このゆびと~まれ!

「日々の暮らしの中から感動や発見を伝えたい」

ひらめきに必要な「集中」と「弛緩(しかん)」(後編)

2021年08月03日 | 人生
(映画を発想の材料にしていた手塚治虫)
日本のマンガ家の代表的な存在であり、日本のアニメ製作のスタートを切った第一人者は手塚治虫(てづかおさむ)でしょう。彼は、大阪大学の医学部を出たインテリで、マンガ家の地位を非常に高めた人だと思います。

手塚治虫は、もちろん、仕事を一生懸命にやっていたことは間違いなく、ものすごい量のマンガを描(か)いています。これだけの量を描けた背景には、何があったのでしょうか。それは、「彼が仕事で何をしていたか」ではなく、「彼が休みのときに何をしていたか」を知ると分かります。

「手塚治虫は一年間に映画を三百六十五本も見ていた」と言われています。意外なところに創造のヒントはあるのです。「年に三百六十五本」ということであれば一日一本の割合です。

ただ、今のようにDVDなどがある時代ではなかったので、毎日、彼が映画館に行って見ていたかどうかは分かりません。映画を見る日には、まとめて何本も見ていたのかもしれませんが、一年に三百六十五本の映画を見ていたそうです。

気分転換を図ってリラックスするために映画館へ行っていたとしても、それは単なる休養ではないのです。仕事の着想を得るために行っていたわけです。

映画を三百六十五本も見ていれば、そのなかに、いろいろな物語やストーリー、登場人物を次から次へと思いつくための材料があることは、ほぼ間違いないでしょう。それをどこから取っているかは、本人が言わないかぎり、映画を全部見ている人でなければ分からないので、非常に独創的であるように見えるのです。

彼は、水面下では、そういう努力をしていて、ディズニーの有名な映画「バンビ」については、「八十回も見た」と言っていました。普通は、なかなか八十回も見られるものではありません。製作関係者以外で、八十回も見るような人はいないでしょう。それだけ繰り返し見ることによって、アニメのつくり方のようなものを隅(すみ)から隅まで研究し尽くしたのだと思います。

「日本のアニメの草分けのような人でも、実際に、それ相応の努力はしているのだ」ということを知らなければいけません。

「正統派の秀才としても十分に通用するような人が、違った視点、異質な視点を持つと、発想を生んでいく原動力になりやすい」ということが言えると思います。

---owari---
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