働く時でさえ楽しげな日本人は、遊びの時にはもっと上機嫌だ。シッドモアは、花見の光景に目を見張る。
日曜日は休息日なので、川面(かわも)は小舟でいっぱいとなり、岸辺では、しかつめらしい表情をした小柄(こがら)な巡査(じゅんさ)が花見客の流れを整理する。・・・・・妙(みょう)なかぶりもので変装した男たちを乗せた小舟が次から次へと川堤(かわづつみ)沿いに、艪(ろ)やさおで進む。
この男たちは、叫(さけ)んだり、歌ったり、手をたたいたり、三味線(しゃみせん)をつま弾(び)いたり、全くの自由奔放(ほんぽう)――アングロサクソン人にとっては驚異(きょうい)と羨望(せんぼう)の的である。
酒盛(さかも)りに加わる者は各自、酒びょうたん、つまり子樽(こだる)を持っていて、これを肩からつるす。ひょうたんの中身を飲み干(ほ)せば、手持ちのお金と意識がある限り補充(ほじゅう)する。
友人、隣人(りんじん)、赤の他人、だれに向かっても、「一杯(ぱい)いかが」とこの元気づけのアルコールをすすめる。出店(でみせ)も三軒(けん)に一軒は酒場だし、どの茶屋の前にも、こもでくるんだ酒樽(さかだる)がピラミッド式に積まれる。
(エライザ・R・シッドモア著 恩地光夫訳『日本・人力車旅情』有隣新書より)
120年以上も前の光景だが、現代の花見とあまり変わらない。シッドモアは「アングロサクソン人にとっては驚異と羨望の的」と言ったが、最近の在日外国人の間では花見の宴が流行っている、という。
*伊勢雅臣著書「世界が称賛する『日本人が知らない日本』」より転載
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