日記

日々のあれこれ
前のはこちら→https://blog.goo.ne.jp/kawashima134

「節約の王道」 林望

2010年07月31日 | 読書
昔からの友が入っているサークル、家計簿つけたり、古いセーターでぬいぐるみ作ったり、鍋の保温に帽子作ったりしている。展示会があって500円の入場チケットを付き合ったこともあった。
「いいわね(私はやらないけど)」と言うと「**さんの近くのサークルはこれこれだから入って活動したら」と言ってくれた。

世の中の女性の分け方はいろいろあるけれど、家計簿つける人、つけない人で区別するとその人の性格、生活パターンがわかるのでは。

私ですか?もちろん堂々の「つけない人」。過去につけたこともあるけど続かなかった。はい、そういう性格です。(と開き直る)

前置き長くなりましたが、本屋で立ち読みして「家計簿はつけない」という項目があったので迷わず読むことに。ただしアマゾンで取り寄せ。約400円の節約。

で、内容ですが、節約は人によって違うということ。著者は大学で教え、著書もたくさん。つまり自分の能力で成功した人。そういう人と、われわれな名もなき庶民の節約はおのずと違う。

共感できたのは「家計簿をつけない」「冷蔵庫一杯分の食材を買い、なくなれば買いに行く。献立は買い物のときには考えない」「本は借りて読むな、買って読め」「病気にならないことが何よりの節約」などなど。

自分の生活に取り入れるのが無理なのは
「ユニクロを恥じない」
無地で体型があらわになるのはこの歳では厳しい。下に着るものならOK

「みやげものは買わない」
もらっているのでお返ししたい。それで話をするのも楽しい。

「ホテルは素泊まりに限る」
ホテル自体が嫌いです。狭くて開けられなくて、冷房つけたら寒い、切ったら暑い。寝られず起きて本読んでたら夫に怒られる。

「ご祝儀はお金で渡さない」
結婚式に招待されてもお金のかわりに自分で選んだ骨董品を贈るそうです。
ひどーーーい。別のところで豪華な結婚式は無意味と言いながら、呼ばれたら行くんでしょうか。
結婚式の一人分、料理に飲み物に引き出物に、テーブルの上の花にテーブルクロス、椅子カヴァーなどなど普通に式をして三万円はどうしてもかかってしまう。招待されて骨董品はどうよ。みんながそんなもん受付に渡したらどうなる?非常識の極み。友人知人三万円はまことに理にかなった金額と思う。

「海外旅行は思い切って二週間行く」
ツアーは人とぞろぞろ歩いて楽しくないそうです。イギリスではケンブリッジに一カ月部屋を借り、家族で滞在。そこを拠点に小旅行をするそうで。

ここまでくると、何が節約だあ~~ヽ(`Д´)ノウワァァン!!

この本の、私にとっての徳は「家計簿つけなくてもいい」ということだけかな。

内祝いが届きました。本人の名前入りワインです。
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屋上菜園

2010年07月30日 | 暮らし
いゃあ~、少し涼しくなったとはいえ今が夏本番。この暑さは夏野菜にはもってこい、夫の屋上菜園、今年もたくさんできました。
私はノータッチ。田舎育ちなので、プランターで農業するのがピンときません。

野菜作りは頭が空っぽになるのでいいそうです。
「あんたは元からからっぽじゃけんのお」ですって。フンッ!!失礼な。

この日の収穫はスィートコーン、ズッキーニ、トマト。二人ではなかなか食べきれないけど、三食トマト食べたりして頑張っています。
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古文書入門講座

2010年07月29日 | 暮らし
初め易しく、次第に難しく。予習は必須。でも読めない文字もたくさん。

「なんでそんなもの習うん?」
「どこかへ旅行に行くでしょ。で、そこに昔の朱印状みたいなのを展示してあったとするでしょ。…依って執達件の如し…花押…なんてすらすら読めたら、かっこいいじゃん」
「ばかか!」
というような家庭内不調和にもめげず、少しずつ頑張っています。

