水本爽涼 歳時記

日本の四季を織り交ぜて描くエッセイ、詩、作詞、創作台本、シナリオ、小説などの小部屋です。

涙のユーモア短編集 (61)追憶

2023年10月14日 00時00分00秒 | #小説

 追憶・・要するに過ぎ去った想い出を脳裏(のうり)で辿(たど)るものだ。楽しかった想い出を巡れば、自然と楽しい気分になり、笑顔にもなろうというものである。その逆も当然ある訳で、悲しかった想い出を巡れば、自ずと涙に暮れることになる。ただ、人の頭脳はよく出来ていて、悪かったり悲しかったりした想い出は、深層心理の倉庫のような場所に格納され、余程のことがない限り想い出さないようになっているから便利だ。時には、すっかり忘れさせ、倉庫から出して消滅させてしまうのだ。要するに、人は都合のいい生き物という結論が導ける。今日は、そんな都合のいい人が想い出す羽目になってしまったというお話です。^^
 原居(はらい)は都合のいい男で、どんなことでも自分の都合にいいように解釈する癖(くせ)があった。そんな原居が友人の石嶺(いしみね)と街の舗道で偶然、バッタリと出くわした。
「ははは…まあ、立ち話もなんだ。時間あるか、石嶺?」
「ああ、定年後は時間が有り余って困るほどある、ははは…」
「そうか…。それじゃ、そこの茶店で…」
「ああ…」
 二人は近くにあった茶店へ入った。話は四方山話となり、時間も忘れて二人は話し合った。そろそろ店を出ようか…と二人が思い始めたとき、石嶺がふと、過去の想い出話をし出した。遠い追憶である。
「そうそう、あの頃のお前はなんとも情けなかったなぁ~。仕事を探して見つからず、とうとう俺のところへ泣きついたんだ、ははは…」
 石嶺にとってはどうという話ではなかったが、原居にとっては屈辱的に泣ける話だったのである。
「ぅぅぅ…」
 今時点で起こる内容は都合よく解釈する原居だったが、遠い過去の追憶だけは事実として受け止める他なかったから、自然と泣けた訳である。
 追憶は都合よく変えることが出来ないから、悪い追憶の場合は、泣きの涙を流す他はないようです。^^

                   完


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