山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

葉室麟『いのちなりけり』を読む

2014-10-21 21:27:29 | 読書
 映画にもなった『蜩ノ記』を読んだ余韻から、葉室麟の『いのちなりけり』を読む。
 相変わらず武士の政争に巻き込まれる筋書きだが、そこに和歌と夫婦愛をキーワードとして組み込んでいる。
 直木賞を逃した作品でもある。

                      
 アウトローの主人公をとおして、生きるということ、いのちということを提起している。
 「ひとが生きていくということは何かを捨てていくことではなく、拾い集めていくことではないか」と、さらりと言わせている。
 なかなか禅問答のように解読はむずかしいが、心に引っかかる深さがある。

   
 藩主が主人公に「誰に仕えるか」という問いに対して、「天地の間に満ちている物に奉公する」と答え、それは「命でござる。人の命、米の命、みな天地の間に満ちております。
 天地は命を育むもの、されば命に仕えればようござる。」と続ける。
 また、「命に仕えるとは死すべき時に死に、生きるべき時に生きる命を受けとめることでござろう」と、宿敵を倒したとき「お命、受け止め申した」と結ぶ。

                 
 そして彼は自問自答する。
 「いのちとは、出会い、ではなかろうか、という気がしていた。
 ひとは生きているからこそ、何ものかと出会っていくのである。」
「半農半X」を標榜するオイラとしては、これらの言葉がガツンと頭を叩く。

        
 含蓄のある言葉が行間にほとばしる。
 いのちを簡単に殺してしまう現代に作者の問いかけがズシリと響く。
 藤沢周平や山本周五郎を想起する葉室麟の庶民の立場からの清冽な時代小説が現代を告発してやまない。
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小集落を束ねる氏神様の祭り

2014-10-20 21:26:08 | 出会い・近隣
 一昨日はわが集落の神社の祭礼と直会。
 昨日は近隣に散在する山の小集落を束ねる神社の祭礼。
 忙しい人は4日間くらい終日かかわってしまうことになる。
 杉の大木が林立するなかのつつましい山里の祭りだ。

   
 朝の8時に甘酒づくりの当番で集合する。
 当番は9年ぶりだというがマニュアルがないので細かい作業に戸惑う。
 号砲の花火の轟音が天を奮わせる。
 
                  
 神事が始まり宮司を中心に集落の顔馴染みの行列が本殿に向かう。
 甘酒の素30kgが入った甘酒を参列者に振舞っていくが、かなり余ってしまう。
 参列する人の顔のほとんどがわかる小さな祭りを支えているのは40歳代以下の「青年」だ。

            
 ゲームや出店も数えるほどしかないが、子どもらは嬉々としている。
 地元出身者の子ども、つまり孫がやってくる。
 そういう参加者がいないと子どもの姿を見失う。

   
 午後には恒例の「福引」が行われる。
 一等は冷蔵庫という豪華さだ。
 余った甘酒を一升瓶に詰めて急遽景品にする。
 フィナーレは餅投げでしめくくる。

 山里の祭りはじつにつつましい。

 

 
                    
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山里の祭りを紡ぐつながり

2014-10-19 22:17:30 | 出会い・近隣
 昨日は地元の神社の祭礼があった。
 天候不順な日々が続いたこのごろだったが、いかにも秋らしい晴天に恵まれたなかで祭礼の準備が行われる。
 1年に1回の注連縄作りが田んぼの中で男衆によって作られる。

         
 けっこう力が必要とされる注連縄作りだが、ほとんどが60歳代以上だ。
 わらももちろん自前。
 黙々とそれぞれの役割を果たしながらの作業だ。

                 
 朝7時30分にはお宮の幟が立てられる。
 午後には宮司を呼んで小さな神社で神事が行われる。
 女性たちは公民館で夕方の「直会(ナオライ)」の料理の準備に余念がない。

 
 集落のほとんどの人が集まり手づくりの料理を楽しむ。
 ビンゴゲームや豪快な花火を楽しむ。
 そのうちに闇夜のなかから山車がやってくる。
 
 山里の祭りは一人当たりの費用もかかるし、労力もかかる。
 しかしそれ以上に山里に生きる豊かさを共有していることは確かだ。

 都会で起きる近頃の事件は「殺すのは誰でも良かった」というのが少なくない。
 心の空隙や傷を癒す空間と時間が奪われている生活を解決する糸口として、山里の暮らしの価値をもっと伝えなければならないと痛感する。
  
