日記

日々のあれこれ
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琺瑯看板・・・夏の思い出

2007年07月31日 | 暮らし
夏休み、田舎の親戚には郊外電車とバスを乗り継いでいった。
バスの終点によろず屋が一軒、食糧、たねもの、簡単な衣類、なんでもあった。
バスの切符はもう一軒の店で売っていた。
外壁には琺瑯看板。テレビのない時代のインパクトのある媒体。

長男にその話をすると「よろず屋ってコンビニみたいだね」と言われた。違うんだなあ。街中ではコンビニは選択の一つ。でもその当時はそこへ行くしかない。

写真は広島駅から川沿いに牛田方面へ。さるバス停ちかくのお宅。表へ回ると魚屋さん。マンションビルに取り囲まれてそこだけ昔の広島が残っているような一角でした。

三男に電話した。去年と打って変わって勉強しているらしい。何しろ最終学年だものね。厳しい助教授にこってり絞られているみたいで、「今、研究室。。。。」と元気がなかった。でも最後の勉強するチャンス。せっかく決まった就職をふいにしないよう頑張ろうね。

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広島カープ、勉強はいいから野球でがんばれ

2007年07月30日 | 暮らし
地元プロ野球チーム、広島カープが今最下位だそうで、夫も息子もあきらめ気味である。

昔からお金がなくていい選手が集まらないと言われてきた。今も事情はそう変わらないだろう。こんなチームだから優勝するととても盛り上がった。

原爆の焼け跡もまだ残っている広島にできた「わしらのカープ」、できてから二十年以上たって初優勝した1975年、広島の街は大変な騒動だった。人と街が、祝勝ムード、考えられる限りの行事があった。

いろんな店がサービス品や、サービスメニュー、できたばかりの広島そごうはじめ地元デパート四店の優勝セール、商店街の振る舞い酒、市長を先頭にお祝いの提灯行列、極めつけは平和大通りをカープの選手がオープンカーでパレード。
それが今に続くフラワーフェスティバルのもとになったと言われている。

あ~~それなのに、それなのに最近はとんと優勝に縁遠く、広島の人もあきらめムード。
昨夜など、わがつれあいが「勉強で来い!!」なんて変な応援をしていた。

これには出典があって、私の出た高校はたまにいい選手がいると地区予選を勝ち進むらしいが、私が二年生の時は一回戦コールド負け。
その時は野球部員七人、ピッチーは急遽柔道部のH田くんを立てて戦った。(H田くんは東京教育大学=筑波大学の前身をでて、今は高校教師をしています)
戦う相手は同じ市内の高校、15点くらい打ち込まれたとおもう。

こうなると応援もやけくそ。応援部の言うことを聞かないアナーキーな発言いろいろ。
「魔球なげぇ~~~」とか「勉強で来い!!」とか周りの女子に受けるための発言の数々。私は笑い上戸なのでとても楽しかったが、考えてみたら笑っとる場合ではないわな。

で、いつかしたその話を覚えていたつれあいがたぶんジャイアンツに向かって「勉強で来い!!」と発言した次第。すみません、話が長くて。

しかしまあプロ野球選手が勉強を競ってもなあ。がんばれカープ、勉強はいいから野球でがんばれ!!広島の街に今度ちょうちん行列があるのはいつ?

写真はシチダンカ。八重咲きの山アジサイ。シーボルトがヨーロッパに紹介したことで知られるが長く幻の花と言われていた。戦後、六甲山中でみつかり今では各地に移植されたとか。花に歴史あり。

シーボルトはアジサイが好きで、アジサイの学名を日本での妻だったタキからとって「なんとかかんとかオタクサかんとかシーボルト」としたらしい。最後は発見者ではなく命名者の名前を付けるのが学名の習わし。
オタクサはオタキサンきから?ヨーロッパではアジサイをオタクサと呼ぶらしいが、私は未確認。

植物はあるだけではなく、見出され名前を付けられてはじめて認知されるということだろう。名前は大切なんだなあ。
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キスゲ

2007年07月28日 | 暮らし
ユウスゲとも。
六甲高山植物園のキスゲ。周りの草がなんか低山っぽい。

公園の維持管理は雑草との戦い。
でも六甲ロープウェイの上の駅の写真で見ると、六甲山は明治初めははげ山だったそう。町に近いので薪などをとったのだろうか。あれでは洪水が起こりそう。
植林をして今の姿になったが、極相林まであと数十年だそうで。

