諸人よ、よく聞きなさい。
私はあなたがたに言っておく。
まず、貪りの欲を捨てなさい。
あなたがたの多くは、貪る気持ちがあるであろう。
貪りという気持ちが、わかるであろうか。
それは、あくまでも奪い続けるという心だ。
あれも欲しい、これも欲しいという心だ。
貪りの心のなかには、
地位欲もあるであろう。
出世欲もあるであろう。
名誉欲もあるであろう。
とにかく、いつも空腹の餓鬼のように、
食べても食べても満腹せぬがごとく、
貪り貪り、貪り続けてゆく時に、
あなたがたの魂は、
限りなく、深い澱みのなかに落ちてゆくということを、
知らねばならない。
何ゆえに、貪りが毒であるということがわかるか。
何ゆえに、貪りが悪であるということを知るか。
その意味をあなたがたは知っているであろうか。
諸人よ。
私は、常づねあなたがたに説いてきたはずである。
人間が命を得、今生に生まれるということは難しいことである。
今生に生まれ、かつ仏の教えに触れるということは難しいことである。
また、今生に生を享けて、
仏と時を同じくするということは、また難しいことである。
仏が出、仏の教えが説かれる時に、
生を得るということは難しいことである。
そのような時代に生まれ合わせたのであるならば、
あなたがたの使命は自ずから明らかとなるであろう。
あなたがたは、多くの人びとに与えるために来たのだ。
与えるということは、現代的な言葉であるが、
与えるとは布施の心だということだ。
布施とは何であるか、それは他を思いやる心だ。
他の人によかれと思う心だ。
他の人に尽くさんとする心だ。
この心、もしなくば、仏の教えもまた意味がない。
仏の教えは、人に尽くさんとしてあるのだ。
仏の教えは、人に布施せんとしてあるのだ。
仏の教えは、人に愛を与えんとしてあるのだ。
諸人よ、まずこの根本を間違えてはならない。
貪りのために出てきたのではないということを知りなさい。
自らの心の内をふり返りみて、貪る心の強い者は、
これは、愚かであると言わざるをえない。
いつまでも地位に執着するな。
いつまでも出世に執着するな。
いつまでも名誉に執着するな。
いつまでも己がプライドに執着するな。
他からよく見られたいという心に執着するなかれ。
そのような心は、
すべて貪りの心である。
他の人によく見られたいという心、
尊敬されたいと思う心も、貪りの心である。
他の人にあこがれられたいと思う心も、貪りの心である。
有名になりたいと思う心も、貪りの心である。
自らの権力を振るいたいと思うことも、貪りの心である。
(仏法真理)
---owari---
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