これは村方文書。年貢につける納付書みたいなものらしい。

収穫量百石につき、物成(本税)と口米(収納時事務手数料)あわせて約四十五石。約半分は領主=大名or旗本に。
江戸時代は独立自営農民、土地は自分のものながら、菅総理の消費税10%構想もぶっ飛ぶようなこの高い税率。種籾代、肥料代、水利代などは農民持ち。これでは再生産に必要なぎりぎりの生活だったはず。天候不順でたちまち飢饉に。江戸時代を通じて日本の人口はほとんど増えてないとの研究もあるはず。
「遠野物語」や「楢山節考」は決して一地方の話ではなかったはず。

それもこれも遊民階級武士を支えていたから。仕事をしない者が品格を保つのは難しい。プライドばかりが肥大し、そのプライドに自縛された滑稽な存在。と言えば言い過ぎか。

えーーー、話変わって、世間では大変な竜馬ブームだそうで。竜馬一人で幕末の歴史を動かしたような騒ぎぶり?見てないので予断で言ってはいけませんが。

しかし歴史を動かすのは毎日働く、後世には名前も伝わっていない無数の庶民と呼ばれる人たち。きのうよりはきょう、きょうよりは明日、すこしでも楽な暮らしがしたくて働き、節約して少しでも孫子に残す。生産力が上がってきて、自分たちの都合のいいように世の中の仕組みを替えたいと願う大きなうねりが歴史を作って行くのだと私は思っている。
時代の変革期には、思わぬ人物が表舞台に現れることもあるけれど、それは個人の資質というよりは時代の要請。あの竜馬がいなくても、別の竜馬が必ずや現れたはず。時代の変革を個人の手柄にしてはいけないと私は思います。

英雄史観は、歴史上の著名人をともすれば今の時代に都合がいいように解釈しがち。史料から分かることだけで歴史を見たらきっとすっきりしたものになるのでは。何ごとも原史料にあたるということで。
私のようなものがえらそげですみません。

史料にも著作権があるそうで、ぼかしてます。

(夜、出かけていて、つらつら考えたら明治以後の地主制とごっちゃになっていた。で、一部書き換えました。それにしても何という税率の高さ!!!)
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「父の像」 吉本隆明

2010年07月28日 | 読書
近代文学の中で、父親はどのように描かれてきたか。夏目漱石、有島武郎、芥川龍之介、宮沢賢治、太宰治、森鴎外を例にとり、時代によって変わっていく父親、子との関係を作品の中から読み取ろうとした試み。

最後は自分自身と、船大工だった父親との関係を、育った東京の佃島近辺の生活を織り交ぜながら回想している。この部分は他の著作にも明らかだが、天草を出てきた事情などから、都会にひっそりと生きていた父親への親しみと反発を正直に吐露している。

子は親を選んで生まれるわけではないが、反面教師であれ何であれ、子供の人格形成に大きな影響を与えるもの。何を言ったかではなく、何をしたかを子供はよく見ており、やがて親を追い抜いていくもの。当たり前で、連綿と繰り返してきた何でもないことの中に人生を考えるヒントが隠されているのだと思った。

それぞれの文学者の父親との関わりはそれぞれに個性的で、取り換え不可能なもの。文学が生まれる以前の人格の根幹にかかわる影響を親から受けている。そう思った。

写真は深入山に咲く、オオバギボウシとキスゲ。キスゲは別名ユウスゲ。夕方咲いて翌朝には萎れている。咲いている花姿をいまだ見たことありません。
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「老いるということ」 黒井千次

2010年07月27日 | 読書
「高く手を振る日」の著者が、古今東西の著作に「老い」がどう書かれているかをあたり、「老い」とは何かと考えた一冊。
あまり考えたくないテーマだったが、読み終わると老いるのも悪くないなと思えるようになった。

経験の積み重ねからくる豊かさと余裕~、老人の持つ「徳」とはこれですよ。
幸田文の「打ち上がった人格」めざして私も精進しようっと。

昨日は孫が二か月の健診と予防接種に。
約一月ぶりに見て変わっていたところ。肌の色は赤→白(色白かも)。泣き声はいっそう力強く(産院にいるときから大声、、、)。体重が増えてずしりと。母乳メインで小柄ながら固太り。

