桜が咲く頃にはきれいな風景になりそうです。
図書館の南側に位置しています。
図書館側から撮ったものですが、実はこちらは裏側。
鳥居の右横に小さな碑があります。
古くて読めないのか、白いペンキで上書きされています。
旧三の丸跡だとか。ここが尼崎城の西の端、すぐ横を流れる庄下川は堀として使われていたのです。
ですから、尼崎城の天守は図書館のあるところではありません。
もっと東です。
何やら大きな石碑。書かれている文は解りません。
で、左横の説明文を・・・
写真では読みづらいですが、“この碑は幕末の尼崎藩主・桜井忠興が日本赤十字社結成に際し、多大な奉仕活動を行った事跡に対し・・・尼崎城の石を用いて建てた”と記されています。
“西南戦争では私財を擲って、敵味方の区別無く手当てを行い、これが博愛社の起こりで明治20年に日本赤十字社と改名された”あります。
これは旧尼崎城天守の棟瓦です。
この説明文が傑作です。
『古い奴だとお笑いでしょうが』の書き出しで始まっています。
もうこれを書いた人のユニークさが現れています。
続いて『「古城」の歌中に“あーあー仰げば侘びし天守閣”とありますように・・・表面はくたびれておりますが、中身はまだまだしっかりしております。どうぞ末永く可愛がって下さい。』で終わっています。
何を隠そう私小学校5年の学芸会で、この三橋美智也が唄った『古城』の剣舞を演じたのでした。どのように舞ったのか全然覚えておりませんが・・・
博愛社の記念碑といい、棟瓦の立て札といい、こういうことを自慢に建っているのは、何処かのキナ臭い八幡神社と違い、喜ぶべきことではないでしょうか。
図書館の南側に位置しています。
図書館側から撮ったものですが、実はこちらは裏側。
鳥居の右横に小さな碑があります。
古くて読めないのか、白いペンキで上書きされています。
旧三の丸跡だとか。ここが尼崎城の西の端、すぐ横を流れる庄下川は堀として使われていたのです。
ですから、尼崎城の天守は図書館のあるところではありません。
もっと東です。
何やら大きな石碑。書かれている文は解りません。
で、左横の説明文を・・・
写真では読みづらいですが、“この碑は幕末の尼崎藩主・桜井忠興が日本赤十字社結成に際し、多大な奉仕活動を行った事跡に対し・・・尼崎城の石を用いて建てた”と記されています。
“西南戦争では私財を擲って、敵味方の区別無く手当てを行い、これが博愛社の起こりで明治20年に日本赤十字社と改名された”あります。
これは旧尼崎城天守の棟瓦です。
この説明文が傑作です。
『古い奴だとお笑いでしょうが』の書き出しで始まっています。
もうこれを書いた人のユニークさが現れています。
続いて『「古城」の歌中に“あーあー仰げば侘びし天守閣”とありますように・・・表面はくたびれておりますが、中身はまだまだしっかりしております。どうぞ末永く可愛がって下さい。』で終わっています。
何を隠そう私小学校5年の学芸会で、この三橋美智也が唄った『古城』の剣舞を演じたのでした。どのように舞ったのか全然覚えておりませんが・・・
博愛社の記念碑といい、棟瓦の立て札といい、こういうことを自慢に建っているのは、何処かのキナ臭い八幡神社と違い、喜ぶべきことではないでしょうか。