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天然マイタケを食らう

2014-10-18 22:20:32 | 食彩・山菜・きのこ
 きのこの師匠からいただいた天然マイタケを先日うやうやしく食べる。
 マイタケの炊き込みごはんはやはり香りが違う。
 歯応えも申し分ない。

                     
 おかずがまたマイタケの天ぷら。
 畑から採ってきたオクラとインゲンとあわせて食べるとまた味が引き立つ。

 断崖に育ったマイタケを命がけで採ってきた情景が眼に浮かぶ。
 ガレ場で5mくらい滑り落ちたときの恐怖やみんなからはぐれて迷子になったときの孤独などの記憶を思い出す。

 さらにまた、きのこを採ろうとしたとき小指くらいの太さの「オオスズメバチ」に刺されて足がじんじんに痺れていったときも思い出されてくる。
 そんな危険な体験以上に、きのこを発見した喜びは忘れられない。
 それらがあるから現在がある。
 
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好奇心強いツマグロヒョウモンのオス

2014-10-17 21:56:58 | 生き物
 大小あわせて6枚の畝をなんとか作る。
 近所からキャベツをくださるというので緊急に急いだ。
 畝に石灰や糠を撒いていると「ツマグロヒョウモン」のオスがやってくる。

 食べるのか、臭いを嗅ぎに来るのか、作業を中断して汗をぬぐう。
 近づいてもすぐには逃げない。
 夏とはずいぶん違う気がする。
 このごろはメスの姿が見えないのが気になる。

                       
 体はモンシロチョウ並みだが、ヒョウモンチョウみたいな「キタテハ」がいた。
 すばしこくてなかなかカメラに収められない。
 ノハラアザミのなかでなんとかスクープ。
 成虫のまま冬を越すらしい。

    
 シシウドらしい茎に「キアゲハ」の幼虫がいた。
 相変わらずモダンでオシャレな蝶だ。

 これから成虫になるのだろうか。
 「遅くはないのかい!?」
 寒くなってきたのでみんな動作が緩慢になってきている。

 毎日のように食われていた「蚊」も少なくなってきた。
 土と緑、そして生き物、この世界の多様性が日本人のバランス感覚を育んできた。
 砂漠と石の文化は、おおむね一神教と排外主義を生み出して現在に至る。
 アニミズムのもつ多元主義がこれからの日本と世界を救う鍵であることを痛感する。
 
 
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きょうはアサギマダラが!!

2014-10-16 21:15:38 | 生き物
 秋の青空は紺碧色に染まった。
 間違いない秋となった。
 そんな秋の朝にまた事件が起きていた。

 雑草にまみれた駐車場で「アサギマダラ」が弱っていた。

                     
 きのうのジョウビタキのように雑草にひっかかって動けないのかと思った。
 しかしよく見ると「骨」が折れているようで羽ばたきもできないようだった。
 とりあえず、茂みから解放してみたがやはり飛ぶ力はないようだった。

      
 しばらくじっとしていたが、そのうちに見えなくなった。
 台湾に向かって飛翔を続ける予定だったに違いないが、志半ばで大きなアクシデントにあったんだ。
 人間の一生と重ねあわせる。

               
 そこから10mほどの畑の片隅に元気のない「クロコノマチョウ」がいた。
 いつもだったら、近づけばサッと逃げてしまうのに、まったく抵抗しない。
 寒いせいなのだろうか。

     
 ジャノメチョウ科らしくふつうは暗い茂みにいることが多い。
 しかも、翅裏が枯葉と間違えそうな見事な保護色だ。

 きのう、きょうと、生き物たちの生きることの厳しさ・はかなさを垣間見た。
 宗教心はまったくないが、人間も生き物も生死をリレーしていく「輪廻」という仏教思想の深さを確認する。

 先日折伏しにきた某キリスト教の中年女性の聖書が全て、人間中心主義の教条とはえらく違う。
 信仰するとは思考停止するということだと思えてならない。
 人間は自然界の一部とする東洋思想は優れている。
 自然界・人間界を越えた世界の中心に一つの神を持ってくると犠牲があまりに大きかったことは歴史が証明している。。
 
 
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十字架のジョウビタキ

2014-10-15 21:37:33 | 生き物
 今にも雨が降りそうな畑のなかで和宮様が血相を変えて叫んだ。
 「早く、早く、来やしゃれ!!」
 これはいつもとは違う事態が起きたかと、駆けつける。
 静かに指差すほうを見ると、見事な「ジョウビタキ」が目の前にいた。

