あんたはすごい! 水本爽涼
第七十七回
大異変が起こる前兆は、取るに足らないというか、どう表現すればいいのか分からないが、ほんの些細(ささい)なことだった。私は沼澤氏にもらった水晶小玉、これを正確に云うならば、みかんのママが沼澤氏よりもらった小箱の中の一個なのだが、それを背広のポケットへ入れ、何げなく持ち歩いていたのだった。そう! あの酒棚の玉が緑や黄色の異様な光を帯びて渦巻いた日も、…それに、会社で児島君から多毛(たげ)本舗の接待辞退を聞いたあの日も、…さらには、俄(にわ)かに入り出した契約で多忙になり出したあの日も…、全(すべ)て、その小玉を持ち歩いていたのである。それを私は、つい、うっかり忘れていたのだった。だから、みかんで酒棚に置かれた玉が渦巻いた時、…そうだ! 小玉の入った背広上着は、カウンターで脱ぎ、右隣の席へ置いていた。ひょっとすると、その時、酒棚の玉と私の背広の小玉は互いに意思を伝え合って光り渦巻いていたのではないか…と、私は思った。むろん私はあの時、背広のポケットに入れた小玉の状態は確認していない。親子が意思疎通で語る会話のようなものか…という想いが、ふと私の胸中に湧き上がった。家の書斎にいた私は椅子から慌しく立ち上がると、ハンガーに吊(つ)るした背広のある居間へ急いだ。

第七十七回
大異変が起こる前兆は、取るに足らないというか、どう表現すればいいのか分からないが、ほんの些細(ささい)なことだった。私は沼澤氏にもらった水晶小玉、これを正確に云うならば、みかんのママが沼澤氏よりもらった小箱の中の一個なのだが、それを背広のポケットへ入れ、何げなく持ち歩いていたのだった。そう! あの酒棚の玉が緑や黄色の異様な光を帯びて渦巻いた日も、…それに、会社で児島君から多毛(たげ)本舗の接待辞退を聞いたあの日も、…さらには、俄(にわ)かに入り出した契約で多忙になり出したあの日も…、全(すべ)て、その小玉を持ち歩いていたのである。それを私は、つい、うっかり忘れていたのだった。だから、みかんで酒棚に置かれた玉が渦巻いた時、…そうだ! 小玉の入った背広上着は、カウンターで脱ぎ、右隣の席へ置いていた。ひょっとすると、その時、酒棚の玉と私の背広の小玉は互いに意思を伝え合って光り渦巻いていたのではないか…と、私は思った。むろん私はあの時、背広のポケットに入れた小玉の状態は確認していない。親子が意思疎通で語る会話のようなものか…という想いが、ふと私の胸中に湧き上がった。家の書斎にいた私は椅子から慌しく立ち上がると、ハンガーに吊(つ)るした背広のある居間へ急いだ。