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袋背負いの心 ~ 『新釈古事記伝』から

2022年07月25日 | 日本
外国人も賞賛する我が国の「思いやり社会」の理想は『古事記』に説かれていた。

(大きな袋を背負って)
出雲大社に祀られている大国主命(おおくにぬしのみこと)には大勢の兄弟、八十神(やそかみ)たちがいた。ある時、稲葉の国(鳥取県東部)に八上比賣(やかみひめ)という日本一の女神がいると聞いて、兄弟で嫁取り競争をする事になった。

しかし、太古のことで途中には道のないところが多いし、旅館もない。米、味噌、醤油から、鍋釜、寝具にいたるまで、持って行かなければならない。

そこで、八十神一同で相談して、皆の荷物を大きな袋にいれ、大国主命に運んで貰うよう頼むこととした。大国主命は力持ちだし、また立派そうなので、荷物運びの従者のように見せかければ、八上比賣から選ばれることもないだろう、という魂胆だった。

八十神たちに頼まれて、大国主命はビックリしたが、自分が荷物を背負わなければ、嫁取り競争も取りやめるしかない、と聞いて、「よろしゅうございます。お引き受けいたしましょう」と答えた。

こうして大国主命は一人で大きな袋を背負い、八十神たちに従って、歩いていった。その姿はどう見ても従者としか見えない。

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しかし、大国主命は、決して
「自分はお供ではないぞ」
などとは仰せになりません。

平気な顔をして、黙っておいでになります。お顔を見ましても、少しも自慢そうな様子はなく、少しも悲観した様子もなく、少しもお怒りになる様子もなく、まことに元気よく、ニコニコしておいでになります。
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(『古事記』に凝縮された古代日本人の心映え)
最近、刊行された『新釈古事記伝』の一節である。書名は厳(いか)めしいが、文章は小中学生にも読める平易なものだ。しかし『古事記』のおとぎ話風の物語から、著者は自らの心に映った大和民族の深い理想を解き明かしていく。

著者は阿部國治氏。戦前の東京帝国大学法学部で英法学を学び、副手になったが、その後、同じく東京帝大で印度哲学科を学び、首席で卒業した、という人物である。そのまま進んでいれば、帝大教授か高級官僚への道が約束されていたろう。

しかし、阿部氏はそんなエリート・コースを捨てて、疲弊にあえぐ農民救済のために、地下足袋を履いて全国の村々を歩いた。そんな人生を歩んだ人だからこそ、『古事記』に凝縮された古代日本人の心映えが、よく見えたのだろう。

氏の解き明かす古代日本人の心映えは、泉から湧き出る清冽(せいれつ)な水のように、現代の子供達の心に新鮮な潤いを与えるだろう。大人も、その水で喉を潤すことで、多忙な毎日を生き抜く元気を与えられるに違いない。そのごく一端をご紹介したい。

(稲葉の白兎の感謝)
八上比賣(やかみひめ)に会いに、稲葉の国に向かう一行は、白兎(ウサギ)に出会う。白兎は隠岐の島に生まれて、ワニを騙して、本州に渡ったのだが、騙されたワニが「痛い目にあわせて、少し考えさせよう」と、皮をはいで、陸の上に放り出した所だった。

兎は痛くてたまらずに泣きだした。「ワニの奴め、いくらなんでも、こんなにしなくてもよいではないか」と思って、ワニを恨んで泣いた。

しかし、ワニはなぜ自分を赤裸にしただけで、なぜ海に放り込んで殺さなかったのだろう、とふと思うと、「ワニは自分を反省させようとして、こうしてくれたのだな」と気がついた。

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すっかり気がついた兎さんは、心から後悔しました。「決して、もう嘘はつきません。人様に迷惑をかけて、馬鹿呼ばわりはいたしません。ほんとに立派な兎になって、ワニの好意に酬いたい」と思いました。
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あまりの痛さに泣きながら、「どうぞ、神様、私の身体をもとどおりにしていただきとうございます」と祈っている所に、八十神の一行がやってきた。

