ブータンから日本に来た留学生の青年は、「日本人はみな幸せに違いない」と訪日するまで思っていた。まず何でもある。ないモノがない。アジア最高の文明国で、自由で何の不足もない。理想の国のはずだ。来日するまで彼はそう信じていた。ところが日がたつに従い「どこか変だ。決して豊かで幸福ではないようだ」と思い出したそうです。
まず周囲のひとたちの物欲の強さは想像を絶する。また見栄体裁にこだわり、本当に大切なものを見失っているようだ。ひとびとの絆や信頼感も乏しい。何より驚いたのが、自殺者があまりにも多いということ。なぜ電車が遅れるのかという疑問から知ったそうですが、「本当に豊かで幸福であれば、毎年3万人以上もが自死するはずがない。この国はブータンよりもよほど貧しいのではないか?」
彼は留学生として東京で学ぶことを中止し、故郷で農業を修行することに人生の進路を変更したそうです。日本人は一体、どれほど幸福なのでしょうか?
新幹線のなかでの女性客三人の会話を紹介します。2008年の秋のこと、東京から京都に向かう乗客たち。加賀乙彦先生の本からの引用ですが、若干書きかえています。
「ご主人、部長になられたんですってね? さすがですねえ」
「さすがどころか、やっとなのよ。A さんはもう役員待遇なのに」
「でも同期のなかでは二番目に早いご出世だって聞いてるわよ。羨ましいわ。息子さんも K 大学だし、お嬢さんもご結婚が決まったそうで」
「主人の母校の T 大学に行かせたかったのに落ちちゃって。K 大学も悪くはないけど、義姉のところの子どもは T 大出て外務省だから肩身が狭いのよ。それに娘の相手っていうのがねえ。ウェブデザイナーとかいう仕事なんだけど専門学校しか出ていないの。フリーランスだから不安定だし、ご実家も借家住まいで……」
愚痴をこぼしている女性のご主人の勤め先は日本有数の大企業。親の代から世田谷の高級住宅街に住んでいることも、漏れ聞こえる話からうかがえます。
やがて話題は、これから向かう京都の有名料亭や老舗旅館へと移っていきました。
「今回は、露天風呂付のお部屋が取れなくて、がっかりねえ」
「 B 亭のまつたけ懐石を予約しておいたわ。去年行った D 楼よりおいしいって評判なのよ」
京都駅で降りていく三人組に目をやると、それぞれに高級ブランドのバッグをもち、やはりブランドものらしい服やアクセサリーで着飾っています。
ごくふつうの日本人からみれば、このご婦人たちは勝ち組で、たいへん恵まれたリッチで幸せなひとたちなのでしょう。彼女たちも、そのように自認しています。
加賀先生は「私はむしろ気の毒だなと感じていました。なぜなら、彼女たちのなかには『幸福な人生とはこういうもの』という理想型があって、それに忠実であるだけのように思えたからです」
彼女たちは理想型とされる生き方スタイル、表面的な幸福形をただやみくもに求めているにすぎないのでしょう。内面や実質あるいは本質、まことの幸福を深く考えることのない彼女たちは、虚構の形式的な幸福像にとらわれています。ハイブランドの流行高級品を追い求め、周囲のセレブなひとたちと自分を比べ、「あれが足りない、これも足りない」と肥大した欲望幸福の泥沼から抜け出せなくなってしまっているようです。
彼女たちは幸福という名の「快楽トレッドミル」を回し続けているのです。トレッドミルとはペットのリスなどが、カゴのなかでいっしょ懸命に足でこぐ踏み車です。
日本を代表する大企業。パナソニック、ソニー、シャープ、NECなどなど、決算予想の数字は信じがたいものがあります。企業にしろ官庁にしろ、エリートを自負する夫妻の価値観や幸福感がそのようなものであるならば、日本経済の凋落も当然なのかもしれません。
・参考書『不幸な国の幸福論』 加賀乙彦著 2009年 集英社新書
<2012年3月18日>
まず周囲のひとたちの物欲の強さは想像を絶する。また見栄体裁にこだわり、本当に大切なものを見失っているようだ。ひとびとの絆や信頼感も乏しい。何より驚いたのが、自殺者があまりにも多いということ。なぜ電車が遅れるのかという疑問から知ったそうですが、「本当に豊かで幸福であれば、毎年3万人以上もが自死するはずがない。この国はブータンよりもよほど貧しいのではないか?」
彼は留学生として東京で学ぶことを中止し、故郷で農業を修行することに人生の進路を変更したそうです。日本人は一体、どれほど幸福なのでしょうか?
新幹線のなかでの女性客三人の会話を紹介します。2008年の秋のこと、東京から京都に向かう乗客たち。加賀乙彦先生の本からの引用ですが、若干書きかえています。
「ご主人、部長になられたんですってね? さすがですねえ」
「さすがどころか、やっとなのよ。A さんはもう役員待遇なのに」
「でも同期のなかでは二番目に早いご出世だって聞いてるわよ。羨ましいわ。息子さんも K 大学だし、お嬢さんもご結婚が決まったそうで」
「主人の母校の T 大学に行かせたかったのに落ちちゃって。K 大学も悪くはないけど、義姉のところの子どもは T 大出て外務省だから肩身が狭いのよ。それに娘の相手っていうのがねえ。ウェブデザイナーとかいう仕事なんだけど専門学校しか出ていないの。フリーランスだから不安定だし、ご実家も借家住まいで……」
愚痴をこぼしている女性のご主人の勤め先は日本有数の大企業。親の代から世田谷の高級住宅街に住んでいることも、漏れ聞こえる話からうかがえます。
やがて話題は、これから向かう京都の有名料亭や老舗旅館へと移っていきました。
「今回は、露天風呂付のお部屋が取れなくて、がっかりねえ」
「 B 亭のまつたけ懐石を予約しておいたわ。去年行った D 楼よりおいしいって評判なのよ」
京都駅で降りていく三人組に目をやると、それぞれに高級ブランドのバッグをもち、やはりブランドものらしい服やアクセサリーで着飾っています。
ごくふつうの日本人からみれば、このご婦人たちは勝ち組で、たいへん恵まれたリッチで幸せなひとたちなのでしょう。彼女たちも、そのように自認しています。
加賀先生は「私はむしろ気の毒だなと感じていました。なぜなら、彼女たちのなかには『幸福な人生とはこういうもの』という理想型があって、それに忠実であるだけのように思えたからです」
彼女たちは理想型とされる生き方スタイル、表面的な幸福形をただやみくもに求めているにすぎないのでしょう。内面や実質あるいは本質、まことの幸福を深く考えることのない彼女たちは、虚構の形式的な幸福像にとらわれています。ハイブランドの流行高級品を追い求め、周囲のセレブなひとたちと自分を比べ、「あれが足りない、これも足りない」と肥大した欲望幸福の泥沼から抜け出せなくなってしまっているようです。
彼女たちは幸福という名の「快楽トレッドミル」を回し続けているのです。トレッドミルとはペットのリスなどが、カゴのなかでいっしょ懸命に足でこぐ踏み車です。
日本を代表する大企業。パナソニック、ソニー、シャープ、NECなどなど、決算予想の数字は信じがたいものがあります。企業にしろ官庁にしろ、エリートを自負する夫妻の価値観や幸福感がそのようなものであるならば、日本経済の凋落も当然なのかもしれません。
・参考書『不幸な国の幸福論』 加賀乙彦著 2009年 集英社新書
<2012年3月18日>