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笑顔で往った若者たち(後編)

2021年03月06日 | 日本
ブラジル日系人の子弟が日本で最も驚いたのは、戦争に往った若者たちの気持ちだった。

(「自分も負けずに朗らかに笑って往く」)
もう一人紹介しておきたい。福島県の農家に生まれた穴沢利夫さんは、大の本好きで、農村に児童図書館を作るのが夢だった。中央大学法学部で学びながら、お茶の水の医科歯科大学の図書館で働いていた。そこで図書館講習所の実習にやってきた孫田智恵子さんと知り合い、交際が始まる。時に昭和17年1月、穴沢さん19歳、智恵子さん18歳であった。

穴沢さんは昭和18年10月に大学を繰り上げ卒業後、陸軍特別操縦見習士官として学び、半年後には台湾などで転戦。昭和20年4月12日、鹿児島・知覧より第2次沖縄総攻撃に出撃した。その時に智恵子さんに次のような遺書を残した。

(前略)そして今、晴れの出撃の日を迎えたのである。
便りを書き度い、書くことはうんとある。然しそのどれもが今迄のあなたの厚情に御礼を言う言葉以外の何物でもない事を知る。

あなたの御両親様、兄様、姉様、妹様、弟様、みんないい人でした。至らぬ自分にかけて下さった御親切、全く月並みの御礼の言葉では済み切れぬけれども「ありがたうござゐました」と最後の純一なる心底から言っておきます。(中略)

今更何を言うかと自分でも考へるが、ちょっぴり欲を言ってみたい。
一、読みたい本 「万葉」「句集」「道程」「一点鐘」「故郷」
二、観たい画 ラファエル「聖母子像」、芳崖「悲母観音」
三、智恵子。 会ひたい、話したい、無性に。
今後は明るく朗らかに。

自分も負けずに朗らかに笑って往く。

(穴沢さんはにっこり笑って出撃した)
この遺書通り、穴沢さんはにっこり笑って出撃した、と見送った知覧高等女学校・奉仕隊の永崎笙子さんは語っている。その様子を撮った写真を長らく保存していた。それから24年たった昭和44年、永崎さんは智恵子さんと会って、その写真を示し、遺言通り笑顔で出撃した様を話した。

この写真を見た靖國神社の大野宮司は、「亡くなって神様になられたのではなく、この時点で神様となっておられるのです」と言われたそうである。ここで言う「神様」とは、もちろんキリスト教での宇宙を創造した全知全能のGodの事ではない。本居宣長は神を定義して、人のみならず鳥獣木草、海山など、何でもあれ「尋常(よのつね)ならず、すぐれたる徳のありて、可畏(かしこき)物」とした。

ちょっぴり欲を言いながらも、智恵子さんの家族みなに感謝の言葉を述べた「最後の純一なる心底」はナタリアさんやハイザさんが「げんしゅくな気持ち」「美しい心」と呼んだ心情そのものだろう。死を前にして、このように尋常ならざる澄み切った心をもった人は「神様」と呼ぶにふさわしい存在である。

ちなみにハイザさんは「美しい心をもって死んだ兵たいさんたち、あなたたちは世界の英雄です」と書いているが、ここでの「英雄」とは、ハイザさんの母国語ポルトガル語の"heroi"、英語では"hero"の意であろう。"hero"とは、英語辞典によれば「勇気ある行いや目的の高貴さにおいて際だっており、とりわけ自らの命を賭けたり、犠牲にした人」とある。

大野宮司の「神様」と、ハイザさんの"hero"とは、言語文化こそ違っていても、そこに込められた尊崇の心は同じである。「英霊」という言葉もこれに通ずる。

(「最後まで信じていただいたということはとても幸せ」)
智恵子さんは戦後10年間独身を通したが、昭和30年に別の人と結婚。それは次のように書いた穴沢さんの遺志に添うことだった。

あなたの幸を希ふ以外に何物もない。(中略)
勇気をもつて過去を忘れ、将来に新活面を見出すこと。あなたは今後の一時々々の現実の中に生きるのだ。

穴沢は現実の世界にはもう存在しない。
その相手も昭和48年に病気で亡くし、一人となった智恵子さんはこう語る。

「最後まで信じていただいたということはとても幸せ。利夫さんによって精神的に育てられました。感謝以外の何物でもありません」。

穴沢さんは「ありがたうござゐました」と「最後の純一なる心底」から言って、笑顔で飛び立った。その言葉を受けた智恵子さんは半世紀後に「感謝以外の何物でもありません」と語る。深い信頼と感謝が二人の心を結んでいる。穴沢さんの英霊は草場の陰で今も朗らかに笑っているに違いない。これに優る慰霊はないだろう。

(彼たちの笑っている顔を写真で見て)
第14回訪日使節団女子代表・ステッファニ・万里子・斎藤さん(15歳)も笑顔で往った若者の写真を見た一人である。

この旅行で私が心に一番感じたのは、広島に行った時のことです。戦争は何て悲しいことでしょう。神風特攻隊で行った若者のことが、頭から離れません。彼たちの笑っている顔を写真で見て、どうして笑えるのか分かりませんでした。でも、今は分かるような気がします。
日本のため、家族のため、愛する人のためだったことがわかりました。

彼たちが書いていた手紙を読んでいると、お父さんやお母さんの名前が何回も書かれている手紙を見つけました。そこには、彼たちの苦しみを少し感じることができました

涙がポロポロ出ました。日本を守るために頑張りましたね。
今の日本の若者は、その頑張り屋の力をちょっと忘れてしまったのでしょうか。

終戦記念日8月15日が多くの地域でのお盆と重なっている事は、奇しき因縁というほかはない。後に残る者を信じ、笑顔で出撃した英霊たちがこの国土に戻ってくる時期である。現代の日本を見て彼等は今もにっこり笑ってくれるだろうか。

(文責:「国際派日本人養成講座」編集長・伊勢雅臣)

---owari---
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