近ごろの新聞連載でいちばん興味深く、毎朝楽しみに読んだのが、ウィリアムJペリー「私の履歴書」(2010年12月1日~31日・30回連載・日本経済新聞)でした。
現在進行形の朝鮮半島危機とオーバーラップし、文を読んでいると「いまの話しなのか? 過去のことなのか?」。一瞬、時間の前後が溶解し消えてしまうことが、何度かありました。不思議な体験です。
ペリー氏はクリントン大統領時の国防長官だった方です。あまりの名文に、わたしは30枚のスクラップを作りましたが、自分自身の復習をかねて、ダイジェストでお届けします。全文は図書館でも、ウェブ版でも読めます。そのうちに、本でも出版されますが。
黒船が江戸湾に来航した。嘉永6年6月3日(1853)のことである。艦隊4隻を率いるのはマシュ・カルブレイス・ペリー提督。実は筆者WJペリーの5代前はロバート・ペリーという。ペリー提督の兄か弟であった。だから4代前は、提督の甥になる。
ウィリアムは1947年4月、はじめて日本を訪れた。わずか18歳の若き彼は海軍の技官であったが、瓦礫と化した東京に驚く。「東京で目にした光景は、今も忘れない」
そして同年6月から1年半ほどの間、沖縄で全土の地図を作成する軍務に当たる。沖縄は、東京よりもっとひどかった。一切の建物もなく、ただまっ平らな大地が、荒涼と広がっていた。住民は瓦礫のこの中で暮らしていた。「戦争とは何と残酷なものだろうか」そして人々に何という苦難を強いるのだろう…。まだ18歳だった若年兵のペリーは、「心の中で何度もそう自分に問いかけた」。そして脳裏に焼きついた「戦争」のイメージは以来、彼の体の中から消えたことはない。
沖縄勤務から50年後の96年、米国防長官として沖縄米軍・普天間基地の返還も決断した。「まさしく、縁は異なもの不思議なもの。(幕末からの)時空を超えた絆で結ばれた日本において、私の半生を紹介できることになったのも、この不思議な縁のなせる業なのだろう」
ペリー提督はかつて沖縄にも寄港している。そして彼は帰国退官後、大著『日本遠征記』を書き残した。
ペリーはかつての朝鮮半島危機について記している。あえて人名と年を伏せて紹介しよう。正解は文末に記しますので、正解当てゲームの感覚で読んでいただければ。
4月21日、訪問先の韓国・ソウルから特別機で東京の羽田に到着した。防衛庁長官と夕食を含めた会談をこなし、翌22日に次の総理大臣が内定していた副総理・外務大臣と外務省で会談した。席上、外相は北朝鮮の核問題について、対話による外交的解決の必要性を強調する一方で、こう述べている。「仮に北朝鮮がなおも態度を変更せず、国連安保理で制裁を決定することがやむを得ない状況になれば、我が国としては憲法の範囲内で責任ある対応を取る」
米国はそのころ、国防総省内部で検討していた北朝鮮の核疑惑施設への「外科的空爆」を断念した。代案として国連安全保障理事会で対北朝鮮経済制裁決議を採択すると同時に、それと連動させる形で「万が一」の場合に備えて、在韓米軍を強化するアプローチを取り始めていた。統合参謀本部議長と考え抜いたプランは在韓米軍を数万人程度、増強することだった。
在韓米軍司令部は、「第2次朝鮮戦争」が勃発した場合、最大で40万人の米軍が必要と分析していた。「第1次増派」の兵力増強をペリーは大統領に進言する積りだった。
しかしひとつの懸念事項があった。それはほかならない、同盟国・日本の対応である。仮に北朝鮮が韓国に南侵を電撃的に開始した場合、我々は何としてでもそれを食い止めると決めていた。
そのためには在日米軍基地施設をすべてフルに活用しなければならない。大量の航空機、軍事物資、そして新たな追加兵力。それらを順次、日本を経由して戦地である朝鮮半島に送り込むという、我々の有事計画の骨子であった。
ペリーが求めようとしたのは、日本の自衛隊による戦闘行為への参加ではない。ただ、朝鮮半島で軍事衝突が発生した場合、その後方支援のために在日米軍基地の使用が必要であり、それを事前に許可してほしいということだった。もちろん日米安全保障条約第6条では、朝鮮半島などでの「周辺有事」の際に、米国が日本の米軍施設を使用することを認めてはいる。ただ、実際にそうなった場合、やはり時の日本政府にきちんとその旨を説明し、全面的な理解をえた上で、支持してもらわねばならない。
さて、ペリーが記したこの文は、1994年の朝鮮半島危機、17年ほども前のことである。当時といまと、余りにも似た出来事が繰り返されている。なお登場人物は、愛知和男防衛庁長官、羽田孜次期首相、クリントン大統領です。
ペリーは連載2日目の12月2日付で、こう書いています。
「あれから15年以上の歳月が経ち、朝鮮半島情勢は今、かつてないほど緊張している。94年当時(金日成→金正日)と同様、権力継承期(→金正恩)にある北朝鮮が仮に予想外の無謀な行動に出た場合、オバマ政権は私と同じく、同盟国・日本の全面的な支援を必要とするだろう。その時、すでに多くの経験知を持つ日本が、賢明な判断を下すと、心から信じて止まない」
