司馬江漢のことを、年齢加算連載の今回で取り上げようと思っていました。彼は若冲とほぼ同時代人(1747生~1818没)ですが、何と年齢を九歳も加算、サバ読みしているのです。
何冊か江漢関係の本に目を通し、だいたいのことはわかった積りでしたが、愛機PCで公共図書館の蔵書を調べましたら、あれもある、これもある…。
それらの本を予約したところ、五冊が近所の図書館分館に届いてしまった。明日、受け取りに行くのですが、当然ながら一日では目を通す、すなわち観るのが追いつきません。
PC、通信、データベース、検索、ITサービスなどなど、それらの進化にはただ頭を垂れ、感謝するしかありません。しかし困ったことに、あまりにも膨大な情報が集まりすぎます。
このような状態になると、本は読むものではなく、目を通し観るものになってしまいます。速読斜め読みでは、大切な部分を見落とすのではないか? いつも恐怖心?にかられます。
日曜日の明日、図書館に行って受け取る司馬江漢本は計七冊。全四巻の大冊『司馬江漢全集』など、揃えて買えば〆て五万円也。江漢の師匠、平賀源内の本も五冊を引きとります。一体どうやって、明日から本たちと格闘すべきか…。困ったものです。
わたしの読書時間の配分ですが、「平日の昼間も読書ですか?」。それは不可能です。わたしは通勤電車と休日、あとはせいぜい夜明け前の自宅、出勤前早朝のマクドナルドと終業後の餃子の王将など、そのときくらいにしか、頭は仕事バージョンから読書スタンバイに、切りかわりません。だれでもそれぞれ、二十四時間の小刻み利用法があることでしょう。
司馬江漢の年齢加算の考察は、一週間遅延しようと思っています。ただ結論でいえば、彼は文化五年(1809)、六十二歳になった正月に、突然年齢を一気に九歳も加算します。その後、没年までこの九歳の下駄履き上げ底を通しました。以降は毎年、ふつうに一歳ずつ加算しています。実享年は七十二歳ですが、彼が称した年齢では、没年は八十一歳でした。彼もまた改元加算には無縁です。
昔は数えで歳を数えます。還暦は六十一歳でした。江漢は還暦を過ぎた直後、翌正月に通常の一歳にプラス九歳も加齢したのです。「還暦過ぎれば年知らず」、どうもこの語は正しいようです。ただ、改元ごとに一歳加算したという説には、まだ納得がいきません。
<2010年5月8日 南浦邦仁> [228]