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「歴史」と「世界標準」の視点から導かれる朝鮮・中国対応法(前編)

2022年05月26日 | 政治・経済
(世界標準から見て、「自衛目的」か「侵略目的」かの判定を間違うな)
悲惨な核戦争が起きないよう、事前に抑止する運動をするということは、単に両手を上げて、「私たちはもう二度と戦いませんから」と言えば済むことではありません。

私たちが両手を上げて降参しようがしまいが、いろいろな国で核爆弾は開発され、ミサイルも数多くつくられ、すでに地球を何十回も何百回も破壊できるぐらいの核兵器が存在しています。

そうであるならば、核兵器のない世界を目指すことも、もちろん大事ですけれども、外交努力によって、そうした戦争を未然に防ぐことができるならば、先が読める人は、そのための努力をすべきであると思います。

そして、「どうしても避けられない戦争が未来に起きる。それも、自分たちから侵略するのではなく、他国から侵略されて、国民に大いなる受難が来る」ということが予想されるならば、せめて国民の「生命・安全・財産」と「領土・領海・領空」を護るために、きっちりとした仕事をすることは、税金を集めている国家の使命であると私は考えています。

これについては、天上界の諸霊も意見は一致しています。自分たちの国と国民を護るために、いろいろな国が自衛措置をすること自体に反対する者はおりません。

ただ、考え方によって、「自衛か、あるいは攻撃的か」ということの重さ、ニュアンスが変わってくることがあるので、世界的なレベルから見て、「これは世界標準に照らして自衛に当たるのか、それとも、覇権戦争的な、侵略的なものの準備になっていないか」ということを間違わずに判定することが大事です。

---owari---
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