初めての子供でお母さんは一生懸命。泣くと放っておけないそうで、疲れないかと心配。

来るのに車で40分?、我が家で昼ごはん食べて、息子の部屋で二人で昼寝して夕方帰って行った。帰りも40分?。お疲れ様。

写真は恐羅漢山に咲く、サワヒヨドリ。
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恐羅漢(おそらかん)と旧恐羅漢へ登る

2010年07月25日 | 広島案内


きょうは広島県の最高峰、恐羅漢1,340mへ。スキー場駐車場から約60分の予定。



登山靴に履き替えていざ出発



スキー場は日影がなくて暑い、、、ちょいと一休み。



イワガラミ。名前の通り岩に絡んでます。わかりやすいやつ。



カキラン。野性と思えないいい色。



ノリウツギ。高い場所なのでまだ頑張ってます。昔から、和紙を漉くときの糊を採っていたとか。



頂上には元気な女性三人の先客が。写真とってもらいました。



尾根伝いに旧恐羅漢まで。頂上から片道二十五分。北西方向、山口県の山々がよく見えます。



来た道を引き返します。サワヒヨドリの向こうに山小屋などが見えてきました。
このところの寝不足で朝は体調イマイチ。でも思いきって出かけてきてよかったです。

今日のお弁当。昨夜の残りのご飯をチンしてそのままお弁当箱に。
後は母からもらったお中元の鮭、屋上で作ったキュウリとトマトに塩を利かせて。
暑いので塩は多めに入れました。

まだまだ夏は始まったばかり。もうこの歳になると自分で自分を楽しくしないとね。
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安全地帯コンサート@広島

2010年07月23日 | 暮らし


今夜は約二十年ぶりに安全地帯のコンサートへ。席は一階前の方の通路横。ステージがよく見えます。
19:10開始、最初からたくさんのヒット曲を歌いまくり。

キラキラのど肝を抜く衣装。ちょっと広島太郎みたいな感じ。
ん、広島太郎????広島太郎は広島市民ならだれでも知っている有名人。画像もたくさんあるのでgoogってみてください。
でもあの広島太郎である。やばいなあ~と思いつつ見ていたけれど、最初からpower全開でまあそんなことは気にならなくなった。
「プルシャンブルー…」の「さび」ではファンを一人ステージに引っ張り上げ、抱いて歌ってましたね。サービス精神旺盛。

アコースティっくな歌ではメンバーもギターも替えてしんみりと。昔持ち歌の少なかった頃の歌っていたという「小さな秋」…うまかったです。

インスタルメンツのあと、いきなり白い衣装で登場。会場を歌いながら回る。コンサートスタッフ数人が必死でガード。
私の目の前を通ったので、衣装の上からタッチ。いい生地でしたよ。たぶん麻。
ご本人、背は高からず低からず。いゃあ、二十年前でも結構気恥ずかしかったけど、この歳でいいのかと一瞬躊躇もしなかったけど、まあこの世の思い出に。



昔のコンサートでもこのビラビラ、会場に降ってたように思う。今回も。拾って振り回し、お土産に。これもまたこの世の思い出に。

実は連日の暑さにパテ気味。
その上、昼間は織りのおけいこ。昼夜帯は織り方が複雑で、どこを踏んでいたかすぐ分からなくなり、結果柄がめちゃくちゃに。
疲れ果てていたけれど、コンサートで騒ぐうち元気になった。会場では浴衣着た娘さんも。
私も着物着ていくつもりだったけど、体調イマイチで見送った。残念。

コンサートは7,800円+手数料で結構なお値段だったけど、元気になったのでまあ良かったかな。
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生みの親と育ての親

2010年07月22日 | 歴史、社会、家族
北朝鮮へ日本人が拉致された事件で、いつも思うのは田口八重子さんの息子さんの健気さである。
ちょうど年頃が自分の子供と同じなので余計そう思うのだけど、彼は決して「お母さん」とは呼ばず、「八重子さん」と言っている。幼いころから育ててくれた叔父叔母を父母と思って育ち、いつの時点で事実を知ったかはわからないけれど、そう言うしかないことに「グッと」きてしまう。