八十神たちは、兎に海の水を浴びて、塩をからだにつけ、日向で乾かしなさい、と教えた。兎は神様の仰せられることだから、と思って、その通りにしたら、痛みがひどくなって、さらに泣き苦しんだ。
そこに、一人遅れて大国主命がやってきた。兎から訳を聞くと、「私の兄弟たちがからかって、すまない事をしました」と謝りつつ、川の水で塩を洗い流し、日陰の風の当たらないところで静かに寝ているように教えて、介抱してやった。それで兎はすっかり治った。

兎は、こうして念願だった本州にも辿り着けたし、ワニにゆがんだ心は叩き直してもらったし、大国主命のお陰で、もとの身体に戻れたので、心から感謝した。そして、大国主命に「あなたこそ本当に立派な方です。八上比賣様は、必ずあなた様をお婿様となさるに違いありません」と申し上げた。

(八上比賣の断り)
八十神たちは稲葉の国に着き、八上比賣に「どうぞ、この中からお婿様をお選び下さい」と申し出たが、八上比賣はきっぱりと断った。

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皆様のように、どんないろいろな技をご修行になっても『嫁取り競争』というような、この上もない大事な真面目な旅行にお出かけになるのに、その旅行に必要な道具を、ご自分でお背負いにならないような方は、本当に真面目な人とは思いません。

それにひきかえて、大国主命様は皆様の嫌がる荷物を全部お引き受けになった、どう見てもお供としか見えないのに、平気な顔をして、しかも皆様より遅れて、ひとりでおいでになっております。

それだけではありません。

皆様は稲葉の兎にお会いになって、何をなさいましたか。あの兎は後悔をして、泣いて祈っておったのであります。ワニすら、その兎を殺しはしませんでした。それなのに、皆様は兎をおからかいになって、慰みものになさったでしょう。

大国主命様はそれを後からおいでになって、親切にお治しになってやったのでございます。あなた方は、不真面目な呑気な方々で、まだ本当に立派とは申し上げられません。

ですから、できることなら、私は大国主命様のような方のところのお嫁入りしたいと思います。
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この八上比賣の言葉に、八十神たちは、一言も弁解できなかったことと思います、と著者は想像している。

(「他人の苦労を背負い込むことを喜びとせよ」)
阿部氏は、この『古事記』の一節を、次のように解説している。

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大国主命は八十神たちが荷厄介に思われ、面倒に思って嫌われた旅行道具を一切引き受けて、大きな袋にお入れになり、これを背負われました。この袋を背負われる気持ちが非常に大切だと思います。

「できるだけたくさん、人さまの世話をやかせていただくことが立派なことである」と教えられているのであります。

「できるだけたくさん、他人の苦労を背負い込むことを喜びとせよ」と、教えられているのであります。

しかも、この教えを徹底的に明らかにするために、大国主命は、お供になっておられます。お供になるというのはどういうことかと申しますと、これは、人さまの世話をしたり、人さまの苦労を背負い込んだりすると、自らの心のうちに喜びを感ずるだけではなくて、
「自分はこういうことをしてあげているのだから偉いな」
という誇りの気持ちが起こってまいります。

それだけではなく、相手の人や世間から、
「これだけのことをしているのから、感謝してくれるのはあたりまえではないか」
という気持ちさえ起こってくるものです。

このように、人さまの世話をやかせてもらって偉いと自分で思ったり、世話のやき賃を求めたりするようではいけない、と教えられているであります。
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「できるだけたくさん、他人の苦労を背負い込むことを喜びとせよ」というのが、阿部氏の言う「ふくろしよい(袋背負い)の心」である。

(「偉くなる」とはどういう事か)
大人は、青年や少年に向かって「偉くなりなさい」と言う。しかし、「偉くなる」とはどういう事か、はっきり教えていないし、自分自身でも分かっていない。

