日記

日々のあれこれ
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短気は厳禁@殿様

2009年11月30日 | 旅行
殿様は気短かではいけません。
「無礼者!!手打ちにいたす」なんて刀抜くのは時代劇の中だけ。本当の殿様はどんなときにも、耐えに耐える生活だったらしい。
ご飯にハエが入ってても、こっそり呑み込むしかない。だってわかると食事係が切腹させられるんだもの。(広島城四百年 中国新聞社編より)

君主の価値とは「ただあること」。無事に一生を務め上げ、子孫を残して家を存続させるのが一番偉い殿様。家を途絶えさせるのは殿様として最大の失策。

その点では赤穂藩の浅野内匠頭長矩、少し気が短いんではないだろうか。ハエを呑みこんだ、広島ご本家、浅野の殿様を見習ってもらいたいもんだ。
家も取り潰されて、その点では気の毒だけど、江戸城内で刀抜いてはいかんだろ。
どんな理不尽な目にあおうと、辛かろうと、刀抜いたら自分が不利。そこでもう負け。自分の肩には赤穂藩士と領民がのっかつてること、片時も忘れてはいけません。映画、ドラマでは決まって美男俳優がなるけれど、私は気の短い人には感情移入できませんねぇ。

で、何で赤穂浪士は敵討ちなんかしたのだろう。江戸時代初め、改易された大名は数知れず。相手が幕府なので恨みを胸深くしまい、新しい士官先を探したり、帰農したりとみんな苦労したはず。敵討ちしても殿様は生き返らず、家も復活しない。

その頃はまだ、敵討ちという野蛮な慣習を世間が許容する時代だった?それとも敵討ちってしないといけないものだったのだろうか。
うーーーん、わからん。そこのところをまともに考えた学者先生はいないのだろうか。

日本人の誰もが知っている「忠臣蔵」の話。忠義を称揚する分かりやすい筋立て。サイドストーリーのいちいちもよく出来ている。
昔は困ったときの忠臣蔵、芝居小屋が客を集められる演目だったらしい。年末興行で座員の餅代を稼ぐということでは、地方のオーケストラが「第九」をやるのと構造的には同じかも。ふだんクラッシツクに縁のない人も、年末、知り合いが合唱に出ていると見に行くもんね。

忠臣蔵の隠されたテーマは「忠義は大事だけど、世の秩序も大切」ということではないだろうか。時代は武断政治から文治政治への転換点だから「この平和な時代に敵討ちなんて、何とアナクロな」と思う人もいたと思う。

三次浅野家は赤穂浅野家とは親戚。浅野内匠頭の正室は三次出身。その縁で浅野家菩提寺には義士堂もあります。20代、30代でなくなった人が殆ど。死にたくなかっただろうなあ。卑怯者でもいいから私なら参加しないけどなあ。全ては殿様の短気から始まったこと。合掌。

残りはこちらでどうぞ。

三次・名残の紅葉
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出雲はどっちだ!!!謎の石柱

2009年11月30日 | 旅行
昨日、三次の町を歩いていたら、十字路の薬局の前に、昔の道しるべの石柱が保存されていた。
手前側、左ひろしま 右いずも大社は分かるんだけど、右側の左いずも大社、右たかの山はこれでいいのかしら。

出雲大社はこの角を左へ行くのか、右へ行くのか??????
どちらから行ってもすぐ先で道が合流して出雲への一本道ということかも。

ならメインのほうを示したほうがよくないですか?と石柱に向かって思わず突っ込む私でした。

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遠景はこれです

2009年11月30日 | 旅行
道の角にあります。やっぱりどちらから行っても出雲へ行くんでしょうね。
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三次、名残の紅葉

2009年11月29日 | 旅行
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夫のオーディオルームは床と壁板は終わり、きょうは天井近くに和紙を重ね貼りする作業。
私は早朝自宅を出て、高速バスで三次まで。午後には帰り、少し手伝う。古くなって使わない和服のたとう紙を寄付した。この間から10枚くらい捨ててしまった。残念。

紅葉は・・・うーーーむ、一週間遅かったみたい。モミジの落ち葉が地面を覆いつくして、公園にはだあれも居ません。

思い起こせば嫁入りした翌年の五月の連休、夫の家族みんなで国鉄に乗って三次まで。この公園にも来ました。今はお舅様はすでになく、夫の弟妹もとうに結婚して家を出て、長い年月が過ぎました。

展望台から見る江の川の流れだけが、昔のまま。思えば息子達を連れて来たこともなかったなあ。

駅前から高速への曲がり角の料亭だけは昔のまま。吾妻山方面からの帰り、何度か寄って食事したけど憶えているだろうか。恐竜のおもちゃをひとつだけ貰って、けんかになったことも。

親は若く子供は幼かった。年年歳歳、景色は変わらねど、人は決して同じからず。

もうすぐ三男の誕生日。
「赤ちゃん生まれたら象さんかばんに入れて幼稚園に持っていく」と言っていた次男。カブトムシみたいに自慢したかったらしい。さすが赤ちゃんでもかばんには入りきれず、すぐに断念した模様。
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届きました!!有難うございました!!!!!

