日記

日々のあれこれ
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田川、炭鉱の面影

2011年10月31日 | 旅行

小倉から各駅停車の列車で約一時間、田川伊田に到着。

駅から地下道を通って博物館はすぐ。クリックで拡大。

JR列車内からもよく見える二本の煙突。

クリックで拡大。

近代産業遺産ですね。炭坑節とは「月が出た出た~」というあれ。子供のころ、煙突の場所も知らないまま、地区の盆踊りで踊ってた。ここだったとは。

田川炭鉱・歴史博物館。雨だけど、ツアー客多し。

私の目当てはこれ。二階に展示しています。素人の絵だからこそ却って、リアルで臨場感いっぱい。まじめで几帳面なお人柄が絵に出ているように思う。今年五月、ユネスコの記録遺産に認定。

館内一階は炭鉱の歴史などを展示。手掘りの時代は男女(たいていは夫婦?)がペアで掘ったりもしたらしい。坑内は暑いので男女とも裸に近い格好。鉱山事故については展示がなかったと思うけど、私が子供のころは、一度に何百人がなくなるような事故のニュースがたまにありました。うーーーむ、日本の近代化を底辺というか、そのまた下部、地底で支えた人たち。

保存されている巻き上げ機の櫓(石炭をベルトコンベアで地上に運び上げるものらしい)と、炭鉱労働者の住宅。

一間だけ。手前は台所を兼ねた入り口。土間。質素。

展望台から。

往時は炭鉱として活気あふれる場所だったことでしょう。朝鮮半島から徴用されてこの地で亡くなった人たちの慰霊碑もあります。丘の上に立ち、雨の中で、しばし昔の光景を想像してみる。

 

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おまけ画像

「あをぎり」で。雨のせいか、お客さんほとんどいません。だあれも廊下を通りません。駅周辺も食べるところが全然ないので、予約しててよかったあ~料理は薄味の関西風です。おかみさんと「井上陽水が田川出身」ということでしばし歓談。ゆっくり休むにはとてもいいところ。お勧めです。

 

 

 

 

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筑豊急ぎ旅

2011年10月30日 | 旅行

前々から行きたかった田川、飯塚、思い切って出かけました。がしかし、何もきょう行かなくても。朝から雨です。

小倉で日田方面の電車に乗り換えます。昨日、旅行会社で発券してもらうとき、着駅を説明するのに手間取りました。

日田英彦山線は二両編成ワンマンカー。次第に山の中へと向かいます。雨に煙る秋の里山。

田川石炭・歴史博物館見学のあと、歩いて料亭あをぎりへ。初代田川市長の住まいで大正~昭和にかけて建てられたとか。国指定登録有形文化財だそうです。

中は広いです。長い廊下を曲がって案内されたこの部屋でお昼をいただきます。三畳の控えの間に奥が六畳、広縁の籐椅子に座って庭も眺められます。旅館みたいです。きょうは一人でのんびりと。写真が悪くて済みません。

これにすまし汁とデザートがついてます。食べ終わって30分くらいで帰ろうとしたらお店の方は意外そう。1時間くらいのんびりしてもいいのかも。ついでに昼寝したりして。。。。

欄間。天井も高いです。

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田川から飯塚の旧伊藤伝衛門邸へ移動。新飯塚からのアクセスがよくわからず、人に聞きつつ、やっとたどり着きました。

じゃーーーん、柳原白蓮の居室です。二階の眺めのいい部屋で庭が見下ろせます。豪華な屋敷の中でもここは一番いい場所。東京から華族のお姫様を嫁に迎える主の気遣いが伝わるような部屋。

結婚の条件の一つが毎朝パンへ食べることだったそうで、使用人が四時間かけて門司まで買い出しに。炭鉱王の財力を感じるエピソード。

飯塚からバスで天神→博多へ。おすもうさんがたくさんのぞみから降りてきました。そろそろ九州場所。頑張って!!

