このゆびと~まれ!

「日々の暮らしの中から感動や発見を伝えたい」

貪るな(むさぼるな)

2018年01月21日 | 人生

諸人よ、よく聞きなさい。

私はあなたがたに言っておく。

まず、貪りの欲を捨てなさい。

 

あなたがたの多くは、貪る気持ちがあるであろう。

貪りという気持ちが、わかるであろうか。

それは、あくまでも奪い続けるという心だ。

あれも欲しい、これも欲しいという心だ。

 

貪りの心のなかには、

地位欲もあるであろう。

出世欲もあるであろう。

名誉欲もあるであろう。

 

とにかく、いつも空腹の餓鬼のように、

食べても食べても満腹せぬがごとく、

貪り貪り、貪り続けてゆく時に、

あなたがたの魂は、

限りなく、深い澱みのなかに落ちてゆくということを、

知らねばならない。

 

何ゆえに、貪りが毒であるということがわかるか。

何ゆえに、貪りが悪であるということを知るか。

その意味をあなたがたは知っているであろうか。

 

諸人よ。

私は、常づねあなたがたに説いてきたはずである。

人間が命を得、今生に生まれるということは難しいことである。

今生に生まれ、かつ仏の教えに触れるということは難しいことである。

 

また、今生に生を享けて、

仏と時を同じくするということは、また難しいことである。

仏が出、仏の教えが説かれる時に、

生を得るということは難しいことである。

 

そのような時代に生まれ合わせたのであるならば、

あなたがたの使命は自ずから明らかとなるであろう。

あなたがたは、多くの人びとに与えるために来たのだ。

与えるということは、現代的な言葉であるが、

与えるとは布施の心だということだ。

 

布施とは何であるか、それは他を思いやる心だ。

他の人によかれと思う心だ。

他の人に尽くさんとする心だ。

 

この心、もしなくば、仏の教えもまた意味がない。

仏の教えは、人に尽くさんとしてあるのだ。

仏の教えは、人に布施せんとしてあるのだ。

仏の教えは、人に愛を与えんとしてあるのだ。

 

諸人よ、まずこの根本を間違えてはならない。

貪りのために出てきたのではないということを知りなさい。

自らの心の内をふり返りみて、貪る心の強い者は、

これは、愚かであると言わざるをえない。

 

いつまでも地位に執着するな。

いつまでも出世に執着するな。

いつまでも名誉に執着するな。

いつまでも己がプライドに執着するな。

他からよく見られたいという心に執着するなかれ。

 

そのような心は、

すべて貪りの心である。

他の人によく見られたいという心、

尊敬されたいと思う心も、貪りの心である。

 

他の人にあこがれられたいと思う心も、貪りの心である。

有名になりたいと思う心も、貪りの心である。

自らの権力を振るいたいと思うことも、貪りの心である。

(仏法真理)

 

---owari---


 

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