今日は日下公人著書「新しい日本人が日本と世界を変える」より転載します。
今回は、「『新しい日本人』の台頭が始まる」というシリーズでお伝えします。
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「新しい日本人」による「新しい日本」の時代がやってくる――。
私は近年、こう語ってきた。そして、それは加速を始めている。その動きと影響は日本国内にとどまらず、世界を変えはじめている。国内のマスメディアは従来発想のままなので、そうした変化についてはほとんど報道できていない。彼らが伝えることは、世界の激動を受けて「日本の前途は多難だ」という不安をあおる視点のものばかりである。
私は日本の前途を、ただ楽観しているわけではない。だが、マスメディアが伝えるような不安に日本人が囚われる必要はない。たとえ困難があろうとも、日本にはそれを乗り越えていける力がある。「新しい日本人」はそれに覚醒し、自らの進むべき道は自ら決すると覚悟し、努力する人たちである。
これに対する人たちは、依然として日本には力がないと思い込んでいる。戦後の日本は敗戦国として、戦勝国のつくった秩序、ルールの中に忍従してきた。「従わないと孤立するぞ」と言われると、慌ててそれに対応し、そして必死に追いつき、寄り添おうとしてきた。
「国際的な孤立はよくない」と思い込み、国際親善に失敗すれば、たちまち国際的に孤立し、孤立すれば周辺国にいじめられ、いじめに反発すれば直ちに国際紛争に発展し、「平和憲法」によって武力を持たない日本はそれに耐えられない。だから国際親善を第一として周囲との摩擦回避に努め、相手の要求はのむことにする。譲歩こそが日本の生きる道――となった。
それでも日本人は生来の勤勉さと創意工夫で、国を大きく成長させた。しかし、経済大国になったことで「お金で済むことなら」という摩擦回避の姿勢が他国をさらに増長させ、日本の意向は無視してもかまわないと思わせる結果を招いた。
たしかに孤立は辛いし、摩擦も緊張を強いられる。だが、孤立や摩擦よりももっと苦しいこと、みじめなことがあることを戦後の日本人は忘れてしまった。
それは服従や隷属(れいぞく)である。
いじめられたり、無視されたり、からかわれたり、“貢献”を強要されたり、内政に干渉されたりということを戦後の日本人はどれほど経験してきたか。国際親善を求めるのはよい。しかし、そのためにも、時々程よい距離をとるという外交技術があることを知らねばならない。
「新しい日本人」とは、こうした戦後日本の姿が歪(いびつ)なものであると気づき、自らのルール、秩序を打ち立てて世界にそれを示していこうとする人たちである。
ところが、こうした日本人に対して、「危険だ」とレッテルを貼り、不安をあおっている人たちがいる。朝日新聞や毎日新聞、NHKなどのマスメディアで、彼らは相変わらず自分たちが日本の世論をつくっていると自惚(うぬぼ)れている。
だが実際には、国際社会も身近な世間も知らない「学校秀才」にすぎない。彼らは日本が力を持つことを危険視し、いつまでも日本を無力なままにしておこう、他国の意向に寄り添いつづける国にしておこうと、まなじりを決しているのです。
---owari---
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