<2011年1月12日>
現在進行形の朝鮮半島危機とオーバーラップし、文を読んでいると「いまの話しなのか? 過去のことなのか?」。一瞬、時間の前後が溶解し消えてしまうことが、何度かありました。不思議な体験です。
ペリー氏はクリントン大統領時の国防長官だった方です。あまりの名文に、わたしは30枚のスクラップを作りましたが、自分自身の復習をかねて、ダイジェストでお届けします。全文は図書館でも、ウェブ版でも読めます。そのうちに、本でも出版されますが。
黒船が江戸湾に来航した。嘉永6年6月3日(1853)のことである。艦隊4隻を率いるのはマシュ・カルブレイス・ペリー提督。実は筆者WJペリーの5代前はロバート・ペリーという。ペリー提督の兄か弟であった。だから4代前は、提督の甥になる。
ウィリアムは1947年4月、はじめて日本を訪れた。わずか18歳の若き彼は海軍の技官であったが、瓦礫と化した東京に驚く。「東京で目にした光景は、今も忘れない」
そして同年6月から1年半ほどの間、沖縄で全土の地図を作成する軍務に当たる。沖縄は、東京よりもっとひどかった。一切の建物もなく、ただまっ平らな大地が、荒涼と広がっていた。住民は瓦礫のこの中で暮らしていた。「戦争とは何と残酷なものだろうか」そして人々に何という苦難を強いるのだろう…。まだ18歳だった若年兵のペリーは、「心の中で何度もそう自分に問いかけた」。そして脳裏に焼きついた「戦争」のイメージは以来、彼の体の中から消えたことはない。
沖縄勤務から50年後の96年、米国防長官として沖縄米軍・普天間基地の返還も決断した。「まさしく、縁は異なもの不思議なもの。(幕末からの)時空を超えた絆で結ばれた日本において、私の半生を紹介できることになったのも、この不思議な縁のなせる業なのだろう」
ペリー提督はかつて沖縄にも寄港している。そして彼は帰国退官後、大著『日本遠征記』を書き残した。
ペリーはかつての朝鮮半島危機について記している。あえて人名と年を伏せて紹介しよう。正解は文末に記しますので、正解当てゲームの感覚で読んでいただければ。
4月21日、訪問先の韓国・ソウルから特別機で東京の羽田に到着した。防衛庁長官と夕食を含めた会談をこなし、翌22日に次の総理大臣が内定していた副総理・外務大臣と外務省で会談した。席上、外相は北朝鮮の核問題について、対話による外交的解決の必要性を強調する一方で、こう述べている。「仮に北朝鮮がなおも態度を変更せず、国連安保理で制裁を決定することがやむを得ない状況になれば、我が国としては憲法の範囲内で責任ある対応を取る」
米国はそのころ、国防総省内部で検討していた北朝鮮の核疑惑施設への「外科的空爆」を断念した。代案として国連安全保障理事会で対北朝鮮経済制裁決議を採択すると同時に、それと連動させる形で「万が一」の場合に備えて、在韓米軍を強化するアプローチを取り始めていた。統合参謀本部議長と考え抜いたプランは在韓米軍を数万人程度、増強することだった。
在韓米軍司令部は、「第2次朝鮮戦争」が勃発した場合、最大で40万人の米軍が必要と分析していた。「第1次増派」の兵力増強をペリーは大統領に進言する積りだった。
しかしひとつの懸念事項があった。それはほかならない、同盟国・日本の対応である。仮に北朝鮮が韓国に南侵を電撃的に開始した場合、我々は何としてでもそれを食い止めると決めていた。
そのためには在日米軍基地施設をすべてフルに活用しなければならない。大量の航空機、軍事物資、そして新たな追加兵力。それらを順次、日本を経由して戦地である朝鮮半島に送り込むという、我々の有事計画の骨子であった。
ペリーが求めようとしたのは、日本の自衛隊による戦闘行為への参加ではない。ただ、朝鮮半島で軍事衝突が発生した場合、その後方支援のために在日米軍基地の使用が必要であり、それを事前に許可してほしいということだった。もちろん日米安全保障条約第6条では、朝鮮半島などでの「周辺有事」の際に、米国が日本の米軍施設を使用することを認めてはいる。ただ、実際にそうなった場合、やはり時の日本政府にきちんとその旨を説明し、全面的な理解をえた上で、支持してもらわねばならない。
さて、ペリーが記したこの文は、1994年の朝鮮半島危機、17年ほども前のことである。当時といまと、余りにも似た出来事が繰り返されている。なお登場人物は、愛知和男防衛庁長官、羽田孜次期首相、クリントン大統領です。
ペリーは連載2日目の12月2日付で、こう書いています。
「あれから15年以上の歳月が経ち、朝鮮半島情勢は今、かつてないほど緊張している。94年当時(金日成→金正日)と同様、権力継承期(→金正恩)にある北朝鮮が仮に予想外の無謀な行動に出た場合、オバマ政権は私と同じく、同盟国・日本の全面的な支援を必要とするだろう。その時、すでに多くの経験知を持つ日本が、賢明な判断を下すと、心から信じて止まない」
<2011年1月12日>
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