ふぶきの部屋

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飛鳥へまだ見ぬ子へ

2005-10-11 09:32:56 | ドラマ・ワイドショー

余談ですけど・・・

昨日の我が家でのお誕生日は「お食事会」で終ってしまったわーー

プレゼントはお洋服を買ってあげたでしょう」で終った・・・

今更ときめきが欲しいとは言わないけどね

でもうちのジュニア君と腕を組んでコンビニに言っちゃった

すっごく細い腕なんだけどねーー若さがあっていいねーー

彼を好きであろうクラスの女子達に

いいでしょう。ジュニアはまだママのだもんねっ」って

自慢したかったわ

 

 飛鳥へまだ見ぬ子へ 

昨日は特別ドラマが一杯でした。(今日もあるけど)

太宰治物語」はまだ見てないのでそのうち見たら感想書きますが・・・

稲垣吾郎君紺野まひるちゃん

飛鳥へまだ見ぬ子へ」は

久しぶりにどっぷりと泣いてしまいました

こんなに素直に大泣き出来たのは久しぶりのことで

自分でも驚いています

稲垣君に泣かされたというより、まひるちゃんの表情に泣かされた

という感じですね。

ちなみに「紺野まひる」は宝塚の雪組トップ娘役でした。

(といっても半年くらいしかいなかったけどね)

入団当初から抜擢されていて「いつトップになるのかなーー」と

常に思われていた人。

でも演技が硬くてね

そんな彼女があそこまで細かい演技をするようになるなんて・・・・

やっぱりまひるちゃんはテレビ向きだったのねーー

 

それはいいとして・・・・・

実はこの作品、高校の時に映画で見てます

当時はまだ本が出たばかりの頃でした。

名高達郎竹下景子コンビ

当時は「余命いくばくもの」が流行ではあったんですよ。

その中でも「骨肉腫」は流行っていた・・と言ったら失礼に

なりますけど、私なんか随分この病気のドラマをみました。

(「翼は心につけて」とか「さらば茨戸の湖よとか・・・)

医学書で調べたりもしましたよ。

この病気は、わりと若い人がなる病気という印象があり、

今はどうかわかりませんが、

当時としては切断以外の道がなかったんですね。

 

切断する足をていねいに洗ってあげるシーンや

幻肢痛」と呼ばれる・・切断された足が痛むシーンは

見ていて本当に辛かったです

でも、子供の名前が「飛鳥」っていうでしょう?

当時は「あすか」といえば「明日香」と書くのが普通で

「飛鳥」と書くのは非常に珍しく、

本当に凝った名前だなと思ったのを覚えています。

(映画の影響なのか、その後「飛鳥」ちゃんは増えましたね)

 

それと・・・「丸山ワクチン

これも、当時としては効果があるのかないのか全然証明されて

いないにも関わらず、わらにもすがる思いで使用するお医者さんが

沢山いました

今じゃすっかり「丸山ワクチン」なんて名前、忘れられていますけどね

 

映画では、どちらかというと、ガンになってから亡くなるまでの

軌跡を忠実に再現していましたが、

今回のドラマでは、彼を取り巻く家族の姿であるとか、

彼の思想などもよく描かれていたと思います

 

でも一番感慨深かったのは・・・・

やっぱり、当時は生まれたばかりだった清子さんが

26歳で結婚するシーンでしょうか

だって、お父さんが亡くなった時はまだ生まれていなくて

その後、映画のパンフレットか何かで生まれたことを知って

お父さんの一文字をとって「清子」と名づけられた・・・って。

親子3人で生活していくのは大変だろうなあ・・・って

高校生だった私もつくづく思ったんですよ

(まあ、奥さんは薬剤師さんでしたので薬局かなにか経営していたんじゃ

なかったかなーー)

 

その「まだ見ぬ子」清子さんがご結婚とは・・・・

時間は確実に流れていくのねーーーという感じです。

映画では「飛鳥」ちゃんに焦点があてられていましたけど

今回は次女の「清子」ちゃんにスポットが当たっていて、そのあたりも

25年の時の流れを感じてしまいました

 

映画を見ていた時は、「娘」の気持で・・・

でも今回は、「妻」と「飛鳥ちゃんの母」という立場で見る事が

出来、立場が違うと感じ方も違うんだなと痛感した次第です。

当時はあまりよくわからなかった「夫婦の絆」「夫婦愛」ですが

今は、お2人の愛の強さに素直に感動いたします

コメント (3)
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