ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

桃ヶ池公園

2013-12-04 05:00:00 | 大阪にて

南海平野線の線路跡を自転車で走っていたわけですが、それは全く阪神高速松原線の高架下を走っているのでした。1980年に松原線が誕生し、南海平野線が廃止されたのですが、前にも述べたように私は南海平野線に乗った覚えがありません。なんとは無くそうなんだろうなぁとしか分からないのです。でも阿倍野から駒川まで北西から南東へとほぼ一直線に走っていることから見ると、最初から家など無かった道路或いは軌道があったんだろうと言うことは簡単に想像できます。桃ヶ池まで来て懐かしく思いながら、少し散策してみました。

             

阪神高速の高架下を離れると池の周りには遊歩道が設けられています。南海平野線の“ももがいけ”駅は股ヶ池と書いていたそうです。おそらくこの池が見渡せる位置に駅があったのでしょう。

       

ここ桃ヶ池は阿倍野区にあり、私が通っていた高校の近くにあります。あまりに近過ぎてクラブの練習でここまで走ってきた覚えはありません。クラブでは大和川まで走って、再び帰ってきたことをよく覚えています。左の写真にはJR阪和線の高架が写っていますが、電車に乗ると天王寺を出て最初に右側に見えてくる池がこの桃ヶ池、暫らく走ると再び右側にシャープがある長池が見えてくるのです。逆に長池や桃ヶ池が見えてくると長旅も終わりだなぁと思うのです。

地図で見ると池は4つあるように見えますが、歩いているとそんな感じを受けることはありません。

             

中洲には広々とした公園があり、遊具は置かれていないので、小学生などが球技などを興じているのでしょう。私も上町台地を登って、降ってここで遊んだことがあるような感じがするのですが、何時の頃のことなのかあまりよく思い出されません。

                       

片隅に残る『国威宣揚』の文字が刻まれた碑、右側には大阪市長坂間棟治の名前が見えます。昭和11年から20年の終戦まで勤めていますから、戦争推進の役目を担った市長だったのでしょう。

               

                    

地図で見ると池が4つあるとように見えると書いたのですが、必要な所に橋がいくつも架かっています。地図で池を区切っているのは橋なのでしょう。だから橋の下の水は行き来しているのです。池の南端の方に蓮の花の茎が枯れて残っています。レンコンを栽培しているのかも知れません。でも公園内ですから、誰かが栽培しているのではないでしょう。

             

桃ヶ池から見える阿倍野ハルカス、霞んでいるので合成写真のように見えます。

                       

桃ヶ池はその昔百ヶ池と書かれたり、股ヶ池や脛ヶ池と書かれていたようです。池がいくつもあるから百ヶ池だとか、池の形が股引のようだからとか、聖徳太子の使いが池で大蛇退治をした際、深さが股までだったという説があるようです。

             

桃ヶ池では釣りは禁止ですが、釣りをしている人が2~3人いました。

池の畔にサギが佇んでいます。魚をくれと言う仕草は見せませんが、カメラを向けても逃げようとはしません。

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