(「地上への執着」を強く持つ魂が行く世界)
地獄という世界を、昔話の世界、仏教の絵巻物の世界、キリスト教の教育のためにつくられた特別の世界であると考えがちな人も多いでしょう。
しかしながら、実際に地獄界は存在しています。それは非常に厳しい事実ですが、そういう世界が現にあるのです。
地獄界は、地上世界に極めて近い世界だと思ってよいでしょう。
地獄界にいる住人たちは、もちろん、肉体はすでになく、この世のものではありませんが、まだ地上への執着を非常に強く持っていて、どうしても魂として純化できないでいる人たちなのです。
つまり、「この世界の人々は、まだまだ霊として十分に目覚めていない」と言ってよいでしょう。
現に地獄にいる人たちの話を聞いてみても、自分が死んだことすら知らない人が大部分です。
なかには、自分が死んだことを知っている人もいますが、「どのようにしたらよいのか。自分たちは、今、どこにいるのか。何をなせばよいのか。何が違っていたのか」ということを分からない人が大部分なのです。
(地獄にも、さまざまな段階がある)
この地獄世界にも、心の波動に応じた、さまざまな段階があります。上段階から下段階までがあるのです。
例えば、比較的上層の世界には、闘争や破壊を中心に生きた者たちが行く阿修羅地獄や、男女の道を誤った者たちが行く色情地獄などが存在しています。また、詐欺、殺人、傷害、強盗などを行った者たち、いわゆる犯罪人たちの行く世界がありますが、それも程度に応じて段階が違っています。
地獄の最下層のほうには無間地獄があり、そこには、思想的に、あるいは宗教的に人々を間違わせ、狂わせた人々が行っています。霊の世界は、殺人など肉体的な間違いや物質関係での間違いよりも、「人の心を狂わせる」という罪を最大の罪としています。
さらに、主として無間地獄を中心に発生した、魔界というものがあります。これは、地獄の魔王たち、サタンたちが住んでいる世界です。
(罰のためだけに地獄があるわけではない)
ただ、肝心なことは、「地獄は決して罪や罰のためだけにあるのではない」ということです。「地獄は、それぞれの人が心の傾向性に合わせて赴く世界である」という事実があります。
すなわち、その人の心が粗雑な波動を出し、いわば重い沈殿物を有しているがために、どうしても上のほうに上がっていくことができずに、底のほうに沈んでいくのです。
これが物理学的な理由ですが、これを道徳的に見るならば、「各人が、自分の良心に照らして、自分の生前の思いと行いを反省し、そして、自分自身が許せなくなると、地獄世界に行って、さらなる魂の修行をする」ということになるわけです。
(地獄から地上に生まれ変わることはできない)
ここで、忘れてはならないポイントが一つあります。それは、「人間の魂は転生輪廻というかたちで地上に生まれ変わってくるが、地獄界からは決して生まれ変わってくることはない」という事実です。
これは、従来の宗教では、それほど強く唱えられたことがありませんし、このことを知っている人も少ないでしょう。しかし、地獄界から地上に生まれ変わってくることはできないのです。
それができないからこそ、彼らは、憑依という現象を起こし、「地上の人間に取り憑いて苦しめる」ということをやっているわけです。
もし地獄界から地上に生まれ変わることができるのならば、彼らも人間の肉体に宿って生まれ変わり、地獄の苦しみから逃れ出ることができるのですが、それができないからこそ、地獄の責め苦から逃げたくて、「生きている人間に取り憑き、惑わす」ということが起きるのです。
いずれにしても、地獄にいる人たちは、仏の心に反した思いと行いを現実に出して生きていたわけであり、その点に関して、深い反省を要求されているのだと言えましょう。
*(地獄に堕ちた人が天国へ還るには?)
悪霊でも、ある程度反省が進むと、まっ黒けになっている霊体の後頭部から、ポッと光が出るようになります。
「私が悪うございました」と改心してくると、涙をボロボロと流して泣くようになるのです。そうすると、霊体の外側に付いている煤(すす)のような汚れたものがサーッと流れ始めて、光が出てきます。
そして、十分に心の奥底まで改心ができると、天上界へ上がっていくのです。
---owari---
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