もう十五年くらい前だけど、私が音頭を取って実家の親族の文集を作った。道路ができて先祖代々住んでいた場所を立ち退きになる記念のつもりだった。父は兄弟姉妹が多くて、そのうちの一人は小さいときに望まれて親戚の養女になった。
その叔母は養父母を父母と書き、実母はおばさんと書いていた。気持ちとしてはそう書くのが自然だったのだろう。
この叔母は嫁入り前から、私の実家へ「実家のようにして」出入りしていたので、私も「結婚する前によその家に行った叔母さん」という感覚だった。今考えると不思議なんだけど。

写真は深入り山に咲く花。アヤメ、ギボウシ、オカトラノオ。
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車の世紀・・・トヨタ博物館で

2010年07月21日 | 旅行
二十世紀は車が生まれ発達した百年。生まれたころの車は、科学技術の粋を集めた最先端の乗り物だったはず。



アメリカのガソリンスタンドのマーク。お洒落でポップ。そこはかとないレトロ感。



ガソリンの給油メーター。RED CROWNと絶妙の名前。



車で郊外へ出かけましょう。コーヒーサイフォンもついたピクニックセット。新しい行楽。



ライトシグナル。SLOWってどういう意味。ブレーキ踏んだのを後続車に知らせる?



二十世紀は戦争の世紀。資源の乏しい日本では木炭で車を走らせます。

木炭を燃やしてガスを作り、それを圧縮してエンジンを回す…私の理解はこの程度ですが、不純物を取り除くのに「シュロの皮」!!!!これには驚いた。
「いゃあ~シュロだって。車のエンジンにシュロの皮?」
などとあまりのミスマッチをギャアギャア騒いでいたら、熱心にメモを取っていた50歳くらいの男性に「シュロって何ですか」と聞かれた。

シュロ、昔は庭や公園でよく見ましたよね。暖かいところの原産かも。鱗のような幹の皮の間に、網目状の薄くて丈夫な皮が挟まっています。
その皮を井戸水を濾過する「濾し甕(こしがめ)」に砂や砂利と一緒に使ってましたよね。繊維に空洞が多くて、不純物を吸着するのだと思う。
…なんてことを一生懸命話したのだけど、イマイチわからない顔をしていた。

戦時中、名古屋近辺の子供たちはきっとシュロの皮を集めさせられたに違いない。それをトヨタに持って行って車の材料に。

シュロの葉では蠅たたきも作れます。私の祖母はこれを作るのが上手でした。はじめ緑、しだいに色があせるのも天然材料ならでは。
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田園のパン屋さん

2010年07月20日 | 暮らし
北広島町(旧豊平町)でおいしいパン屋さんを見つけました。手づくり工房「はあもにい」
場所は千代田IC→R261浜田方面→R433加計方面、吉川居館跡過ぎてすぐ道の右側です。

こちら

農家の納屋を改造して、工房と店舗になっています。周りは自然がいっぱいの田園地帯。

山へ行く前によってパンを買います。朝ならまだ温かくて、とっても美味しい。
ジャムなども手作りだそうで、お店の前にはブルーベリーやラズベリーがたわわに実っています。

道の駅にも売ってますが、直売の方が安いです。お店の中はケーキやクッキーなどもあってとってもいい匂い。おいしいものは心が和みます。

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深入山

2010年07月19日 | 広島案内

きょうは北広島町の深入山1153mへ一人で行きました。素晴らしい夏空、広がる草原、ブナとミズナラ、景色を独り占め…幸せな半日でした。



2本のブナ。登山口で一人とすれ違っただけ。ずっとだあれもいません。聞こえるのは風の音だけ。 



夏空の雲。湧きあがり、流され、また湧きあがり…見飽きません。



風になびく草原。風は下から吹きあがってきます。



オオバギボウシの群落と恐羅漢山。季節には季節の花が。梅雨明けはまだ花は少なめ。



山また山



山頂より北方向。左、臥龍山がりゅうさん1223m 右、掛頭山かけずやま1126m。

Time Table

08:05 自宅発 中国道戸河内ICよりR191へ 
09:40 いこいの村ひろしまに車を置き、菓子パン1個食べて水飲んで登山開始。
10:25 山頂着。さらに菓子パン1個食べて水飲む。←食べ過ぎ
10:45 下山開始
11:30 いこいの村着 立ち寄り温泉に。こちらも当然一人。湯船につかって山並みを見る。極楽。
12:00 ジュース飲んでいざ帰宅 
13:25 自宅着