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「東京の戦争」 吉村昭

2011年10月28日 | 読書

 

敗戦の年に18歳だった吉村昭は、晩年になってやっと戦争のことを書き残す気になったという。戦中戦後、ずっと東京を離れずにいた青年が見た戦争の様子が、感情を抑制した過不足ない文体で分かりやすく書かれている。

人の戦争体験はそれぞれ、百人いれば百人、一万人いれば一万人のそれぞれ違う体験があり、それを集めたものが庶民にとっての戦争だろう。

どこそこの作戦で、なんという参謀がこんな作戦で勝利した、敗れたというのは戦史ではあっても戦争体験ではなく、人々の実際の様子は浮かび上がってこない。近年というか、日本が経済復興を遂げたころから、明治から現代までを一続きの歴史ととらえ、国民の誇りを取り戻そうという歴史観が台頭してきたのは、私個人としては大変いけないことだと思っている。

戦争は勝つべきものではなく、してはいけないもの。庶民のレベルでは勝ち負けに関係なく、生活に困窮し、身内が戦死し、思想信情が統制されて何もいいことはない。私はそう思っている。

翻ってこの本だけど、大所高所からの物言いが全くないことに好感を持った。

母の死の時は、那須温泉の奥に結核の転地療養に行ったばかり、東北本線黒磯の駅で翌日の切符を求めて並ぶ列から離れて、電報を見せる。駅長の恩情で翌日上野行きの列車に乗れる。

父親がなくなっても棺桶がない。兄の仕事関係の木材を持ち込んで近所の茶箪笥を作る指物大工に頼んだら、きちんとホゾを組んだ、優美に面取りをした棺桶が出来上がった。火葬場へは薪を持参しないと焼いてくれない。どちらも悲しいエピソード。あくまでも淡々と。それが却って胸に迫る。

そのほかヘ強く印象に残ったことを挙げてみます。

食糧買い出し列車のとんでもない混雑ぶり。乗ったらその時の姿勢のままで降りるまで。トイレはどうしてたのだろう。

電車のシートははがされて靴磨きの布に。吊り輪は手提げの持ち手に。いずれも闇市で売られている。

クリークという名の南京虫取り器。南京虫なんて、私は見たことないです。蚤と虱は小学生のころに一度づつ。

戦争末期の人々の心のすさみよう。居丈高になる商店主や隣組の組長。軍や警察より隣近所の目が怖かったそうです。

東京大空襲のあと川に浮かぶおびただしい死体。それを軍隊に受刑者も動員して瞬く間に片づけた当時の人の努力。

戦争中は遊郭が大繁盛したそうな。明日をも知れぬとなると人は平時とは違う行動に出るのだろうか。屋外で情を交わす男女も二度ほど見かけたそうな。近々出征する髪を切った男だった。。。。切ないですねぇ。自分の息子だと思うと泣けてくる。

戦後、東京では食糧難のために餓死者さえ出たこと。私は当時亡くなったのは筋を通した東京地検の判事だけかと思っていたけど、そうではなくて結構いたこと。中高年の男性が多かったそうな。きっと地方に親戚もなく、買い出しに行く余力もない人たちだったのだろう。女性はいざとなったら、最後の売るもので食料を得ていたのだろうか。

食べ物がない。空腹だということが人をどれだけ惨めな気持ちにするか、作家の抑制のきいた表現でよくわかった。こんなことがこの先二度とあってはいけない。そう思った。空腹と戦うこともれっきとした戦争だった。

今、日本は未曽有の災害から立ち直っているところ。西日本はまだまだ余力がある。もっと東北の人に関心を持って何でもできる手助けをしないといけないなあと改めて思った。

 

 

 

 

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さぬきの打ち込み汁

2011年10月27日 | 暮らし

けさ、NHKの番組「あさイチ」で、打ち込み汁を作っていた。そういえばもう長い間打ち込み汁食べてないなあ・・・40年は食べてないかも。子供のころ、二月に母の実家の法事へ行って、夕食に出たことがある。とても寒い日だった。そう、打ち込み汁は冬の食べ物。

などと考えるうちに急に食べたくなって、作ってみました。

作り方

①鍋でだしを取り、汁に合いそうなものは何でも入れてコトコト煮る。本日は人参、サツマイモ、カボチャ、シメジ、豚肉、鶏肉油揚げ。他には大根、サトイモ、ゴボウなどもおいしいと思う。トッピングにしょうがとネギ。

