「まあまあ! 詳しい話は改めて…」
言い終わる前に、すでに里山は家の中へと入っていた。その速さは尋常ではなかった。瞬間、ご主人は恐妻家だ…と小次郎は思った。それでも玄関戸は少し開いていて、小次郎が中へ入れる程度の隙間(すきま)は確保してあった。咄嗟(とっさ)に出た動きなんだろうが、里山の優しい内心を小次郎は知る思いがして、まんざらでもない気分で玄関へ入った。
キッチンでは二人が無言で夕食を食べていた。沙希代の食べっぷりは大勢で、すでに水缶のことは忘れているようだった。小次郎は、いつもの自分のブースで静かに身を横たえ、二人の様子をそれとなく観察した。
「…そうそう、さっきの話」
小太郎の姿に気づいた沙希代が語り出した。拙(まず)い! キッチンへ入ったのは早計だったか…と、小次郎は思った。
「あっ! あれな。俺が別のとこへ置いて出たんだった…」
事情は小次郎から聞いていたから、里山は適当な逃げを打った。
「あらっ! そうだったの? 確か、出がけには見たような気がしたけど…」
「ははは…毎日のことだから記憶違いさ、きっと」
里山は笑って誤魔化した。これも恐妻家の里山の日々、鍛錬した成果のように小次郎には感じられた。
深夜となり、沙希代が寝静まったのを確認して、里山はこっそりと寝室を抜け出した。