鎌倉時代の僧侶に、名僧と言われた、華厳宗(けごんしゅう)の明恵(みょうえ)(1173~1232年)という人がいますが、この人は霊能者だったようです。
彼に関する文献を読むと、次のようなことが書いてあります。
あるとき、夜も更(ふ)けて、眠っているような姿勢で炉端(ろばた)に座っていた明恵が、弟子に、「ああ、かわいそうに。もう喰(く)いついたかもしれぬ。今、大湯屋の軒(のき)の巣のスズメがヘビにのまれそうになっているから、灯をつけて急いで行き、追い払え」と言うので、弟子が「ほんとうかな」と思って裏に行ってみると、まさしくヘビがスズメをのみ込もうと狙っているところであったというのです。
明恵は暗闇(くらやみ)で遠方のことまでが見えたわけです。
これは霊能体質であれば、そのとおりなのです。ほんとうによく分かるのです。そういうたぐいのことは、たくさんあります。
ただ、霊能体質であっても、この世的に、あまりガサガサした状態だと分からないのですが、瞑想状態に入ると、そういうことが非常によく分かるのです。
深い瞑想に入ることによって、さまざまな世界とつながっていき、いろいろなものが見えてきます。動物の心の動きも分かるし、動物の考えや気持ちまで分かってきます。深い深い定(じょう)に入っていくと、そこまで通じてくるのです。
そして、何十キロも何百キロも離れた所にいる人の考えていることや思っていることが、何らかの縁があれば、その縁を通じて、すっと入ってきて、分かってきます。「この人は、今、こういうことを考えているのだな」ということが分かってくるのです。
このように、自分の内のほうへ深く入っていくと、実は、そのなかに、無限の宇宙へと伸びていく道があるのです。無限の宇宙から各人のなかへとつながっているものがあるのです。
それは、結局、「人間以外のものも含めて、この地上に存在が許されているすべてのものには、被造物(ひぞうぶつ)、すなわち創られたものとしての痕跡(こんせき)がある」ということです。人間であれ、動物であれ、植物であれ、みな、創られたものとしての痕跡があるのです。
創られたものとしての痕跡とは、「その生き物をあらしめようとする力が宿っている」ということです。
そのあらしめようとする力は、「仏性」という言葉で呼んでもよいのですが、表れ方においては、心の法則として表れています。「すべての存在が、心の法則を持ち、その心の法則に則(のっと)って生きている」ということが、創られたものとしての痕跡なのです。
---owari---
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