このゆびと~まれ!

「日々の暮らしの中から感動や発見を伝えたい」

どうしたんですか、京都の町?

2018年12月09日 | 日本

今日はフランスの作家、オリヴィエ・ジェルマントマの著書「日本待望論」よりお伝えします。

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ああ、事態は左様に容易ならず!ここから下降の始まりとござい!

と申しますのも、一点非の打ちどころなき、あのひなびた午餐(ごさん:昼食)のあと、思いがけない展開となったものですから。

 

宿を出て、琵琶湖へと下る小径をたどっていきました。風光明媚とされるこのあたりの湖畔で、たしか紫式部は『源氏物語』の一部を書いたのではないか、などと記憶をたどりながら。

 

と、そこに身の毛もよだつ光景が待ちうけていたのです。新しい建築物が、その攻撃的醜悪をさらけだして乱立する光景が。日本中、珍しくもないことかもしれませんが。毒々しい看板、鉄塔、工場、パーキングのたぐいが、風致の保存も何のその、ごたごたと積み重なっています。

 

数件の旧家が、アメリカの郊外風景の模倣にすぎないこの狂気を辛うじて免れたものの、これとても、まがいの都市計画の高架橋だの、けばけばしい建物の外装によって喉元を締めつけられ、息も絶え絶えといったありさまなのでした。

 

短期利潤追求型のニーズにのみ住宅建築を充当するようでは、伝統遺産の心ばえを受けつぐことなど、おぼつかないと申さざるをえません。マスプロと消費のことしか念頭にない、それ自体すでに気息奄々(きそくえんえん)たる文明の迷妄(めいもう)をコピー――しかも拙劣(せつれつ)に――するかぎり、もはや日本はありません!

 

ヨーロッパに来て、見てください。どれほど入念に私どもが国の景勝地や町々の史跡を守ろうとしているのかを。それは、過去が未来の豊かさにほかならぬと知っているからなのです。京都の町を、あなたがたはどうしてしまったんですか。

 

世界最大の驚異の一つであるこの古都は、なるほどいまなお見事には違いないが、それは、この町に王冠のごとくかぶされた周辺について言えるだけで、町そのものは面白くもない建築物でぶちこわしにされています。

 

ロシア系フランス人の日本学者、セルジュ・エリセーエフは、戦時中、京都を空爆から守るために、どんなにか対米交渉に影響力を発揮したことか。その気になれば、あなたがたは、『日本風』に近代化しながらもこの珠玉(しゅぎょく)を守りとおすことはできたはずです。何故、魂なきスタイルの凡庸(ぼんよう)のほうを好んだのでしょうか。

 

なにしろ、戦後何年間も、我々は急いできたのでねと、皆さんおっしゃいます。同じ戦争による恐ろしい破壊のあと、私どもも急いだことに変わりありません。ナチスによるワルシャワ破壊は、まさに狂乱のかぎりでした。廃墟にされ、虐殺され、それでもポーランド人は、彼らの首都を破壊前と変わらぬ姿に再建したのです。

 

一方、あなたがたは京都や東京の被災をまぬがれた界隈をさえ修復しませんでした。何百年もかけて営々と築きあげてきた都市文化を、あたら見捨てることで得た成功であるなら、そもそも、それは何のためにあると言えるのでしょうか。

 

来るべき子々孫々の世代に向って、あなたがたは何と申し開きをするのでしょうか。巷の辻々に神社仏閣を配し、数限りない庭園を散りばめ、小路をめぐらせ、木造の家々の並び立つ、あの失われた界隈の魅力をもはや味わうことのできない世代に対して――。

 

なるほど、観光客用に、祇園は保存されました。厚化粧といった、わざとらしさとともに。しかし、「永遠の日本」の精神が、いささかでも薫染(くんせん:よい感化をうけること)されるためには、職人も家族も学校も混然一体となった伝統的自然生活の環境が是非とも必要なのです。だが、こうした意味での最後の聖域も、すでに蝕まれています。明日は痛罵を浴びせられかねない、「近代精神」なるものによって。

 

---owari---

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