今日の後悔。
2001年の7月、当時属していた観察会の有志数人でこの山へ来た。
会の代表のN氏は、最初行くつもりだったけど、皆さんに迷惑かけるからと辞退され、9月には亡くなられた。
「登らずにみんなでふもとを歩きましょう」と言ったのだけど。
きょう一人で歩きながら「あの時、もっと強引に誘えばよかった」と後悔した。でも闘病中の負い目を感じるのが嫌だったのだろう。

一期一会、山は一度として同じ天候はなく、同じメンバーで来ることもまたない。変わらないのは山の悠久の姿だけ。
健康でいられることに感謝して毎日を大切に…と自然は私のようなものにも敬虔な気持ちを起こさせるようです。
(家に着くころには忘れているのがよくないのだけど)
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日野山へ登山

2010年07月18日 | 広島案内
旧大朝町の日野山(ひのやま)は16世紀、吉川氏が50年ほど城を構えた山。
砦ではなく、実際に生活する城だったそうで、いろいろな建物や寺院も山中にあったという。

今は静かな山。15年くらい前に登った時は山頂、本丸跡は草原だったが、すでにカヤが生い茂り、見晴らしもいまいちだった。誰にも会わず、静かな山行。帰りにどんぐり村へ寄り、なす130円を買った。お弁当は家から持参。朝、出来立てパンを1210円買ったのが唯一の散財。中高年の遊びはお金をかけずに楽しく。

豆絞り、孫娘の着物にするつもりだったけど、お嫁さんがしり込みしていたので中止。汗拭きに使ってます。
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名古屋の屋敷町

2010年07月17日 | 旅行
名古屋城の東側は昔は武家屋敷が多くあったそうで。
明治維新後、新興勢力が屋敷を構え、今は料亭やレストランになったところもあり、時代の流れを感じさせます。
あまり大きな屋敷だと、相続税が納め切れずに手放すのでしょうか。文化財として残るのはごくわずか。後は切り売りされたり、マンションになったり。

そのなかでもこの二つのお宅は大正時代の建物だそうで。一部窓がサッシになったりしていますが、ほぼ建築当時の様子をとどめているとか。黒い塀で景観がぐっと引きしまります。

古い木造家屋を維持するのも大変と思いますが、丁寧に暮らしておられるようです。向こうは都市高速。広島のように中心部が完全に焼けてしまったのではなく、空襲でもまだらに焼け残ったところがあったのでしょう。
大都市の一角で、ここだけ時代が遡ったような不思議な空気が漂います。
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レトロがいっぱい。トヨタ博物館新館

2010年07月16日 | 旅行
トヨタ博物館新館では、お年寄りから子供まで、昔の生活と車について学べるようになっています。
古い暮らしの道具もいっぱい。



こちら大八車。実際に使われていたようで、いい感じに古びています。



脱穀機もあります。まだまだ日本が頑張って農業していた時代のものでしょう。
ヰセキとかのメーカーは聞いたことありますが、トヨタも農機具作ってたんですね。



なんでこんなものがと思うけど、脱いだ靴ってけっこう生々しい。人の体温が感じられるようで。
女兄弟の多い家の法事の集まりとか、そんな感じ。ついこの間までこんな靴はいていたけど、よく見ると確かにレトロ。
当時を振り返るアイテムとして、なんでもないものが却って貴重です。



家電製品も。家に一つずつものが増えていく時代は、車も右肩上がりに売れていたいい時代。



こちら本館のマツダファミリァ。今もこの車種はあると思うけど、当時は大衆車も軽から普通車へグレードアップ。
乗っているのが晴れがましいという位置づけだったかも。おそらく日産ブルーバード、トヨタカローラなども同じ。