②①の鍋の横でうどん粉(中力粉)をこねて丸め、麺棒で伸ばして細く切り、①に加えて火が通るまで煮る。

③味噌で味をつけて出来上がり。

この料理の最大の特徴は、うどんを寝かせずすぐに汁の中で煮ること。グルテンが絡まず、うどんは短く切れますが、具だくさんなので、この方が食べやすい。

正式に作るさぬきうどんは、湯の中で茹で上げるとすぐに水で洗って表面に残るでんぷんを落とし、同時に麺を締めることでエッヂの立った腰の強いものに仕上げます。打ち込み汁では、腰のない柔らかい麺、打ち粉のでんぷんがとけたとろみのある汁が特徴です。温まります。これぞ冬の食べ物。

よく似たのに同じく冬に食べる「しっぽくうどん」がありますが、あちらのうどんは時間をかけて寝かした正式の製法。野菜を入れるのは同じですが、醤油味で食べます。つゆもすっきりしています。

今、NHKのサイトで、「打ち込みうどん」の写真見たけど、しっぽくうどんみたいな写真だった。最大の特徴は寝かさずすぐ煮る腰のないうどん、どろりとした汁、これです。よろしくお願いします。NHKさん。

うどん屋でしっぽくうどんが出ることはあっても、打ち込み汁はまず出ないでしょう。お金を取るための料理ではなく、本当に普段の食べ物。家に来たお客さんにも出さない。

で、写真のうどんですが、情けないことに「機械うどん」。そういう言い方が子供のころにありました。工場で機械で作るうどん。出しの絡みが悪く、腰もなく、人間、機械うどんを食べるようになったらおしまい。そこまで落ちぶれたくないというニュアンスがありましたね。対する言葉は「おうどん」。手打ちうどんなんて言葉、聞いたこともなかった。だって手打ちが普通だったから。どこの家でも、自宅でうどん作ってましたね。

だからこれは本当は打ち込み汁ではなく、邪道です。当地へ来て機械うどんしかなくて、それもとてもまずくて、しみじみと遠くへ来たことを実感したものでした。

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九州に四苦八苦

2011年10月26日 | 旅行

写真は由布岳から見下ろす湯布院盆地。2005年8月。

九州の旅行を考えている。行先は筑豊地方。筑豊炭田のある頃はたくさんの炭鉱都市があり、鉄道が縦横に走っていたが、今炭鉱はすたれ、列車の便数も少なくなっているらしい。栄えたのは明治から昭和30年代ころまでだろうか。遠賀川の流域、きっと独特の気質。宏大な共生感の存在する農村社会(by大江健三郎 芽むしり仔うちだったかな。出典失念)←(引用はどこからでもよろしい。昔文通していた友人が大江の大ファンで文体までよく似ていた。もとは戦争中の話だけど、その人は自分の育った純農村地帯の話をしていたんだった。)に育った私としては、自分の体一つを商品とし、危険と背中合わせで世間と渡り合う世界はたぶんだいぶ感覚が違うと思う。

なんてことはどうでもよろしい。筑豊地方、交通の便がいいのか悪いのか、それさえわからない。バス便は多そうだけど、今度は地名がわからない。バスの時刻表はネット検索に時間がかかってイライラする。

いっそのことツアーでと思っても、当地からのツアーはほとんどない。あっても行きたくないところも組み込まれている一泊旅行。豪華ホテルなんて泊まりたくないし。

一人で電車バスでふらふら行くつもりだったけど、圏内の移動は車の方が便利そうだし、一人で運転するのは疲れるし、結局予約していた宿もキャンセルして日帰りの強行軍。残念。

キャンセルした宿は先月、そのレトロな雰囲気に一目ぼれしたさる旅館。博多駅から徒歩10分くらい、4.5畳シングルで素泊まり3,000円。カプセルホテルではありません。予約サイトのポイント利用で2,200円ととっても安い。いつか必ず泊まりたい。うーーーむ、残念。