2009年11月27日 | 暮らし
信州にお住まいの、ネット友達の方から今年も立派なリンゴが届きました。つやつやの大きなリンゴ!!さわやかな高原の風景が目に浮かぶようです。
有難うございました。

我が家の近所は、百万都市ながら一部自然の海岸が残っていて、春先にはワカメがどっさり採れます。と言っても、採っているのは私と私の友人、その他物好きな人だけ。今年は採り過ぎて干しワカメにしましたが、まだ衣装ケースにいっぱいあります。二、三年は大丈夫そうです。

押し付けがましいとは思いつつ、生ワカメが湯の中で一瞬にして緑になるのを体験していただきたくて送ります。高速道路のある今の時代、もしかしたら珍しくないかもしれませんが。

中央自動車道を通ると、車から手の届きそうなほど近くにまでリンゴ畑が広がり、しみじみと旅情を感じるのですが、そのリンゴが我が家に届いて本当に嬉しい日となりました。
有難うございます。高速が千円になってから、時間が読めず、信州へはJRで行くことが多くてお友達とも会えないままですが、いつかまた会える日を楽しみにリンゴをいただきたいと思います。

有難うございました。
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今年の春のワカメ

2009年11月27日 | 暮らし
採ってきたのを外の水道のところで洗い、今から台所へ運んで茹でようかという段階です。ここまでですでに疲れています。アヘアヘ。

でも楽しくて止められない。
今年は五、六回行ったかな。大潮のときに砂浜に打ち上げられたナマコもどっちゃりこと採った。
その話をこの間友人にしていたら、「私も来年は行く!!大潮って何時頃?」と聞かれたので「時間は決まってない。その時によっていろいろ」「あっそうか」という話になり、大笑いした。

まあ潮汐表を見ればいいんですけどね。
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坂出山下うどんで

2009年11月24日 | 旅行
村上春樹、安西水丸両氏の色紙発見。右隣のコピーは「辺境・近境」の中の「超ディープ・讃岐うどん紀行」挿絵のコピーのようです。

困ったときの山下うどん、雑誌、テレビなどのいろんな媒体によく取材されているようですね。壁掛けの扇風機がいい味出しています。

行き方、瀬戸大橋渡って坂出インター→R11を高松方面→予讃線越すとすぐにR33へ→新宮交差点で左の細い道へ→神社前を通って北上→川土手付近に車が止まっているところが入り口。小さな看板があるだけ。この分かりにくさも何だかご利益がありそうで。

讃岐では車が田んぼ道に二、三台止まっていたら近くにうどん屋があるそうです。
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さぬきうどん一気食いツアー個人編

2009年11月23日 | 旅行
14日の県人会ツアーの話で、夫が行きたいというのでまたまた香川県へ。
きょうのうどんは山内うどん、坂出山下うどん、某札所前の某うどんや(こちらは高校大学と同じだった友人の実家。でもご両親もすでになく、殆ど帰らないと兄嫁さんの話でした)、最後は栗林公園近くのうどんやの四軒でした。

その合間に、藩主の菩提寺、仏生山法然寺の涅槃像を拝観、友人にも会い、実母にも顔を見せてと忙しくも楽しい一日でした。

涅槃像

涅槃像はよくある掛け軸ではなく、全て彩色木彫の像です。釈迦の後ろは阿弥陀三尊像、天井から雲に乗った来迎仏と天女、周りを取り囲む釈迦十大弟子?そのほかの弟子の嘆き悲しむ様子が大変リアルです。特に面白いのは動物達、十二支に猫、いろいろな鳥、龍を初めとする想像上の動物と木彫でずらりと並んで可愛いです。
「こびた感じがなくていい」とは夫の弁。

子供の頃、祖母と見て半世紀、記憶の中の涅槃像は大きかったのですが、そうではなくて私が大きくなっただけのようです。しかし、像の持つ迫力と感動は子供の頃と少しも変わりません。
「仏生山のお涅槃」はいつの季節だったのか。参道もとても賑やかでしたが、まさか50年後、自分でハンドル握ってその道を通ろうとは?

