人の評価は死ぬまで定まらない。死ぬまで人は分からない。
小泉純一郎さんと、細川護熙さんの、元首相を比較してみる。
首相時代の実績は、小泉さんに軍配だろう。
郵政解散とか、メッセージ性と、リーダーシップがあった。
しかし。
引退した今は、どうだろう。
小泉純一郎さんは、半原発で顔を出したことはあったけど、何をやっているかしらない。たまにFacebookで見城徹社長あたりとお酒飲んでいるのが出るくらい。
細川護熙さんは、ろくろを回している。陶芸家として活躍している。
その芸術的な評価は知りませんが、単なる趣味の域を超えて、「文化の発展」に貢献するくらいの気概を持っていそう。想像ですが。
そうだとしたら、今のお二人の姿は、細川護熙さんに軍配が上がる。
人生とは、文化文明の発展のために寄与するためのもの。
そのために、自分というリソースを使い切る。それが人生。
って考えると、政界引退後、何もしていないような小泉純一郎さんの、「人生哲学」って何なんだろうな、と思えてくる。
郵政解散とか、自民党をぶっ潰す!のが目的だったんですかね。
もっと崇高な目的のための「手段」ではなかったのでしょうか。
小泉純一郎さんの今の姿から、人生を貫く、崇高への憧れというか、挑戦心というか、向上心が見えてこない。
一方、細川護熙さんからは、よく解釈すれば、見えてくる。ろくろを回しているだけではなく、陶芸の「道」を気高く歩み、過去の偉人/陶芸家と、勝負をして、文化の発展に貢献せんとする向上心を読み取ることができる。
知らんけど。
(単なる趣味に没頭しているだけかもしれないけど)
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以上、小泉純一郎さんと細川護熙さんをネタに、「人生の目的は?」「人間の最終的な評価は?」を考察してみました。
蓋棺事定。棺を蓋(おお)ひて事定まる。
※ 松井秀喜とイチローと中田英寿については別稿で。