ロープウェイの軌道の周辺、サービスのつもりだろうがラベンダーのような花の咲く木(すみません。園芸種はさっぱりわからないので)を植えんで欲しい。
山には自然の木が一番よく似合う。
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我が家の別荘

2007年07月28日 | 暮らし
は旧軽井沢にあって・・・なんて冗談にも言うと本当に貧乏くさいなあ。
もちろん、別荘なんて持ってません。
これは昨日行った六甲高山植物園の土産物売り場デッキからの眺め。あまりの日差しの強さにデジカメの露出も狂いがち。

向こうにはニッコキスゲが少し。
でキスゲも涼しげでいいなあときのうは思った。
ニッコウキスゲはオレンジ色、キスゲはレモンのような涼しい色。
花もほっそり、夕方咲いて翌日昼にはしぼんでいるので、「ユウスゲ」という優美な名前が。

ほっそりとした浴衣美人のような花である。こちらは大群落はつくるのかどうか。調べてみたい。
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夏、遊び全開

2007年07月28日 | 暮らし
ニッコウキスゲが見たい。それもしょぼしょぼと咲いているのではなく、大群落を。
ニッコウキスゲは中部地方以北の中高山、しかも梅雨明け直後に咲く。
花は一日だけ、一つの茎から四つの花、つまり四日で花は終わる。山野草のはかなさか。

梅雨明けにニッコウキスゲを見に行く機会がなかなかないので、昨日は手っ取り早く神戸の「六甲高山植物園」へ。神戸はバスツアーだと食事なし日帰りで3,000円、でも八月にはもう咲いてないんだよう~~~

で新幹線に乗り、帰りは高速バスでの強行軍。
ニッコウキスゲはう~~む、咲いているにはいたけれどやはり公園。一応願望は満たされて、つぎは絶対本当の群落を見たい。

山の上のレストランでオーガニックランチなるものをいただく。安価で美味。都会は競争が激しいので、いい店しか生き残れないと聞いたことがある。
窓越しに神戸の町並み。海を埋め立てて都市が広がる様子が見えた。夜などいい眺めだろうなあ。
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negativeはよくない

2007年07月27日 | 暮らし
二階の部屋はとても風通しが良くて、昼間は南風、夜は北風。開けてさえいれば日中でもクーラーなしで十分涼しい。

朝出かけるつもりだったが証券会社から電話がかかって夫と相談するため昼まで家にいたら、出かけそびれて午後から爆睡。畳の上が気持ちがいい。
怖いお姑さんも難しい夫もうるさい子供もまして孫もおらず、木綿のワンピース、本、畳、風の夏のゴールデンスクェア?セット♪

「どうしても山野草が見たい。見たいったら見たい」と思いつめ、あすというかきょうは六甲山の高山植物園へ日帰りで行く。
夏、木と山野草を見ないと死にそうにつらい。見ると元気が出る。
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主婦失格、ついでに人間も?・・・

2007年07月21日 | 暮らし
我が家の息子たちは、どこででもどんな格好ででも寝る。それぞれの習性で場所はだいたい決まっているが、「全くだらしない」と常々自分の子育ての失敗と深く反省するところではあった。

ところが、実母から「高校の時、あんたあ、着替えるのが面倒と制服のまま寝ていた」という情報を得た。

まさか~~!!花も恥じらう乙女がそんなことはしていないはず。第一記憶にない。が、しかし、100%否定できない自分がいる汗。

四月、家をリフォームして暇なときは三男の部屋で過ごしている。寝るのもついそこで。
私はしっかり本を読まないと眠れないタイプ、つれあいは寝床に入るとすぐ爆睡。
私は暑さ寒さに強いタイプ、つれあいは弱いタイプ。

で、喧嘩しているわけではないが最近は別に寝ている。一緒にするのは夕食、たまの外出(泊まりがけ旅行を含む)くらいか。
夜はつれあいは隣の仕事場で、パソコン、木工、屋上菜園、階段を上がり下りして登山のトレーニング、たまには自分の母親と話もしているらしい。

パジャマも着ない。起きたらすぐ行動できるよう、今の時期は自分で適当に縫った和服風ワンピース。着るのがひたすら楽な服である。寝る時間、起きる時間も自分の都合で。だから今はとても楽。

でもこれって主婦とは言えんわなあ。ついでに人間とも言えないかも。
それを許してくれる連れ合いに感謝しつつ、いざとなったら助け合うため、普段はお互い依存せず期待せず・・・で行こう。

