(戦前・戦中の反省から定められた「検閲(けんえつ)の禁止」)
新聞については、国民であっても、全紙、読んでいるわけではありません。それぞれの家庭で、主だった新聞を一紙だけ取っていることがほとんどです。
また、たいていの場合、テレビ欄(らん)しか見ず、従来は、それだけのために新聞を取っているところも多かったのですが、だんだん、新聞を取らなくてもテレビ番組ぐらいは分かるようになってきたため、「いちばん後ろの面でテレビ番組を確認する」という新聞の“役割”が、次第しだいに終わりつつあります。
それでも、一紙をきちんと読んで、その影響(えいきょう)を受けているとするならば、数百万から一千万近い人までが影響を受けていることになるでしょう。その家族を入れると、二倍、三倍の影響力が出ている可能性もありますから、そうとうな影響力があるのではないでしょうか。
これについては、法制度として不備があり、国家の制度として考えた場合、ここをチェックするものは基本的にありません。
その反対に、憲法では、「検閲(けんえつ)の禁止」等が定められています。
例えば、戦争中は、軍国主義国家を実現するために、それに反対の論調を、新聞やラジオなどで流されたり、あるいは、本を出版されたりしないように、事前にチェックしていました。
新聞のある部分が印刷されないまま白紙で出されることがありましたし、本であっても、政府批判に当たるもの、政府がよくないと認定するものに関しては、肝心(かんじん)なところを伏(ふ)せ字にして出せなかったことや、場合によっては、発禁処分になったことも、たくさんあったわけです。
そういう戦前・戦中の事態に鑑(かんが)みて、戦後は、「権力による抑圧・抑制」を極力少なくするような動きがあるのです。
---owari---
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