             
 どういう絡みかよくわからないが、イノコズチの枝に挟まってしまったようだ。
 羽ばたくこともできない悲しい瞳と目が合ってしまう。
 和宮様はやさしくイノコズチから解放してやると雑草の茂みの中に消えていった。

 するとまもなく、二羽のジョウビタキがその現場近くにやってきて横棒の支柱に止まった。
 それはまるで、助けたお礼にやって来たようなしぐさだった。
 そして、曇天のかなたに向かって飛び立ったのだった。

   
 道草山では「コゲラ」の枝を叩く音が聞こえてきた。
 コゲラはスズメくらいの大きさなので発見するのが難しいが、ドラミングする音は心地よい。
       

         
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嵐のさなかに

2014-10-14 20:09:38 | できごと・事件
 台風19号は大きな被害もなく通過してくれた。
 いつもだと道路や畑が冠水したり、作物が倒れたりがあったが、今回は普通の雨風で済んだようだ。

 しかし、イノシシにとっては人間様がいなくなったフィールドで解放気分を満喫したようだった。
 玄関への通り道の隣では、「二段ベッド」を作っていた。

      
 畑の隣では温泉のようなリゾート「ぬた場」を楽しんでいたようだ。
 注意が必要なのは、道草山の栗が終了したのでいよいよ畑への進出をねらっているようだ。

                      
 新しく植えたキュウリの新鮮な実もさっそく食べられている。
 これはカラスかハトの仕業らしい。
 近所の情報では、すぐ近くの空き家の屋根で親子の猿が目撃されている。

         
 やっと芽を出し始めたニンジンの葉に「シロツバメエダシャク」の蛾が雨宿りしていた。
 気温が低いせいか全く動かない。
 よく見ると翅の一部が切れている。

 そこには台風のさなかにもかかわらず、いのちの保持と躍動を展開している生き物たちの世界があった。
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天然マイタケが届く

2014-10-13 20:44:28 | 食彩・山菜・きのこ
 台風19号がやってくる直前、キノコの師匠から「天然マイタケ」が宅急便で届いた。
 包みを開けて段ボール箱を開けた瞬間、マイタケのあの匂いが鼻腔を満タンにした。
 スーパーで売っているマイタケはこの強烈な匂いはない。

 師匠によると、このマイタケは全部で3kgくらいもあって採り出すのが大変だったそうだ。
 10年ほど前、崖の上にあるミズナラの巨木の周りを一緒に探索したのを思い出す。
 ありがたい。合掌。

  
                     
 高い山へ遠征に行く時間も体力もない今の生活のなかでも、このごろちらほらと食べられるキノコが近くにあるのを確認している。
 先月に発見した「チチダケ」がけっこう群生しているのも驚きだった。

 杉・檜の針葉樹ばかりでキノコは採れないと思っていたが、林縁のわずかな空間に生きているのがわかった。
 キノコの存在は豊かな自然のつながりが存立していることの証左でもあることを痛感する。

 雨が強くなってきた。
 避難所設置の防災放送がなかったので当局は大きな被害はないとみたか。
         
 
 
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ただならぬ秋の畑に台風近し

2014-10-12 20:21:40 | 生き物
 このところわが畑に不審者が来ているようだ。
 というのも、生ゴミコンポストが何回もフタを開けられ食べられている痕跡があるのだ。
 フタを開けるのは簡単には開かない構造の上、フタの上には石を載せてあるのに。

            
 未熟なトウモロコシもこれで二度目の被害。
 ときどきタヌキの臭いがするときがあるので、容疑者候補となっている。
 このところ、柿を食べつくしたせいかカラスの姿は少なくなっている。

                       
 畑や自宅の回りに10cmほどの穴がほじられている。
 イノシシかアナグマか、はたまたハクビシンかと犯人像がよぎる。

  
 背後の道草山は栗が終わっているにもかかわらず、毎晩のようにイノシシの解放区になっている。
 大きく掘り起こしている「ぬた場(沼田場)」のような痕跡もいくつかある。
 体表につくダニやヤマビルを落としているのかもしれない。

 そんなただならぬ気配はやはり冬が近づいているからなのかもしれない。
 今回も、ベニヤ2枚を台所の窓ガラスに打ち付け、再度台風対策とした。
 野菜のいくつかにも支柱を補強して防風対策をする。
 穏やかな畑にもささやかな喧騒ドラマが展開している。
 
 
 
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