どのようなことでも曖昧(あいまい)[ファジー]に済ますのと確実に済ますのとでは、あとの気分が大きく変ってくる。当然、済ました方が楽しい気分になるはずだ。後顧(こうこ)に憂(うれ)いは残したくないものだが、世の中、そうは上手(うま)く出来ておらず、憂いだらけで溜息(ためいき)ばかりが出る日々が続く。^^ 当然、気分は楽しくあろうはずがない。^^
日曜の朝、とある普通家庭の勉強部屋である。小学三年の男児(だんじ)が一生懸命、プラスチック模型を組み立てている。その隣(となり)には小学一年の男児がいて、一挙手一投足(いっきょしゅいっとうそく)を見逃すまいと、頑(かたく)なに見守っている。そのとき、母親の声がキッチンから響いた。
『もう、お昼よぉ~~!!』
「兄ちゃん、どうする?」
「どうするもこうするも、確実に仕上げてからだっ! ああっ!! どうも、ココが上手くいかないっ! お前、先に食べろっ!」
「うんっ! …でも僕は兄ちゃんの子分だから見てるよっ!」
「んっ? …見てるか? 偉(えら)い偉いっ!」
何が偉いのか? 分からないが、兄は弟を褒(ほ)めた。
そうこうして、ようやく模型が完成したとき、母親が部屋へ入ってきた。
「何してるのっ!! お料理が冷(さ)めちゃうわよっ!」
「は~~い!」「は~~い!」
兄弟は素直な声を出した。
母親が引っ込むと、兄が完成した模型を満足げに眺(なが)めながら、徐(おもむろ)に口を開いた。
「出来たから美味(うま)いぞっ!」
「出来なかったら美味(おい)しくないのっ?」
「まあな…」
確実にすれば、美味しくなる訳だ。美味しければ当然、楽しい気分に・・と、話は、こうなる。^^
完