父(90歳?)のつくった富有柿、今年で最後かも知れんと言いつつ、まだまだ頑張る伯父。
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バッグ実写版そのほか

2010年11月23日 | 暮らし


ここまでプライバシーを晒してどうする!!という内なる声が聞こえます。



ついでに必殺晩御飯!!
何が必殺かと言うと、とろとろとご飯を作るのが大嫌い、6:45分スタート、7時のニュースが始まるときにはお箸を握っているのが理想。でもこの日は16分かかった。

魚の向きが反対なのは、慌てて配膳してあとで画像処理で左右を入れ替えたため。あちゃーー。

お膳は松か何かのくりぬきに薄く漆をかけています。軽いです。
実家から貰ってきた戦前のもの。うーーーん、もっと貰えばよかった。



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秋の比治山(ひじやま)

2010年11月22日 | 広島案内
比治山は広島市にある低山。元は広島湾に浮かぶ小島だったが、長い間の堆積と干拓で市街地に取り囲まれ、現在では貴重な自然の残る場所となっている。



東側から登る。爆心地の反対方向なので、アラカシなどが繁茂、原生林の面影が残る。この付近は貝塚も発見されている。



日当たりのいい斜面にはクサギの実が。園芸種、南アフリカ原産のゲンペイクサギと同種。あれほどではないけれど、赤白の花は六月ころ咲く。



イヌビワ。イチヂクの仲間。黒く熟した実は食べられる。



カクレミノ。ヤツデの仲間。こちらも実りのシーズン。



ハゼ。ろうそくの原料。



山に上がると公園に。ケヤキは公園樹の代表
ん???、そばでは焼き肉パーティの最中。



ユリノキ、別名ハンテンボク。おおらかでユニークな葉。好きな木の一つ。(何でも好き嫌いでわけてしまう私の悪い癖)



広島は陸軍の町。西南戦争~太平洋戦争の犠牲者が眠る。外国人の墓碑もあり。



戦前の教科書に必ず載っていた有名人。日露戦争の時のラッパ手でしたか。。。。



NHKの放送塔と放射線影響研究所(旧ABCC)、現在は日米で協力して被爆者の医学的データを蓄積。
かまぼこ型の独特の建物は日本の地震に備えてのことだとか。

モミジの鮮やかな紅葉もいいけれど、そうでない木々も秋の装い。楽しみました。

井上ひさしの「父と暮らせば」の中に「…比治山の松の緑が…」という一節が。
が、実際はカシ、シイの極相林、ケヤキ、ソメイヨシノなど公園樹が中心。マツはまず見かけない。

松林よりは植物の種類が豊富で楽しいかも。子供たちの遠足でもよく来たところ。
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冬用のバッグを買った

2010年11月21日 | 暮らし


きょうは用事で出かけたついでにバッグを買った。ティーンズの店にあった可愛いバッグ。

ニット地に金のスパンコール、リボンの一つは大きなスパンコールが三個、もうひとつはチドリ格子。

持ち手には銀糸混じりの毛糸のボンボンつき。バッグのふちどりはフェイクフアー。内袋の口は紐で縛り、紐の端にはクリスタルのガラス。。。

というように可愛いアイテムのてんこ盛り。お歳はいくつ?と聞かれそう。
でも全てモノトーンなので歳も考えず持ち歩こう。

私は服はあまり買わないけれど、袋物、バッグはついつい買ってしまう。軽くて、楽しいデザインで、持っていて嬉しくなるもの。最近はこれですね。

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「煩悩カフェ」 酒井順子

2010年11月19日 | 読書


写真は昨日に引き続き佛通寺。いい構図というのは難しいです。

この間、四国へ行く前に買った本。ホテルのツインの部屋で泊まるときは、夜中に目が覚めてもテレビはつけられないし、することないし、いつも軽く読める本を持っていく。放ってあったけど、最近読んだ。

このタイトルは秀逸、つい買ってしまった。
内容は煩悩というほどのものではなく、日常生活の中で、「いけないとされているけどやりたいこと」のあれこれについて、女子の(酒井さんの)本音を明かしたもの。

うーーーむ、ありきたりの書き方で、もう少し人間の煩悩が読みたかった。他愛なくてちょっと拍子抜けかな。特に新しい視点もなかったし。しかし、軽く読めるのも一つの徳。特に旅先で眠れないとき、女同士の噂話を聞くつもりで心をほぐすのもありでしょう。

解説をS沢さんが書いている。彼女のデビューはちょっとした事件だった。初めての小説なのに、文章も筋運びも巧みで「うまいなあ」と感心したのをおぼえている。
その頃、私は地元の同人雑誌にいて、同人の誰もが、いくら修練を積んでもその場所へ行けないのではないか、と心ひそかに焦っていた。