今は在来線を使って旅行するのは、とても大変なんだと遅ればせながら実感した。旅のご報告はいずれまた。

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ホテルに四苦八苦

2011年10月25日 | 旅行

来月京都へ行こうかなと思っている。またしても。懲りない私である。

いつも一緒に旅行する人に悪いなあと思いつつ、「実は京都へ行くんだけどね」と打ち明けると、なんと地元の文化事業の京都旅行に欠員ができ、一泊二日で先日急遽出かけたとのこと。バスで廻ったらしいから、効率よく見られたことだろう。いいなあ。でも嵯峨野をゆっくり歩きたかったと嘆いていた。団体行動のつらいところですよね。

京都は盆地の狭い範囲に観光地が集まり、一人旅でも地下鉄とバスでたいていのところはたどり着けるけれど、シーズンには乗り物はとんでもなく混んだりする。覚悟しておかねば。

たとえば北野天満宮の天神さん、写真は8年前の10月だけど、境内たいそうな賑わいで、地下鉄今出川を降りて北野天満宮に向かうバスは超満員、酸欠になりそうだったーーアヘアヘ。

おまけに今年は親鸞聖人750回忌、全国から真宗門徒が京都の各本山に参詣しているので、来月の紅葉シーズンには一層混雑することだろう。

紅葉はまあ押し合いへし合いでも何とか見られるけど、宿を探し始めたら、もう全然ない。必死であちこちアクセスするうちに、シングル8千円というリーズナブルなホテル発見。場所もまあまあだし、結婚式も扱うちゃんとしたところらしいけど、結局キャンセル。何かね、もう鉄筋の立派な建物が嫌なんですよね。見るだけで疲れる。木で作った家なら気持ちが落ち着くという・・・歳ですね。

でも日本旅館は二人が基本、一人だととんでもなく高い。文人墨客の定宿のようなそんなところへ、この私がうっかり迷いこんだら、どういう扱いうけるか、考えただけで恐ろしい。

念のため、きょう近所の日本旅行に聞いたら、もうシングルで2万円以上のホテルしかないそうで。ひょえーーーー強気の値段設定やなあ。あの新型インフルエンザ騒ぎの時、ホテルは軒並み大ダンピング、大手有名ホテルでさえシングル3千円とかだったですよね。あのときはよかったなあ。ホテルの風呂にお湯溜めるのが面倒なので、近所の銭湯へ行って楽しかった。レトロで生活そのもの。京都って本当に銭湯が多い。うらやましい。

で、宿は結局、小さなのを偶然に発見。一泊目は北野天満宮至近、歩いて行ける。次の日も小さな宿。狭い路地の中の隠れ家のような宿。うーーーん、そそられます。お値段もとっても安い。きっと家族経営なんでしょ。そういう宿があるのが、古くから都を張っていた京都の底力かな。

写真は同じく2003年10月。西陣で。

京都の町中には大きなショッピングセンターはないけれど、角々の商店が扱う品が、たった今裏で作りましたという品質の確かさ。小さな商店の和菓子や豆腐などはほとんどはずれがありません。

以前、息子の学生マンションの近くで、つい豆腐、厚揚げを買って自宅まで持って帰った。京都土産というにはあまりに日常的だけど、とてもおいしかった。

息子に「あの店で厚揚げ買ったことある?美味しかったよ」と勧めるも「そんなもん買うたことない。厚揚げ買ってどうするん?」「食べるんよ」「厚揚げなんか食べん」などという会話をしたことを今思い出した。

夜、宿で食べるおやつを一個、袋に入れてもらうのも楽しい。餡は餡の味、求肥は求肥の味、おいしいです。よほどふだんまずいものを食べてるんですね。

個人的には錦市場にはあまり行きません。一回くらいかな、買い物したのは。観光客値段で高いように思います。またお店も取り澄ましていて、地元商店街の楽しさがありません。

一度、一週間くらいゆっくりと、暮らすような旅がしてみたいなあと思う今日この頃。

写真は西陣会館で、袋帯の織り方の実演。2003年には縦糸を型紙で調節していたけど、今はたぶんコンピュータでやるんじゃないでしょうか。未確認ですけど。9年後、まさか自分が織り機の前に座って織物してるとは予想してなかったけど。

