日本のGDPも平成9(1997)年に500兆円を超えるまでは右肩上がりだったが、その後は平成10、11年と500兆円を割っている。人口数がほぼ横ばいとなり、消費財がある程度充足されれば、生産も消費も量的に下降するのはむしろ自然である。「静止経済」の時代に入れば、量的拡大・伸長という指標で経済を見るのは古いということになる。
GDPが500兆円を割って、日本はどうなったか。日本にはそれまでの計量化、数値化、可視化できる指標とは別の幸福観が生まれた。いや、ふたたび甦(よみがえ)ってきた。そもそも戦後の窮乏(きゅうぼう)期から復興期を経て高度経済成長に至る国民心理は、まず経済的な繁栄だったが、戦前まではあった暮らしのなかの幸福というものが見直されるようになってきた。
「スローライフ」「スローフード」とか「エコライフ」という言葉で呼ばれる生活様式は、戦前の日本には普通にあった。
年収1000万円を超えて得られる物質的な充足よりも、500万円で暮らすほうが幸せだと考える人たちが出てきたことは、バブル経済やその後のITブームに乗っかった“成金”的な生活や、法に触れなければ何をやってもよいという、“藪枯(やぶか)らし”の経済活動に対するアンチでもあろう。
彼らを落ちこぼれと見るか、脱経済の未来人と見るか。「静止経済」の時代を前提に、経済活動に倫理や道徳性を求める観点からすれば、それは後者ということになる。
欧米にはいまも進歩主義や発展信仰とでもいうべきメンタリティが根強くあるが、日本の庶民には「小欲知足(しょうよくちそく)」という道徳観が根底にある。
戦後という時代は、「もっと稼がなければならない」「もっと経済成長が必要だ」と突き動かされてきたが、それは進歩主義、発展信仰に染まったインテリが政治家や官僚、マスコミに多いからである。庶民はすでに「静止経済」における幸福観を手に入れている。
(日下公人著書「『超先進国』日本が世界を導く」より転載)
---owari---
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