そのために青少年が、有名大学に入って一流企業に勤めることが偉くなることだ、あるいはそこで出世して、部長や役員になった人がヒラ社員より偉い、と誤解する。そこに無益な競争が始まる。

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つまり、間違った目標を立てて、無理な競争をした結果、どういうことになるかというと、成功した人たちは「自分の力で成功した」と思って、己惚(うぬぼ)れの気持ちを起こします。成功し損なった人たちは、表面はおとなしくしておりますが、内心は成功した人たちを羨みながら、反抗心をもっております。

こうして、世の中は、自惚れの人たちと、卑屈の人が多くなりますから、不安定な気持ちの悪いところとなります。
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「袋背負いの心」に目覚めれば、組織上の地位と真の偉さとの違いが分かってくる。

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この教えから言いますと、ヒラ社員はヒラ社員で立派な職分ですから、ヒラ社員の「ふくろしよいのこころ」でやればいいのでして、偉いか偉くないないかは「ふくろしよいのこころ」の自覚の程度と、その実行の程度で決まってくるのであります。

ヒラ社員だから偉くない、課長や部長だから偉いということはありません。課長や部長はなおさら「ふくろしよいのこころ」を忘れてはならず、社長であれば、いっそうこれを徹底しなければならないのであります。
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(「袋背負いの心」こそ日本人の理想)
阿部氏は、この「袋背負いの心」こそ、日本人の心、すなわち「大和魂」だとする。そして、二宮尊徳、吉田松陰、西郷隆盛、乃木希典など、わが国で尊敬されてきた人々は、みなこの「袋背負いの心」を持っていた、と言う。

たとえば、乃木大将は日露戦争で大功があったが、部下の多くを亡くした事から、その後の俸給の大半を遺族の生活費や傷病兵の医療費に充て、まさに人々の苦を自ら背負って生きた。

二宮尊徳も、その一生をひたすら、多くの農村の復興に捧げた。その志は、ただただ農民が安定した生業ができるように、という願いから出ていた。人のため、国のために生涯を捧げたという生き方においては、吉田松陰も西郷隆盛も同様である。

戦後教育は、これらの人々の偉さを教えなくなったが、その結果として、どのような人物が「偉い」のかが分からなくなり、単に良い学歴を持って、出世することだけが「偉い」と誤解するようになった。これは人を騙しても、嫁取り競争に勝てば良いとする八十神たちを育てているようなものである。

数千年前の太古の昔から「袋背負いの心」こそ貴い、と信じた我が祖先に比べれば、現代日本人の心の貧しさは明らかである。

(思いやり社会の源泉)
そんな現代日本においても、社会全体としての他者への思いやりや深切さは国際社会でも群を抜いている事は、日本にやってきた多くの外国人が語っている。また、東日本大震災の中でも、思いやりに満ちた被災者たちの行動は、世界を驚かせた。

それは、学校教育こそ歪んでしまったけれども、家庭や地域での子育てで、無意識・無自覚のままにも「袋背負いの心」を伝えてきたからだろう。また「袋背負いの心」をそのままに示されてきた皇室の影響も大きい。

その思いやりの心は、実は太古からの神話が伝えてきた我が先人たちの理想であったことを『新釈古事記伝』は明らかにした。思いやり社会の源泉は、実はすぐ足元にあったのである。しかも、子どもたちにも親しめる物語として。

『新釈古事記伝』は、さらに大国主命が成長して、国土作りに向かっていく様、素戔嗚尊(すさのおのみこと)と天照大神(あまてらすおおみかみ)の物語など、古事記の名場面をとりあげて、古代日本人が理想とした所を説いている。

大人たちがこの本を読んで、家庭や幼稚園、小学校などで子供たちに話して聞かせたら、我が国は「袋背負いの心」を持った子どもたちで充ち満ちていくだろう。そんな立派な国を目指したいものである。
(文責:「国際派日本人養成講座」編集長・伊勢雅臣)

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