この間、ある人からお姑さんの介護の悩みを聞かされた。遠くにいるお姑さんの介護に日曜日だけ通っていたら、義妹とぎくしゃくしてしまったと。
ご本人は善意でも、義妹の方にしたら、「たまに来て立ち入って、介護した気になって」と不服なのだろう。
「ご主人にさせなさいよ。自分の親なんだから。あなたは放っておきなさい」と偉そうに言う私。
「長男の嫁が介護するなんて当たり前すぎて誰も感動しない。息子がお嫁さんの半分でもすれば親も喜ぶ、世間も感動する。お嫁さんも楽」とまでは言わなかったけれど。

もちろん私だっていざとなったら「鬼嫁の目にも涙」
春頃、お姑さんが具合が悪く、夕食を作らせてもらった。それを届けるのは夫。私が届けたのでは遠慮だと思うので。
姑がどんな人かで結婚生活のかなりのところが左右される。私はあたりだった。将来、あたりのお姑さんでいられるようただいま修業中・・・でもないですが。

写真は岩屋寺、たぶん兵庫県。たまたま選挙カーが通りかがったので、地元では決してそんなことはしないけれど、大きく手を振ったら候補者以下全員の方が、こちらに必死で手を振ってくださるのでうれしかった。でも何党だったのか、見忘れた。ごめんなさい。テキトーな女です。

金曜日、帰宅9:40 今の椅子で寝ていたので畳のところへ誘導した。
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コップ・・・夏の思い出

2007年07月20日 | 暮らし
マグカップのないころ、夏に出番が多いのがガラスのコップだった。今はグラスなどというが、当時はソーダガラスのコップ。

夏は客が多い。親戚、近所の寄り合い、仲人、、、カルピスを入れてストローを差し、お盆に載せて持っていく。
麦茶を飲んだり、コーラやファンタを飲んだり。コカコーラがファンタ。ペプシコーラはミリンダ。他にクラウンコーラやら(これは一応アメリカのメーカー)、地元飲料業者が作る地ビールならぬ地コーラもあった。外来の文物を自家薬籠中とする日本文化の底力。

ガラスのコップはよく割れた。夏の終わる頃には五個セットが三個くらいになって。ガラスのコップは進物でよく貰ったし、親が夏の初めに箱入りを買うこともあった。ガラスには夏の花や、花火や、流水のような模様が付いている。

洗って、裏返しに引っ掛けて乾かす専用のコップ立て。あれも最近見ないなあ。

火0:47 水1:25 木0:25帰宅 朝は分からない。起きた時にはもういない。 
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原発事故の悪夢

2007年07月19日 | 歴史、社会、家族
1986年、当時まだソ連だったチェルノブイリ原子力発電所が大事故を起こし、大量の放射性物質が空気中にばらまかれた。
事故はヨーロッパの原子力発電所の周辺の観測でまず明らかになり、大事故の様子が次々と明らかになった。

日本のように地震の多い国で大丈夫だろうか、と思っていたことが現実になった。
国際機関から自前の消防施設を持つよう勧告されていたが、二年間にわたって無視。消防自動車が来るまで、何で消していたのだろう。消火器をみんなで持ち出すとか)))))あまりにお粗末。シャレにならない。

我が家の近所の自動車メーカー「マツダ」。子どもと一緒に何度か工場見学。要所要所に自前の立派な消防自動車を配置していた。自動車製造でさえこれです。何考えてんだ。東京電力!!!

原発が今まで大した事故もなく来たのはただ単に幸運だっただけ。
この国では危機管理がどこも大変にお粗末。ヨーロッパ各国では原子力発電は古いのから廃棄、新しいのはつくらないと聞いた。日本もそれでやってもらいたい。
そして最後の原発がなくなるまで、事故の起こらないよう厳重に安全対策を。

放射線の人体への許容量の基礎データは広島、長崎の被爆者の検診結果が元になっている。被爆者は新しい兵器の実験台にされたのだ。
被爆者の話を伺うと今元気な人も直後は体調が悪かったり、黒い便がずっと出ていたり(消化器から出血している)・・・

人類はヒロシマ、ナガサキからまだ学べないのだろうか。
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ささやかな幸せ、そして「戒厳令」

2007年07月18日 | 歴史、社会、家族
夕方、仕事から帰った夫が出かけるそぶりをしている。
ん?と思っていると会合で夕食はいらないとのこと。
「嬉しいことは早く言ってね」
「前に話した」
「だから、その日にも話してもらわないと忘れてるでしょ。やったあ~~と昼から嬉しい気分でいるんだったのにぃーー」
と勝手な言い分の私。