この車は私が十八歳のころ、今は亡き実父が乗っていたもの。
私が高三の十一月、胃潰瘍の手術。術後思わしくない時期もあり、二月の頭にやっと退院できた父は、四月にはファミリアの後ろに荷物を積んで広島まで連れてきてくれた。
机、椅子、電気スタンド、などはこちらで買ってもらい、入学式の日には岩国支店のもと同僚を車で尋ねて行った。

午後から同級生のお母さんたち三人を誘って車に乗ってもらい、二号線とフェリーではるばると帰って行ったのでした。
お母さんたちはみんな和服。狭い車内で大変だったかも。その時のお母さんたちもみなもう亡くなられました。合掌。

先日、名古屋でその時の友達に久しぶりに会い、その頃のことも話した。彼女のお母さんと私の両親は若いころ同じ職場。いろんな話をして尽きないので、また名古屋へ行くことにした。ちなみに私を含めて三人はこちらで夫を調達。四人のうちだれ一人故郷へは帰っていないのでした。遠くへ女の子を出すとこのありさま。今になって親の寂しさがわかりますけどね。

あ~いかんなあ。昔の車を見てぞろぞろといろんなことを思い出した。
私にはこの車が父のように思えたので、アップロードしてみました。
お父さん、あの時はありがとう。
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トヨタ出世すごろく

2010年07月15日 | 旅行
えー、トヨタといえば豊田佐吉、明治時代に豊田式自動織機を発明して現在のトヨタの基を作った人…って中学校の社会科で習った記憶が。
生家はどんなのかといえばこんな感じです。静岡県の生まれ、生家跡には記念館があるようです。

豊田佐吉生家(復元)

昔の家とはいえ、質素ですね。豊田家の家業は農業に大工、副業をするあたり、農業の経営規模は大きくはなかったと思われます。
母親の機織りの苦労を見て(昔の女の人は家族の衣類を手作り。しかも布を織るところから、大変だあ~)、もっと楽に織れないかと工夫したのが自動織機の始まりだそうで。まさに立志伝中の人。

おりしも時代は明治、近代化を急ぐ日本の産業革命、まずは繊維などの軽工業から。
自動織機は改良を重ね、きっと売れに売れたことでしょう。



こちら佐吉の長男喜一郎の作ったトヨタ初の乗用車「トヨダAA型乗用車」1936年製。第一次大戦を経て、時代は繊維から機械へと。。。



佐吉の娘婿、豊田稔三郎の旧邸跡。場所は名古屋城近く。昔からのお屋敷町だったようです。
現在は門と塀だけで中はマンションですが、立派なつくりから当時の建物もさぞ立派だったことでしょう。



近くには佐吉の弟佐助の屋敷が残っています。名古屋市が借り受け、無料で公開しています。



洋館を過ぎて、座敷へ入るとこの屋敷にゆかりの三人の写真が飾ってあります。
真ん中が豊田佐助、父伊吉、母せい。昔の日本人らしい実直な顔立ちです。



二階の座敷から庭を見下ろします。
植栽は作庭当時と違っているようですが、周りの屋敷のように華麗繊細、雅ではなく「剛健な風格」
豊田の経営理念のひとつ「華美を戒め質実剛健たるべし」に通じる施主の精神性が感じられるそうです。
(ガイドボランティア井沢昭雄氏執筆のパンフより)



前夜は、息子の車で豊田駅前から会社へ。夜なので暗いです。
「エッ、これに乗るんか」と尻込みする父。後ろはゴミ置き場。ゴミをどけたら「がらんどう」えんかいな、こんな車に乗って。。。(詳細省略)



ここの七階で働いているそうですが、夜なので暗いです。あたりは会社の施設ばかり。車が時折通るだけで、歩いている人はいません。



翌朝、ホテルの窓から。あの遠くのビルのあたり?左手に矢作川の堤防が見えています。
矢作川と言えば、木下藤吉郎が蜂須賀小六に拾われたという橋はどのあたり?
つくづく遠くへ来た息子、ここはしみじみと東海。不思議な縁で、こんなに遠くまで来た母でした。
お母さんがちょっと見えないだけで大泣きしていたのに、三人の中で一番遠くへきた息子です。
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団塊の世代

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