お弁当
51年間
かかさないで
創ってきました
若い時は
朝眠いので
起きて
家族の健康は
私のつくる
かかってぃることは
充分
わかっているので
頑張りました
母は
学校教育者を
さらに
老人大学や
いろんな県や
健康などの
指導に
特に
1日30品目という
いろんな色の
食材を
提唱して
講義を行なっていました
今ならともかく
ちょっとたいへんでした
学校にいても
皆で聞きましょうと
NHK
始まります
聞き慣れた
声が
押し寄せてくる
かんじでした
それでも
茶道
のべ3000人の
お弟子さんがおられました
私のでるまくは
ありません
おとなしく
日常を過ごしていました
私も
結婚して
母の
耳学習が出てくるのです
いやいや
聞いてはいたものの
実践とともに
実感致しました
この
ダイコンは
言っていた
母は
父が病気の時に
どうしても
父に必要だからと
バスに乗って
1000円のダイコンだったのです
タンを
きるために
いいみたいです
父は
ゲ‐ゲ言いながら
毎日
飲んだりさせられていました
あの意味が
わかります
子供たちが
朝ご飯を
出かけますと
どんぶり鉢に
全部入れて
追いついて
道で食べるのです
夫は頭がいいので
そんな格好の悪いこと
わかっているので
全部
残さず食べて
出ます
身体は
ぉ口から入る
作るのですね
その頃は
知りませんでした
で
やっと
お弁当ですね !
毎日毎日毎日毎日毎日
5個
雨が降っても
風がふいても
およそ
30年間作り続けました
母が
短大を卒業した頃の
『伊賀上野の丸の内に出て
仕出し弁当屋の商売をするきはない?』
と
聞いたことがありました
当時はまだ
あまりなかったです
私は
結婚致しました
けど
どちらの人生を
弁当に行きついたのです !
今でも
作っています
勝手に手が動きます
人に
何て素敵なことでしょう !
ありがとう於良