アイルランドを破った日本のラクビー。日本でワールドカップが行われているだけでなく神戸は、試合会場になっている。そこからこの話が始まる。実は、私は神戸のどこであるか知らなかった。つい先日駅のポスターで知った。私の住まいから写した写真が神戸のワールドカップの会場。身近な場所で行われる。今日も試合がありそう。急にラクビーフアンになる訳もない。静かにいつもの通り過ごしたい・・・。
六甲連山の摩耶山に出かけた。阪急駅から山あいの住宅地の急斜面をあえぎあえぎ登ると登山口に到着。好くもこんな坂道が作られたものだと感心した。登山口から後は登山者を苦しめる階段の連続。八号目付近で弁当をいただいた。食事が終わって付近を散策。そこで今日の彼岸花に出会った。初物の花。心が爽やかになった‼️
山陽電車「人丸駅」で下車。明石天文台から博物館を経て明石城まで歩いた。人丸駅は、明石の一つ手前。まだ、夏の名残が消えてないが夕方になれば心地よい。玉子焼きは食べる機会がなかったが思い出に残る小トリップになった。
話が三田に戻るが三田城の最後の藩主、九鬼孝義は先進性に富んだ人物で、教育に力を注ぎ人材育成に努めた。今日の写真が旧九鬼家住宅。明治9年頃に建てられた擬洋風建築。一階が和風、二階が洋風。ツーバイ法の建物の走りとも言われ全国でも珍しい建物。一見の価値があり。ゆっくり再訪したい三田の旅でした・・・。
白洲次郎は、明治35年に今の芦屋で生まれた。27歳の時、アメリカ帰りの樺山正子と巡り合い結婚。戦後吉田茂の懐刀として占領軍との折衝に当たる。今の憲法の設定にも関わった。正子は、能や骨董に造詣が深く文筆家としても知られている。二人のお墓は、五輪塔として建立。正子がその制作にあたった。三田市の心月院に眠っている。
前回、三田へ行った。駅周辺をうろうろ。結局、広島風お好みを食べただけ。今回は、違っていた。三田の歴史の懐へ旅に出た。三田は、神戸より神戸電鉄に揺られて約一時間。三田ロールくらいしか知らない私にとって三田の奥深さを知らされる旅となった。(続く)