夕方ゆっくり用事を片づけ、八時前に近所の「椿亭」へ行くと、予約していなかったのでもうオーダーストップですと体よく断られた。残念。

昼から予約しとくんだった。忘れていた私も悪いけど。でもたまには家で一人の食事もいいもの。結局、買い物して家で夕食。

息子出勤5:50 帰宅23:50 機嫌良く帰った。

証言集はあとは印刷所から届く本を発送するまでになった。
今回は私の書いたエッセィをめぐって会員同士で活発な意見をたたかわした。
お互い妥協して何とかソフトランディング。本音を言いつつ一つの目標に向けてまとまっていく。普段の生活ではなかなか体験できないこと。勉強になった。

ことの発端は広島の原爆のあと、広島の軍隊が自分たち独自の判断で「戒厳令」を出したという説が一部で流布されていること。県が出した本にも書いてある。

原爆の話は伝説が多いとは聞いていたがここまでとは。防衛省戦史研究室に問い合わせると、戒厳令は天皇大権に属すること、御名御璽、首相以下の署名を持って発令。あり得ないとの返事をいただいた。
要件を満たしてこその法律。胸のつかえが取れたようだった。

それを掲載するかどうか、表現をどうするか、素人ばかりの集団、本当に苦労した。
本ができると、今までの苦労を思って自分のために泣くかも。
どこまで続くかわからないけれど、自分にできることを気負わず続けていきたいと思う。
あちゃ~~きれいにまとまりすぎて。

「あんたが頑張るから世界がだいぶ平和になっただろ」とつれあいが揶揄しますが、「うん、平和になったよ」と答えることにしています。

最近昭和レトロにはまっています。こんなカップ、どこかで見たような。。。遠い記憶。
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国境の長いトンネルを抜けると・・・

2007年07月16日 | 暮らし
そこは雨国だった。空の底が暗くなった。やがて豪雨になり。。。。

だれだあ、台風が過ぎて快晴になったのを梅雨明けと勘違いして山に登ろうなんて言い出したのは。

とりあえず鳥取、兵庫県境の氷ノ山(ひょうのせん)を目指す。
15日朝、自宅を出るときは快晴。途中も快調。がしかし、中国道を離れ北へ向かうにしたがっておかしな雲行き、やがて県境を越えて鳥取に入る頃は結構な雨。

氷ノ山登山口近くの宿に宿泊。朝、濃い霧で何も見えず。天気も不安定とのこと、登山を断念して帰路につくも昨日に増してひどい雨。
連れ合いが眠いというので代わって運転。高速道は雨で視界不良。前の車のテールランプを頼りにハンドルを切る。中国道はカーブ多し。途中何度もスリップ未遂。こわ~~)))))

うわ~~ん、誰だあ、梅雨明けなんて早とちりしたのは???それは私でした。

滝もどろどろどっどっとこの有様。
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毒ガス処理?

2007年07月15日 | 歴史、社会、家族
ではなく、息子が部屋の掃除をしています。

「なんでそんなものつけるのよ。サリンでも処理するの」
「いやサリンは防げん」
「どこで売ってるの?百均?まさか」
「病院で買った。値段は分らん」
「そんなものしてぇ。普段からちゃんと掃除しないからよーー」
「だから今してる」

最後まで噛み合わない会話。
本棚の中はあまりに乱雑、見たくないので母親がシーツをかけています。
なんでもいいから早うそうじせぃ!!!

結局相撲で中断。夜続行するもエンタの神様で中断。
今夜もどこか別のところでごろ寝するらしい。
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美味しければOK

2007年07月14日 | 暮らし
時々読み返して、他人様を責めるばかりだなあと反省する。人に嫌な感じを与えないよう、これからは気をつけましょう。
で、この間、とっても美味しいイタリア料理の店へ行った。

写真は前菜。で、待つことしばし、生ハムとルッコラ、トマトソースのピザと七種類のチーズのピザ、どちらもとても美味しかった。イタリア人が二人、石窯で焼いている。

あまりに美味しく、ピザは写真を撮るのを忘れた。ついでに名前も忘れたけれど、市内電車白島線の通り。バス停で言うと逓信病院前下車すぐ。赤いテントが目印です。

===========================
話変わって中国産の肉まん、段ボールを六割も混ぜてたのもあったなんて。ぎょえ~~!!!