生身の人間、一寸先には何があるかわからないので、このブログで今から旅の楽しさ先取りです。とここまで書いたら、普段決して電話して来ない息子からの突然の電話。じんましんがひどいので薬送ってほしいはまあわかる。けど、もう一つの話に驚愕する母でした。ひょえーーーーひょえーーーーひょえぇぇぇぇと驚きまくる母なのでした。ったく一寸先は読めません。

 

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妹背の滝へ

2011年10月23日 | 広島案内

宮島口よりまだ西、大野町の妹背の滝に行きました。

手前の大頭神社、きょうはお祭りです。

社殿は川の横の狭い場所に。

社殿の後ろの橋を渡ると滝が見えます。昨日の雨で水量多し。雄滝、雌滝で妹背の滝です。

白塗りしています。

さらに石段をあがること数分、経小屋林道と合流。看板リニューアル。

わがまま、ゆっくり、のんびりって…こんな人生を歩んでみたいもの。

参考画像。2010元旦、三男写す。

奥には廃屋風の建物が。怖いので引き返す。

あとは車道を。この人物に注意!!

カンナとセイタカアワダチソウ。向こうJR大野浦駅。

夫は趣味の会で外出、一人で出かけました。久しぶりの山歩き、疲れました。あすからもっと鍛えないと。。。。

 

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簡単手芸、箸袋

2011年10月23日 | 暮らし

えーー、先日大好評だった(わけない)バナナスタンドに続いて、きょうは簡単にできる箸袋のご紹介です。

 

用意するもの。ハンカチ、紐。

外表に半分におり、先に紐を挟み込んで縫い付けます。

紐の先は結び目を一つ作ります。これで出来上がり。

箸をおきます。

両側からたたみます。

くるくるまいて、紐を巻き、結び目を挟み込んで収納完成。

製作費、今回はあるもの利用で0円。製作時間1分以内。よかったらお試しください。ああ今回もまたしょぼい記事。。。。

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「田舎暮らしに殺されない法」 丸山健二

2011年10月22日 | 読書

戦後すぐのベビーブーム世代が定年退職する今の時期、退職金を目当てのいろいろな商品があるが、田舎暮らしのための不動産などというのはもっとも高額なものの一つだろう。がしかしこれは、長い間、都会であくせく働いて、定年後は田舎の空気と景色のいいところで好きなことをしてのんびり過ごしたいという憧れに、これでもかと水を差しまくる一冊。

著者は20代初めに、題名を失念したが、死刑執行官を題材にした小説で芥川賞を受けた人。信州安曇野に移り住み、東京の文壇とは離れて、寡作ながら独自の作風の作品をずっと発表してきた。またそれとは別に庭づくりも徹底していて、白い花々を見事に咲かせた写真集を見たこともある。男が本気で花を作るとこんな風にきれいに咲かせられるのかとびっくりした。花はたおやかではなく、もっと硬質な感じ。

田舎暮らし40年の間に見聞きしたことを踏まえ、漠然とした憧れがいかに危険かを順々に明らかにしていく。文章は花と同じようによく彫琢されて硬質で、本質へいきなり切り込む鋭さもある。

ついには、自宅にに強盗が押し入ったときの自衛のためには、手製の槍がいいというようなことも。ええっーーー槍ですってぇーーー。サバイバルナイフを棒の先につけ、侵入した賊に躊躇なく突き出し、すぐに引く。死んだらどうしようとためらっていたら、自分が殺されるそうで。ここまで来ると悪い冗談とも思えるけど、要するにそのくらいの覚悟を持てということなんでしょう。

田舎の人は何もあなた方を歓迎する義理はない。おしゃれで趣味がよくて、理屈をこねる都会人が視野に入るだけで、田舎の人は心が騒ぐ。それは自分たちの漠然と抱いていた、自分たちの生活や地域社会への疑問をはっきりと自覚するからだそうで、まことに正鵠を得た指摘だと思う。いるだけで、嫌なんですもの歓迎されるはずがない。

田舎の人が純朴だというのは都会人の幻想、田舎の人は一筋縄ではいかないずるがしこさがあるそうで。たとえば原発の事故以後、原発賛成とあからさまには言えないけれど、本音では原発の交付金が欲しい自治体、住民は今でもあると思う。ここに問題の根深さがある。

