水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

スビン・オフ小説 あんたはすごい! (第七十七回)

2010年09月11日 00時00分00秒 | #小説
  あんたはすごい!    水本爽涼
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                              
    
第七十七回
 大異変が起こる前兆は、取るに足らないというか、どう表現すればいいのか分からないが、ほんの些細(ささい)なことだった。私は沼澤氏にもらった水晶小玉、これを正確に云うならば、みかんのママが沼澤氏よりもらった小箱の中の一個なのだが、それを背広のポケットへ入れ、何げなく持ち歩いていたのだった。そう! あの酒棚の玉が緑や黄色の異様な光を帯びて渦巻いた日も、…それに、会社で児島君から多毛(たげ)本舗の接待辞退を聞いたあの日も、…さらには、俄(にわ)かに入り出した契約で多忙になり出したあの日も…、全(すべ)て、その小玉を持ち歩いていたのである。それを私は、つい、うっかり忘れていたのだった。だから、みかんで酒棚に置かれた玉が渦巻いた時、…そうだ! 小玉の入った背広上着は、カウンターで脱ぎ、右隣の席へ置いていた。ひょっとすると、その時、酒棚の玉と私の背広の小玉は互いに意思を伝え合って光り渦巻いていたのではないか…と、私は思った。むろん私はあの時、背広のポケットに入れた小玉の状態は確認していない。親子が意思疎通で語る会話のようなものか…という想いが、ふと私の胸中に湧き上がった。家の書斎にいた私は椅子から慌しく立ち上がると、ハンガーに吊(つ)るした背広のある居間へ急いだ。

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残月剣 -秘抄- 《残月剣②》第二十一回

2010年09月11日 00時00分00秒 | #小説

        残月剣 -秘抄-   水本爽涼

          《残月剣②》第二十一
 長谷川も、相手が左馬介ならば前向きの稽古に励んだのだろうが、今一つ覇気がなかった。
 その夜半、左馬介は川縁(べり)にいた。既に仲秋の名月が東の地平線から昇っている。道場の裏手に流れる川を挟んで、小さな竹林が細々とひろがっているが、その後方は平坦な田畑が続くのみで、山らしい山は全くなかった。丁度、妙義山の山並みとは正反対の方向に当たる。鬱蒼とはしていない竹林だから、月明かりは竹と竹の間を通してはっきりと見えた。というか、日中でも後方の田畑などは地平線まで鮮明に見えるのだ。しかし、夜半の今は、やはり煌々と照らす月明かりがなければ薮(やぶ)向うは見えず、新月ならば漆黒の闇と化す。仲秋の名月は欠けることを知らず、竹林を通して左馬介がいる川を挟んだ対岸へ蒼白い光を放っている。川の流れだけはそんなことは知らぬげに静穏である。朝、昼の腕(かいな)鍛えの筋肉疲労が、はっきりと両腕にきている。とはいっても、冷水で湿布したお蔭で少し痺れや痛みは消え、今は僅かに、けだるい程の左馬介の腕だった。昨夜と今宵では、体調が全く違う。左馬介は左腰に差した村雨丸を緩やかに鞘(さや)から引き抜いた。不思議とは正にこのことであろうか。昨夜は、あれほど重く感じた村雨丸が、そうは感じないのだ。 


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