「参道で売っていた、ヘギで編んだおもちゃの籠がほしくて、でも言い出せなくて、いつか買おうと思いながら今になった」と夫に話しました。当時で15円くらいでしたか。

うどんに釣られて法然寺参り、信仰心の乏しい私も周りの大人に大事にされたこどものころを思い出し、感謝の心が芽生えました。

いいお天気で大した渋滞もなく、友人からは畑で抜いたばかりの大根と株、自宅庭のレモン、母からは母の実家から貰った柿と食べかけのチョコレートを貰い、人の縁のありがたさに感謝しながら帰ってきました。

写真は一番美味しかった坂出山下うどん。14日の写真です。右上、国道11号線。きょうは村上春樹、安西水丸の色紙も発見しました。
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「おひとり京都の愉しみ」 柏井壽

2009年11月22日 | 読書
本業は京都在住の歯医者さん。京都生まれの京都育ち、地の利を生かしての京都の穴場の紹介本です。
一人でも楽しめる観光地、レストラン、ホテルと宿などの紹介。またまた京都を旅してみたい誘惑に駆られます。

この本に紹介された一流ホテルだけではなく、日本旅館も一人で泊まれる宿が増えているようです。私のささやかな経験ですが、今年10月、私は京都市役所近く、素泊まりで本当にびっくりするくらいの値段で泊まることができました。どんなところかとおっかなびっくりでしたが、ちゃんとした宿でしたよ。風呂も広くてだあれもいなくて貸切温泉状態、ゆっくりしました。ただしタオル歯ブラシは持参、浴衣は210円で借りました。

京都だからと何でもありがたがってはいけません。高いのが当たり前と許してもいけませんね。よくないサービスは淘汰され、誰もが安心して一人旅を楽しめる、そんな時代になりつつあるのは心強い限り。そのためのhandyな案内書です。




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楽しい登山

2009年11月21日 | 暮らし
きょうは友達四人で、東広島市の山へ登りました。登山口はJRの駅から近いながらも、山城のあった山で、変化にとんだ山歩きです。尾根に上るまでは険しいのぼりが続きます。
やっと途中の広い場所まで上がると、なななあーーーんと、数十人の団体ご一行が。何かのイベントらしい。静かな山歩きのつもりだったのでびっくり仰天、早々に逃げ出し、頂上まで。こちらはそう人も多くないので、四人でお弁当を食べ、みかんとおやつを分け合いこして楽しく過ごしました。

降りるのはまた崖のような急斜面を、ロープを握って降りていきます。
11年前、当時入っていた植物観察会の仲間とオフ会しましたが、そのあと代表は54歳の若さで亡くなり、きょうはそのときの一人のほかは初めての登山。

年々歳々山同じうして人同じからず。きょうのメンバーでまた同じ山へ同じ季節、同じ天候の日にくることはありえない。楽しい時間と空間は下山したら消えてなくなり、記憶の中にだけ残る。登山の一回性。楽しい時間を共有した人と山に感謝。
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下山して

2009年11月21日 | 暮らし
楽しく山を歩いて、もうすぐJRの駅です。花や木の好きな私達、いろんなものを見ながら道草します。

後ろの稜線で右のピークが頂上。真ん中の小高いところに団体さんがいました。
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えびす講と広島ドリミネーション

2009年11月20日 | 広島案内
昨夜はえびす講と広島ドリミネーションへ。どちらも久しぶり。
寒かったけど、かなりの人出でした。どちらも若い人がたくさん。寒いので大急ぎで回って大急ぎで帰ってきました。

写真は本通り。こちらまだ閑散としています。昼間は店もセールしてたかも知れませんが、最近跡継ぎが居ない商店は貸しビルになったりして、老舗の立ち並ぶ商店街もだいぶ様子が変わってきています。
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胡神社前で

2009年11月20日 | 広島案内
天満屋と三越にはさまれた狭い社殿ながら、毛利氏の祖、大江広元を祭っているそうで。今は商売繁盛、商売の神様です。熊手売ってます。
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平和大通りのイルミネーション

2009年11月20日 | 広島案内
神戸のルミナリエよりは小規模ですが、年々飾りも増え、人通りも多くなった気がします。
十一月のえびす講とクリスマスが一緒になって、いかにも気ぜわしい。時間に背中をぐいぐい押される感じ。
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シンデレラの馬車?

2009年11月20日 | 広島案内
中は座れるようになっています。ロマンティックですね。
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団塊の世代

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