原発の候補地になっているあるところの選挙の様子を、ニュースで見た。賛成派のある年配女性、「ここらは産業が何もないところだから地域起こしには原発が必要、よその土地のものはあれこれ言わないでほしい」と言っていた。

都会人が想像する田舎の純朴な人ではなく、とても複雑な、もっと言ってしまえば、札びらで頬をはたかれるとこんなさもしくなるのかと思わされる表情だった。自分の意見が言えない、長いものには巻かれるしかない田舎の暮らし、そこに目もくらむような交付金。非難するのは簡単だけど、その罪から都会の人も免れないだろう。

話がそれました。安易に田舎暮らしを始めることを戒める本ですが、日本人論としても読める本です。

私ですか。一週間くらい滞在してボーと過ごすのはいいけれど、暮らそうとは思いませんね。野菜はおいしくなくてもいいから、(もちろんおいしい方が好きだけど)、自分で作ろうなんて思いませんね。

実は芸北地方に古民家を借りようと一時探したけど、たいていの物件は「地域の付き合いをする」というのが条件。地域の付き合いってどんなことかわからないけどなんか怖そう。高速通れば一時間くらい、でもそこは昔からの論理が生きる異次元社会なのでした。

アマゾンのアソシエイト・プログラムのアカウント取ったのだけど、このブログでは使えないそうで。それで写真だけお借りしています。引っ越そうかな。リアル社会と違って、こちらの引っ越しは苛めもなさそう。

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必殺手抜きごはん

2011年10月20日 | 暮らし

世の中にはお料理上手な方もたくさんおられることでしょう。

私は好きでも上手でもなく、どうしたら少ない労力でやり過ごせるかばかり考えています。

今朝もゴミ出しのあと買い物に。面倒なことはさっさと済ます。8時前なのでお客さんほとんどいない。

小さめのタイ4匹で128円だったかな。いいお値段~♪まずこれを買いました。

タイってあまり煮つけにはしないと思うけど、simple is best。塩焼きは難しい。電磁調理器の魚焼き機能、使ってません。掃除が嫌なので。

ディナー皿は1976年、広島そごうで。一枚割れたけどあとは長く持ってます。35年・・・我が家の歴史とともに。有田の香蘭社製。和食にも合うブルーの縁取り。

本日の目玉、超簡単オールインワンスープ。あるものを何でも次々と入れて煮込む。最後にスパゲッティをベキベキと割り入れ、アスパラも入れる。薄い塩味でもおいしく食べられます。コツは煮立てないこと・・・なんて皆様先刻ご承知と思いますが。

スープ皿は2008年イギリス、ストークオントレントのウェッジウッドのショップで。一枚800円くらいだったかな。色が少しずつ違うので検品落ちかも。スープスプーンは東京のC生様にいただいたスープカップのセット。カップはひとつ割れてしまいました。ごめんなさい。木のスプーンは大切に使っています。

ソーメン山芋。と勝手に命名。刺身のつまを作る道具で削ってみる。コネコネと混ぜるといい感じ。納豆とも合いそうですね。

萩焼の小鉢は7月、萩で。萩焼って土ものだけどそうぼってりしてないので年中使えそう。広島の宮島焼は萩焼の流れをくむそうです。

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必殺!!「バナナスタンド」

2011年10月19日 | 暮らし

バナナは当たったところから傷むのでこんなもの作りました。

クリーニングのハンガーを手で適当に曲げただけ。専用の道具も売ってるみたいだけど、これでもいいのでは。

小ネタですみません。それにしてもきょうは夜起きているのでついつい更新してしまった。。。。

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「大連小景集」 清岡卓行

2011年10月19日 | 読書

写真は季節にふさわしく松茸。国産。その心は国産のティッシュで日本人の私が作ったことから。我が家にはもうガスコンロがないので昨年の画像の使いまわし。すみません。

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1983年発刊、四つの短編からなる作品。生まれ故郷の大連を敗戦後離れ、34年ぶり、60歳を過ぎてから再訪したときの印象をもとに詩的文章で彫琢した佳品。

パリを模してロシアによって計画された大連は、すぐに日本の統治するところとなり、多くの日本人が移住し、やがて著者のような大連で生まれる世代も現れる。

著者は念願かなって大連を訪れ、記憶に残るかつての場所を訪ね、志半ばで大連を捨て、徒歩で旅順へ向かう最初に都市開発を行ったロシア人サハロフに、町の角々で心の中で話しかける。どんなにか無念だっただろうかと。