で、文庫本のこの解説は分かりやすい。酒井さんの外見から来るきちんとした印象と、だらしない生活の落差を面白がっている。その力の抜け具合。お座敷に応じて書き分けるのも才能のうち。

2004年に35歳で自殺したS沢さん、生き急ぎ過ぎた人だった。

昔、ちょっとした事情で知り合った某社のS沢さんの担当編集者(男性)に「彼女、結婚したそうですよ。週刊誌にありましたよ」と言うと「エッ」と絶句していたのを、ふと思い出した。確か20歳くらいで結婚したはず。おじ様たちの多い業界で、彼女はいつもアイドルだった。読者も多かった。合掌。



本日のおまけ。
高校の文化祭で、自分の作った展示の前で撮った写真がある。
あれから十数年、同じポーズの息子の写真。今回は娘を抱く。。。と言うよりは提げている感じ。もっと上手に抱かんかい!!と祖母は突っ込むのでありました。
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佛通寺(ぶっつうじ)の紅葉

2010年11月18日 | 旅行
広島県東部三原市の佛通寺は、14世紀に地頭小早川氏が僧を招いて開基。最盛期には満山88の塔頭、末寺3,000
を数えたという。現在は臨済宗14本山の一つとして法灯が受け継がれている。



山陽本線本郷駅発13:00の路線バスで。集落のある旧道を通るので、道が狭い))))
ドライバーさんはスイスイと運転します。山の中へ分け入ること約15分で着きます。



山門。300円の拝観料を納めて境内へ。



赤尽くし。幟は志納金を納めた(らしい)人の名前入り。



大方丈。



降りかかる紅葉



紅の饗宴



おばあちゃんと孫。

うーーーむ、お寺は谷合いなので写真が難しい。三原駅、本郷駅からお寺まで芸陽バスが出ています。

山陽本線沿線の山々の、クヌギ、ナラ、カシ類の茶色のgraduationもなかなかよかったです。花と同じで、紅葉の便りには心せかされます。

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「京都 まちなかの暮らし」 寿岳章子

2010年11月17日 | 読書


著者は東北帝国大学卒~京都大学大学院のあと、長く京都府立大学で言語学を教え、京都に関する著作も多い。2005年没。
お母さんは「中途半端なお稽古事をするより女の子も学問が大切」という考えの人で、当時としては珍しく帝大に娘を進学させたとか。

1987年に草思社から出されたものの文庫バージョン。紹介された店などはもうなくなったのもあるが、子供時代の京都の暮らしが昨日のことのように生き生きと描かれている。

兵庫県から京都へ出てきた両親はともに学者で、決して裕福ではないが、季節季節の工夫をしながら、心豊かに生活する様子がこの本の中には活写されている。また父親を通じて、柳宗悦、新村出など、一流の知性との付き合いはお金では買えない貴重な体験だったことだろう。それもまた親の遺産。うらやましい。

特に印象に残ったのは、昔の東寺弘法市の半端でない賑わい、錦だけでない隠れた商店街の楽しさ、ムカデに刺されに効く鳩居堂の「蛇頂石」(←中国原産?今はもうないらしい)、着物の染め替えや仕立て直しの話などなど。

仕立て直しで思い出したけど、昔は呉服屋さんが反物にした染めの見本を持っていた。白生地を染めたり、今ある着物をほどいて洗い貼りをし、色を抜いて新しい柄に染め替えるときの参考にするものである。
我が家はごくありふれた庶民の家だったけど、呉服屋さんが見本を持ってきたのを見たこともある。半世紀以上も前。
くるくると反物をほどく30センチおきくらいによく似た柄が次々と現れる。ワクワクして見た記憶がある。
好きな柄に着物を染めてもらう…今ならとても贅沢なようだけど、当時はそういう流通の形態がまだ機能していたということだろう。家族の普段着くらいは一家の主婦ともなれば縫えていた時代である。

小学生の頃、どこで手に入れたものか、私の布団はその染め見本で出来ていた。一つづつ違う小紋柄の枠が続いて楽しい布団だった。あれ、もうないみたいだけど、絹だったので早くに傷んだのかもしれない。

この本を読んで、暮らしにとって何が大切で、何が不要なものか、私自身振り返るきっかけになった。自分のスタイルさえ決めておけば、余計なものを買ったりしないで済む。沢田重貴氏のスケッチも秀逸。

写真は10年くらい前の、NHK「おしゃれ工房」の切り抜き。しっとりとして趣味のいい昭和の暮らし。
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女ぎらいニッポンのミソジニー 上野千鶴子