次男が子供の頃、折り紙の台紙を小さくちぎってクッチャ、クッチャと噛み「肉」と言って遊んでいた。幼稚園の頃だったかしら。歯ざわりが似てるのかも。が、しかし、そんなもの売ったらいかんだろ。売ったら。
と、今日も人を責めてしまった。。。。。
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サロン「M(仮名)」あれこれ

2007年07月14日 | 暮らし
被爆証言集も第四集目、月末には発刊し、そのあとちょいと豪華に慰労会をしようという話になった。

会員同士、知っているお店を会員限定の掲示板で知らせあう。これが楽しい。
広島市内でも行ってない店がほとんど、しかも数年前にあったのはもうなかったりして飲食業界も栄枯盛衰が激しい。

会の代表の推薦するサロン「M」。広島で一番背の高いマンションの中にあり、かの有名な三国シェフの店である。
開店当初は予約も取りにくかったが、今はどうだろうか。三年くらい前の今頃、ある会合で使った。飲食代は親睦会がプールしたお金なので自腹を切らなくてよかったと。。。。ちょっとセコイですね。

味は私の感覚では普通とまずいの間くらい。(味覚は人それぞれなのでご自分の判断でお願いします)肉料理は味が抜けている。

広島の水は軟水、西洋料理には難しい水です。
店はきれいだが気合いの入った客ばかり。おばさんは居心地悪し。
飲食は一、二階に入っているのになぜかこの店だけは守衛室の扉を守衛さんに頼んで開けてもらい、メンテナンス用のエレベーターで12階まで。高級マンションは開放廊下などというものはなく、セキュリティも万全。

昼、5,000円、夜10,000円。お値段立派。サービス料もあったかな。忘れた。
(あくまでも個人の感想です。これから行く方、無視してくださいね)

立派すぎて私には合わなかった。普通に暮らす庶民がたまに家族で食事して幸せな気分になれる店は絶対つぶれないと思う。さらに少しおしゃれな店なら言うことなし。ささやかな人生♪そしてささやかなお店♪
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ニュージーランドドルを売った

2007年07月13日 | 歴史、社会、家族
ソニー銀行で二年前の五月ころ、ニュージランドドル建てのMMFか投信を買った。(詳細失念)

金利は年利7%くらい。それを月ごとに複利計算。レートは1ニュージーランドドル(以下NRDと記載)が78円くらいだった。(詳細失念)

最近の円安で96円くらいになったので、本当は利息と為替差益で二倍になるまで持っておくつもりだったけど、気の短いアバウトな性格、つい売ってしまった。為替手数料はソニー銀行が一番安いはず。(でも詳細失念)

売ったのはいいのだけど、この二年の間にソニー銀行のサイトのデザインが変わり、どこをどうたどれば日本円に換金できるかわからずその日は放置。

きょう思い切ってあちこち開き、あれこれクリックしていると日本円になって普通預金口座に入っていた。バンジャ~~~~イ!!!!。こんなことで喜ぶのもどうかと思うが。
しかも二日の間にさらに円が下がり、ちょっぴりおまけが。

が、しかし、売るとさびしい。利益を確定して売ったばやいでも、「もっと高くなったかもしれんのにあわてて売ったんじゃなかろか」とイジイジと思い悩む。

逆に損をして売る時は、「あ~~もうこんなの付き合いきれん」とイライラした揚句なので自分の決断力を自分でほめてやりたい。ほとんど自虐の世界。
売るときもまた一悶着。証券会社は絶対と言っていいほど売らせたがらないので、担当者と半分はけんか腰である。やれやれ。
で、売ったとたん上がり始める。これまたお約束通り。

読み返して、自分のお金なのにうろ覚えもいいところ。ちょっと早めのボケが来とるんじゃなかろか。NRDは割と変動が大きいほう。過去には40円台もあったらしい。

友達はドルを日本円で一千万ほど買ってると言ってたのでびっくりしたのだが、私はとてもそんな大金をドルだけにつぎ込む余裕も度胸もない。
彼女の場合、ご主人の退職金を運用しているらしいので、私とはケタが違う。うちは自営業なので一生働かないといけないんだよね。イジイジ。
でも人のことは羨ましがらず、楽しみの範囲でこれからもやっていこう。

しかしお金はパソコンの中の数字ではなく、使ってこそ生きるもの。時々はささやかな楽しみに使って、お金とうまく付き合っていきたいもの。

この間、島田洋七?八?さん(太い方)が言ってたけど、人間一日三食しか食べられんし、ある程度以上はいくらあっても同じことらしい。なるほど、大金を手にしたことがある人だけの諦観にも似た人生観。

昨夜は1:28帰宅 居間で寝て三時半ころ自室へ。五時半ころ風呂にいり、六時過ぎには出勤。きょうは私も眠いです。


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団塊の世代

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