平安時代のこと、大津波がいまの宮城県と福島県あたりを襲った。貞観地震津波である。西暦869年7月13日(清和天皇 貞観じょうがん11年5月26日)
当時の史書『日本三代実録』が記載している。原文と現代語訳は、
廿六日癸未、陸奥國地大震動、流光如晝隱映、頃之、人民叫呼、伏不能起、或屋仆壓死、或地裂埋殪、馬牛駭奔、或相昇踏、城郭倉庫、門櫓墻壁、頽落顛覆、不知其數、海口哮吼、聲似雷霆、驚濤涌潮、泝漲長、忽至城下、去海數十百里、浩々不辦其涯涘、原野道路、惣為滄溟、乗船不遑、登山難及、溺死者千許、資産苗稼、殆無孑遺焉(「郭」は土ヘン有り)
五月二十六日、陸奥の国で大地震が起きた。流光が昼のように光り、人々は叫びたて、立っていることができなかった。ある者は家の下敷きとなり、ある者は地割れに呑み込まれた。驚いた牛や馬が互いに踏みつけあって走り出し、城郭、倉、門櫓や墻壁が無数に崩れた。雷鳴のような海鳴りが聞こえて潮が湧きあがり、川が逆流し津波(海嘯)が長く連なって押し寄せ、たちまち多賀城下に達した。海から数十百里の先まで涯も知れず水となり、野原も道も大海原となった。舟で逃げたり山に避難することができず、城下では千人ほどが溺れ死に、後には田畑も人々の資産も、ほとんど何もなくなった。
『日本三代實録』全50巻は、清和天皇天安2年8月(858)より貞観年代、陽成天皇の元慶、そして光孝天皇仁和3年8月(887)にいたる「天皇三代」30年間の記録である。892年に宇多天皇より勅撰の詔があり、編纂者の任についたのは、菅原道真、藤原時平、大蔵善行、源能有、三統理平の5人。完成なったのは延喜元年8月2日(901)だが、菅原道真は同年正月、同書上奏直前に大宰府へ左遷された。そして2年後に大宰府で逝った。延喜3年2月25日のことである。
「大宰府での生活は貧しくみじめなもので、道真は健康を害したが、天皇に対する忠誠心は失わなかった。ここで彼は念仏、読経を事とした」享年59歳。(志村有弘編『日本ミステリアス 妖怪・怪奇・妖人事典』勉誠出版2011年)
道真にとってこの史書は、怨念の書であったであろう。完成なった「三代実録」には編纂者として、ふたりの名しかない。道真を偽りの中傷で辺地に追いやった藤原氏のひとりである時平と、大蔵善行だけである。
ところで、この記録から仙台平野に平安時代、大津波が襲った事実は知られていた。渡邊偉夫氏は各地に残る伝承を収集し、貞観津波の襲来地域を推定された。(「伝承から地震・津波の実態をどこまで解明できるか 貞観11年869の地震・津波を例として」2001)
渡邊氏が収集した伝承は、つぎの各地に残っている。
宮城県 気仙沼市・多賀城市・仙台市・名取市・岩沼市
福島県 新地町・相馬市・いわき市
茨城県 北茨城市・高萩市・東海村・ひたちなか市・大洗町・大洋町(鉾田市)
※福島第1原発はいまは海面より10m高の平らな地に建っていますが、かつて原発建設工事で高さ30mほどの高地・海岸段丘を削り取ったのです。本来は崖地です。後背地が高い岡のように見えますが、40数年前までは急崖の無住地で、貞観津波も30mの高地には、飛沫しか届かなかったはずです。相馬市といわき市に貞観津波の伝承が残っていますから、両市の間に位置する南相馬市、浪江町、双葉町、大熊町、富岡町、楢葉町、広野町にも大津波が押し寄せたことでしょう。福島第1は、双葉(5・6号機)と大熊(1~4号機)、両町に隣接立地しています。福島第2は富岡町と楢葉町にまたがっています。
仙台市宮城野区蒲生在住の飯沼勇義氏(80)は津波に被災し、避難所で暮らしておられるが、郷土史家で著書『仙台平野の歴史津波 巨大津波が仙台平野を襲う』を出版された方です。同書は仙台の宝文堂1995年刊ですが絶版で入手不可。避難所でつぎのように語っておられます。
「仙台地方は、実は世界のなかでも巨大な津波の常襲地帯なんです。仙台には大きな津波が来ないと思っていた人が多いが、私にとってみれば、来るべきものが来たという思いです」
飯沼氏は津波研究のために、あえて危険な海岸近くに居住したそうです。
「仙台の歴史を研究すると、人が住めない、歴史がつながらない空白の時代がいくつもあり、調べると巨大な津波が原因だとわかりました」
大津波は仙台平野、さらには福島県、茨城県までを過去に何度も襲っている。飯沼氏は貞観地震津波では、ほぼ1万人が犠牲になったであろうと推定されている。
名取の神社に残る伝承記録には「貞観ノ頃ハ頻リニ疫病流行シ庶民大イニ苦シミ」
「慶長津波」の後、田畑は10年たっても塩害で農を営めず、名取郡の三村は連名で、仙台藩奉行に年貢の申上状を提出している。
なおこの本を読みたく調べたのですが、アマゾンも日本の古本屋も京都市内の図書館にもありません。ぜひ復刊をお願いします。
本日は「貞観津波」<前編>とし、次回は発掘調査が示した傷跡と、津波シミュレーションの研究成果を書こうと思っています。ただ長かった連休が終わり、また日々多忙という渦のなかに放り込まれてしまいました。ぼちぼちやります。
<2011年5月9日 南浦邦仁>
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