それは作者自身の大連への哀惜とも重なる。アカシアの並木を作るべくわざわざシベリア鉄道で苗木運ばせたサハロフへの思いは、同情、感謝とほぼ等しい。あちらさんは決してそうは思わなかっただろうけど。無念で無念で仕方なかったことだろう。極東の遅れた国の、ついこの間まで頭に髷を載せていた国の民が、自分の理想を受け継ぐとも思ってなかったのでは。

しかし、それは曲がりなりにも達成されたのではないかと思う。本願寺や神社は仕方ないとしても。

8月の大連旅行以来、大連関係の本を読んできたけれど、ひとまず終了。著者は比較的恵まれた階層にあり、まだしも振り返る心の余裕がある。引き揚げのことなど思い出したくないという人もたくさんいるだろう。内モンゴル付近の開拓団の引き揚げと、大連の引き揚げとではだいぶ違うと思う。

著者は目の前の光景を「歴史の審判」と淡々と受け入れている。中国人の犠牲の上に成り立つ繁栄など、長く続くはずもないと反省している。郷愁を超えてそう思うまでにはたくさんの葛藤があったことだろう。

この中で私が印象に残ったのは、大連での日本語教育。日本語の授業では日本の小説を読むが、すべて日本語で進められる。徹底している。今日の中国の繁栄は、こうした真摯な教育のたまものだろう。かつて日本もそういう時代があったのだ。

 

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「明るい節約生活入門」 横田濱夫 丸山晴美

2011年10月17日 | 読書

写真は福山城内、福寿会館の洋館。昭和初期、地元実業家の別荘から戦後市が取得、公営の結婚式場を経て現在は隣の和館とともに貸会場に。庭も素敵です。洋館は国の登録有形文化財。

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本棚整理したら出てきた。読んだはずだけど面白そうなので再読。

主には若い給料生活者向けの節約本。何もかも節約では精神的にきつくなるのでゲーム感覚で楽しく節約をしようという話。横田氏は元銀行マンから経済関係のライターに。丸山氏はフリーターを経て節約に目覚め、四年間で500万をためて26歳でマンション購入、節約界のカリスマ・レディだそうで。

二人の節約の話、特に目新しいものはないけど、横田氏も独身で、コンビニでよく買い物をすることを丸山氏からたしなめられている。

とりあえず自炊するのが節約効果大だそうで。確かに。無駄な付き合いやだらだらした時間を過ごすのは、人生の目的がなくてその場限りの楽しさを求めているからで、それでは節約はできない。目的を決めてお金を貯めることで節約も苦行から楽しさに代わるそうです。

節約は性格にも左右されますよね。お金にルーズな人は人生にもルーズ、心したいと思います。途中に挟まれたチェックリストの数々、銀行マンの見たお金持ちの意外に質素な生活とか、楽しめます。

お金を使うこと、料理をすることは誰でもしていることなので、誰でも面白く読めます。

私ですか、ニュースステーションで全国放送された超激安スーパーが歩いて数分のところにあります。全国放送されたということは全国的に見ても安いということですよね。確かに何でも安いです。高級品、めったに売れないものは置かないというコンセプトも徹底しています。朝の七時から開いているので、ごみを出したついでにちょこちょこっと買い物。

年寄り二人、三度家でご飯食べて、でも食費はそんなにかかりません。外で食べることもめったにないし。夜は12時まで開いてるので足りないものはその都度買い足し、まとめ買いもあまりしません。お嫁さんが冷蔵庫が小さいと驚いていたので、「お店の冷蔵庫に預けてある。お金持って行ったら出してくれる」と煙に巻く姑。

ああそれにしても大連であんな馬鹿な買い物さえしなければ。とまたしても後悔の日々を重ねる私でした。

 

 