2010年11月16日 | 読書


ミソジニーとは聞きなれない言葉だが、女にあっては自らの女性性の嫌悪、男にあっては女性蔑視のことだそうな。

この本が単なる性差別の告発にとどまっていないのは、今の時代に生きるわれわれの無意識の領域にまで深く蔓延している、ミソジニーをあらゆる切り口から明らかにし、女も男ももっと生きやすい世の中であってほしいという著者の切なる願いが感じられるからである。

難しいことを分かりやすく、分かりやすいことを深く書く著者の語り口は明快で、一ページごとに腑に落ちるようだった。一気に読了。

今の世の中は昔に比べるとずっと豊かになり、戦争の不安も一応はないはずなのに、いろんな女性が、女子高生が、女子大生が、未婚者が、既婚者が、娘が、母親がそして私自身がが生きにくいと感じているのはなぜか。という問いを立てて読むと、いろいろな勇気をもらえるはず。お勧めです。

著者の分析は多岐にわたる。

吉行淳之介と永井荷風の違い、性の二重規範と女の分断支配、「非モテ」のミソジニー、皇室はいつからミソジニーになったか、女子高文化、東電OLの中の二つの価値、林真理子の立ち位置、近代以前の家族と近代家族の中でのエロスと出産の位置づけの違いとか、もやもやとしたものをすっきりと整理して見せてくれてよかったと思う。

で、ちょいと自分自身のことを振り返ってみるのは、40年以上前の地方都市での高校生活のこと。
男65%、女35%という構成。しっかり勉強していい大学に入って、いい仕事についてという男の論理の貫かれた学校でも、頑張って勉強する女の子とは別に、おのずから備わったすぐれた女性性で、「もてる」ことの心地よさを享受する女の子ももちろん存在。

そうした女の子を、勉強のできる女の子が見下すのもミソジニーの一種。自分はガッツリ勉強してややこしいことを言わないかわいい女の子と付き合うのも、実に分かりやすい男の行動。
あの頃の、毎日がお祭りのようだった教室の中の誰彼を思い出して、いちいち腑に落ちるのでありました。

みんなひとしなみに歳とって、女としてどちらの生き方がよかったのか。。。。

そりゃ、きれいに磨きをかけて、社会的に価値のあるとされる男にくっついてる方が楽でしょ。その立場にないのでそう見えるけどね。同窓生のその後の消息をあれこれ聞くと、あとに生かせない学歴よりも、美人の方が絶対に得。「結局、男ってきれいな女が好きなのね」と言いそうになる。(のは僻み?)

男社会の中で、男並みに働くのは私たちの世代ではまだまだ大変だった。近くに身内がいて子供でも見てくれない限り、涙をのんでリタイアした人多数。私もそちらに分類されると思う。。。。。と仕事を続けられなかったいいわけ。

が、そうした分析を知って、これからの若い女性が、主体的に自分の生き方を選ぶ。そういう時代に少しでも近づいてほしいと思いながら、巻を閉じたのでありました。

写真は瓶が森で、霧の中に浮かぶ白骨樹。霧に巻かれて道を見失った人間のようで、ちょっと怖い思いもしながら、道を見失わないように下山しました。


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2010年の三島由紀夫 文學界12月号より

2010年11月15日 | 読書
二年前の写真ですが、県の緑化センターのカエデの大木。確か広島県で何番目かの大きさ。道路工事で元の場所から移植したそうです。


先週、久しぶりに買ったら950円になっていた。高ッ!!

三島と親交のあった横尾忠則に、三島の死後生まれた三人の若手作家、平野啓一郎、田中慎也、中村文則が加わった座談会。

対談ならともかく、鼎談、座談会になるとよく話す人とそうでない人がおのずと出てきて、その人の力のほどがわかって、読んでいても辛いもんがある。作家でも読書量、知識の量の差は歴然。しかし多くを知るからいい小説が書けるわけではないのが、文学の面白いところ。

改めて三島とは伝説上の人物になってしまったのだなあと思った。伝説をどう利用しようと後世の勝手だけど、くれぐれも美化したり、変な思想の道具にしないでほしいと思った。

ほかはまだ読んでません。ややこしいものを読んだらまだまだめまいがしそうで。

この二、三日、ぼんやりとテレビばかり見て過ごした。ベタな感想ですが、いろんな番組があるんだなあと思った。飽きると録画した番組やDVDを見たして、ほとんどご隠居さん状態。

昼前、お姑さんが見舞いに来てくれた時にも寝ていた。すみません、不出来な嫁で。
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