愛に関しては、基本的には、人を理解できるかどうかが大事です。「理解した」ということは、「愛した」ということと、ほぼ同義なのです。
愛せないのは、理解できないからです。「どうして、この人を愛せないのだろう」と思うかもしれませんが、それは理解できないからです。理解できたら愛せるのです。
夫婦の場合でも、相手を愛せないときは、相手を理解できないときです。たいてい、そうです。相手を理解できたら愛せるのですが、理解できないのです。
夫も妻も、それぞれ言い分があり、お互いに、それを言っているのですが、相手の言い分が納得できず、自分の気持ちが許さないため、けんかになってしまうのです。そういうところがあります。
人は理解できれば愛せるのです。
対機説法*についても同じであり、どれだけの人を理解できるかが大事です。
自分と合うタイプの人にしか話が通じないのであれば、仏法真理の話のできる範囲が狭まってしまいます。
愛の器を広げるために必要なのは、まず理解力です。人を理解する力です。
これは、努力すれば身につきます。経験を積んだり、知識を増やしたりしていけば、人を理解できるようになるのです。
理解できた相手のことは、愛することができます。
また、「自分は理解された」と思った人は、「自分は愛された」というように感じるのです。
「理解できたら愛せる」(仏法真理)
*対機説法・・・・教えをきく人の能力・素質にふさわしく法を説くこと。
---owari---
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