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夏のしわ寄せ

2011年10月13日 | 暮らし

が今になってやってきたのか、毎日毎日、これでもかというほど用事に追われている。夏の間遊びまくったからなあとあきらめてるけど。

主には片付けなんだけど、昨日は二階をちょっと片づけるつもりが、結局本箱ひとつ廊下に出し、本を入れ替え、捨てるものをより分けているうちにもう昼。

昼からは箪笥一つを別の部屋に移し、二階の座敷(と呼べるほど立派な部屋ではないけど)に布団が三つ敷ける空間を作った。週末、もしかしたら息子たちが来るかもしれないので。大変だけど嬉しい。嬉しいけど大変である。

と言っているうちにもう明日は金曜日、織りで一日潰れる。織っているときは心が落ち着くのだけど、織れるようにするための準備が例によって大変。なかなか奥が深いので、10年くらいはしないと一通りは織れないのかもしれない。寿命との競争です。

さて先日「村上春樹のノーベル文学賞」のことをあれこれ話しているときに、世間の一部ではけっこう期待する向きがあるのだと初めて知った。私の個人的な印象だけど、もちろん世界中に読者を持つのは誰にでもできることではないけれど、難しいのではないかと思っている。

人間はやっぱり、歴史や社会の制約の中でつまらないことに悩み苦しんで生きる存在だと私は思うが、村上春樹の小説にはそこのところが足りないと思う。若いころはその自由さがうらやましく、アジアの多くの読者もたぶんそこのところと、おしゃれな都会の消費生活へのあこがれで読むのではないかと思うけれど、結局人間はその制約からは逃れられないのではないだろうか。

その葛藤のなかから生まれた文学に賞を与えるのがノーベル文学賞だと私は思っている。村上春樹もたまにそういうところに目配りのある作品も書くらしいが、最近は読んでないのでわからない。ねじまき鳥・・・だったかで、人間の皮を剥ぐ場面が出てきたけど、告発しているのかなんかようわからなかった。とって付けたようだった。

村上春樹の真骨頂はやはりデビュー作のあの浮遊感、シニカルな姿勢の中にこそあると思う。でももう時代が、変わってしまったんですよね。読む私が変わったのかもしれない。一生こんな感じで何事にも深くかかわらず生きていけたらいいけど、生きていけるはずもないと思った時に、私は読まなくなった。

ノーベル賞の下馬評に上がってご本人はきっと嫌だと思う。自分から応募するわけじつゃなし、マスコミが騒いでいるだけなのに。

日本では川端康成に大江健三郎でしたか。川端康成は政治的な発言などはしない人だったけど、日本らしさの追求一筋、全くぶれていない。それが評価されたのだと思う。

大江健三郎は戦後を代表する大作家、最近はあまりインパクトのある作品を書きませんが、若いころは話題作を次々発表し、世間に与える影響はとても大きかったのでした。

今は小説にとっては難しい時代。村上春樹氏は周りの雑音を気にせず、デビュー作のあの軽やかさを極めて欲しい。

このところ睡眠不足で、ちょっと書くつもりがついつい熱くなってしまった。村上さんは日本語で書くという不利益もありますよね。それをはねのけて頑張ってもらいたいものです。

写真は池のアメンボをこわごわ覗き込む昔の少女二人。

 

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絵付けと懐石弁当

2011年10月11日 | 暮らし

きょうは月に一度の絵付けのお稽古、一と月振りの料亭の庭はすっかり秋の装いでした。

                 

                 秋海棠しゅうかいどう

                 

                 八重咲秋明菊

                 

                 南天

                 

                 紫式部

                 

                 茶

                 

                 竜胆そのほか 草もの盆栽

          

          まだまだ糸トンボが。

    

    柿

       

       

      自分で織った模紗もしゃ織りのマフラーと絵付け作品。

      模紗とは紗に模したという意味。縦糸、横糸は三本一組、通す場所を変えることで隙間を空け、肌触りが良くて

      軽い織物ができるそうです。夏に出来上がる予定が、秋になってしまいました。

      友人からもらった糸なので、お揃いで二枚織りました。きょう渡したら喜んでもらえてよかったあ~

         

         本日のお弁当。松茸入り!!今年はたぶんこれが最初の最後。松茸をアップで撮ってみました。

         

         絵付け、お弁当、自然いっぱいの静かな庭、皆さんとの楽しいお話。きょうはとてもいい一日でした。

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