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繁栄の国づくりを目指す①

2019年07月30日 | 政治・経済
(「全世代型社会保障」でますます国民の負担は重くなる)
2019年1月4日、安倍晋三首相は、恒例行事の伊勢神宮参拝を終えた後、年頭記者会見で次のように述べたのです。

「わが国の社会保障制度を子供から子育て世代、現役世代、高齢者まですべての世代が安心できるものへと改革していく。本年はその力強いスタートを切る年であります。全世代型社会保障元年であります」

天照大神の御前での「全世代型社会保障元年」宣言は、少子高齢化に直面した日本のあり方を、改めて据え直そうということなのでしょう。国が福祉を充実させてくれるという話には、誰も異論を挟めません。

しかし、ここで少し立ち止まり、考えてみたいのです。
30年前の1989年、日本政府の債務残高は約200兆円でした。当時の竹下内閣は、財政均衡を目指して消費税を導入しましたが、2018年現在、国の赤字は約1100兆円にまで膨らみました。

特に2009年の民主党主導の「政権交代」と2012年に行われた民主、自民、公明の三党合意による「税と社会保障の一体改革」以降は、「給付金」「手当」「無償化」などの聞こえのよい政策で、国民から集めた税金をばらまく政治に歯止めがかかりません。

それも、困っている人にミニマムを給付するのではなく、必要のない人にまで分配し、それを政治家は自分の手柄のように自慢しています。

私たちの所得に対する税金や社会保険料など、社会保障負担の占める割合を示す「国民負担率」は、2019年度には42.8%となる見通しです。6年連続で40%を上回り、税金や健康保険料、社会保険料として差し引かれています。これはかなりの重税です。

高齢者は老後の蓄えができず、若い世代は将来設計が立ちません。そのため、ますます国からの給付に頼らざるを得なくなるという悪循環です。

最近では、「増税反対」と論陣を張ったメディアのところに税務署の調査が入ったり、増税反対の経済学者は政府の委員に呼ばれなくなったりしています。また、心ある政治家も某省庁の猛攻を前に、口を閉ざしがちです。

投票型民主主義の中では、政治家は当選と党勢拡大のため、国家財政の後先を考えずに、あらゆるかたちで税金をばらまこうとする傾向があります。経営力や見識ある人物が政治家になりにくいという現状もあります。

また、エリート意識の強い官僚は、自省庁・自局の権限を増やすため、バラマキの予算や許認可権限が増えていくことを好み、マスコミ権力は、小さい事柄や事例を針小棒大にマッチポンプのように取り上げて、「政府が悪い」と世論を形成するのが大好きです。その結果、増税と規制強化が繰り返されて、気がつくと国民の自由も制限され、社会はますます窮屈になっていきます。

安倍政権も例外ではなく、この袋小路にはまってしまったように見えます。
年初の「全世代型社会保障元年」という言葉も、本当のところ、今年の統一地方選挙や参議院選挙に向けて、国民の歓心を買おうとした選挙対策のバラマキ政策にほかならず、もっともらしい増税の理由として「人づくり革命」とか「幼保、高校、高等教育の無償化」と言っているだけなのかもしれません。

しかし、怖いのは、そうこうしているうちに日本人の意識が、確実に変化してしまうことです。気づいたら日本の誇る「勤勉」や「自助努力」といった言葉が死語となり、日本が日本でなくなってしまうのではないか。そんな危機感がぬぐえません。

日本人が「人生100年」時代に突入し、人間の営みすべてを国が支えようという志はまさしく「ゆりかごから墓場まで」ですが、その言葉が象徴する「英国病」はどのようなものだったかを振り返ってみると、今の日本にも通じる、大きな教訓が得られます。

---owari---
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