自然は時として私たちを喜ばせたり、驚かせたりします。遠めに蝶々に見えた葉っぱも近づくとひょうきんな愛嬌ものに変わります。果たして何に見えるかあなたの想像にお任せします。明日は木に宿る不思議な動物を紹介しましょう。(昨日の葉っぱとは別物です。ごめんなさい。)
自然の妙は、葉っぱ一枚にとっても同じものがないということです。同じように見えてもどこか違っています。人間もそうですね。一人ひとり違うことが楽しいことでもあります。集団で行動することはあまり好きではありません。一枚の葉っぱを見つけました。蝶々に見えました。遠くから撮った写真です。明日はもっと近づきましょう。
各地にバラで有名なお寺もあるがお寺とバラはあまりマッチングがよくない。その点紫陽花とお寺は相性がいい。山道を歩いていると青い紫陽花に出会った。紫陽花が「撮って。」と話してきた。
遠くの紫陽花をカメラに収めた。
遠くの紫陽花をカメラに収めた。
最近はアメリカンチェリーが流行っているが。さくらんぼは山形が美味しい。そうは言ってもそんなに食べられない。さくらんぼは写真の被写体にも向いている。なんかあるだけで絵になる。こんなことを書いているうちに食べたくなった。アメリカンチェリーでもいいからほしくなってきた。この写真は普通の桜。美味しそうに見えるがある人がまずいと言った。明日明後日とお休みします。
水辺のアルバムも底をついてきました。少し目を移して緑のアルバムを続けたいと思います。もうこの季節は緑の世界が華やかに展開しています。冬に葉を落とし、身を守った木々がうっそうとした緑の世界に変わるのはあっという間のできごとです。季節の移ろいに人生の縮図を思うこともあります。迷いつつ生きてきた人生を思いながら、今をどう生きるかが大切なことだと思いました。
この写真を良く見ると水澄まし?が写っている。昔はどこにもある風景であったが、今は珍しい光景になった。不思議な気持ちで見とれてしまった。水の上をすいすいと滑るさまはなかなかのものだ。どうして水に浮くことが出来るのか?考えても答えが出ない。それにしてもなかなか雨が降らない庭の花が絞れて行く。
今年は空梅雨かも。なかなか雨が降らない。降ってもすぐ上がる。まだそんなに暑くないのでしのげるが、このまま夏になっても雨が降らなければ深刻だ。渇きは心の渇きになって表れる。せめて水辺の写真でも見て潤ってもらいたい。明日あさってお休みをいただきます。
ある年、長いこと雨が降らなかった。そのとき心の渇きを覚えました。ほとんど雨が降らないアフリカの人が日本に来てうれしそうに一日中雨を眺めていたそうです。水辺は心の渇きを潤おしてくれます。晴れの日より雨の日が好きな人もいることでしょう。長い一日が終わろうとしています。明日はお休みをいただきます。ご入場ありがとうございました。