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優位戦の発想をもって日本が一丸となるべし

2019年07月16日 | 政治・経済
日本は動じないことである。そして国家意志を明確にしなければならない。中国は今後も資金力を武器に、なりふりかまわず各国の支持拡大を狙ってくるだろう。そのとき国際世論をいかに味方につけるか。優位戦の発想をもって日本が一丸となることである。とくに安倍氏を支える閣僚や自民党員はその意識を持つ必要がある。

その点から見ると、現状はその心構えが足りないと言わざるを得ない。たとえば平成28年10月初めの衆議院予算委員会での審議は、外交・安全保障から社会保障まで、安倍首相が担当閣僚に代わって答弁する姿が目立った。それも担当閣僚の答弁が心許(こころもと)ないために安倍首相が引き取るかたちになっていたのは、閣僚は安倍首相に担務(たんむ)を丸投げしているのかといいたくなる。

平成28年10月3日の北方領土に関する日露交渉をめぐる議論では、岸田文雄外相の北方四島についての発言が二転三転、首相が「四島の帰属問題を解決して平和条約を締結する」と引き取った。

また稲田朋美防衛相も尖閣諸島(沖縄県石垣市)や在日米軍をめぐる過去の発言との整合性を問われ「質問通告がないので」などと歯切れが悪かった。首相が「どちらも重要だという稲田氏の考えは変わっていない」と助け舟を出して事なきを得たが、“ポスト安倍”との力の差が歴然だった。

『産経新聞』はこの状況を<「安倍一強」といえば聞こえはいいものの、ポスト安倍をめぐる自民党の人材難の裏返しともいえそうだ>(平成28年10月5日付)と苦言を呈したが、安倍氏を一騎駆けさせて“見殺し”にした第一次政権の轍(てつ)を踏まねばいいがと思う。

いまの自民党は国政選挙四連勝に気が緩(ゆる)んではいないか。安倍首相を第一次政権のときと同じく、武蔵坊弁慶のいない義経(よしつね)にしてはいけない。

安倍氏が首相に就任したとき、「弁慶がいない。困ったなあ」と嘆息(たんそく)したのは初代内閣安全保障室長の佐々淳行(さっさあつゆき)氏だった。弁慶は義経が没落しても忠実に随行(ずいこう)し、安宅(あたか)の関(せき)の危機を免れさせ、のちに衣川(ころもがわ)の戦いで討ち死にしている。

当時の自民党は、弁慶がいなくて、マスコミに袋叩きにされる安倍氏をみなで見殺しにした。日本国民もそれを見物していた。

第一次安倍政権が倒れたあと、戦後体制からの脱却の意味がわからない、あるいはそれを認めたくないマスコミと国民は、安倍首相を喪(うしな)ったことに大きな痛手を感じるのです。それはまさに、3年余りの民主党政権の混乱となって現れた。

---owari---
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