【 茂岡に 神 ( かむ ) さび立ちて 栄えたる 千代松 ( ちよまつ ) の木の 年の知らなく 】
紀鹿人 ( きのかひと )
この
鳥見山の茂岡に
神々しいほど古く
お立ちになられています
千年を待つという
どれほどの年月を
ここで
なってこられたのでしょうね
多武峰の歌
17首目です
万葉集巻第9・1704の歌に対して
舎人皇子さまが返し
贈られました万葉集巻第9・1706
藤原鎌足さまの歌
笠女郎さまが
贈られました恋の歌
長皇子さまが
柿本人麻呂さまが歌われました
多武峰の小倉山の歌
桜井市【針道】の歌
そして
天の香久山が歌われています歌
桜井市
旋頭歌(せどうか)の
磐余と泊瀬山の名が
磐余の山の歌
万葉集巻第3・416
談山神社の鎮まられます
多武峰(御破裂山)の歌を
続けて17首
お勉強致しました
茂岡とは
という意味もあるのでしょうか
お山には
何年も
生きておられたのでしょうね
松は
待.つ.の
意味もあるのでしょうか
奈良時代には
大伴氏の
跡見 ( とみ ) の田庄 ( なりどころ ) といわれます
荘園があって
別宅が
あったそうです
等弥神社さまが
鳥見山で
跡見
登見などとも書かれるそうです
この
お山の中で
神武天皇さまは
霊畤 ( まつりのにわ ) を
なさって
秋の
みのりを
皇祖さまに捧げられて
御即位のお祭りを行われたそうです
これが
11月23日の
新嘗祭のことで
一代に
一度 の
大嘗祭 ( だいじょうさい ) の
はじまりで
等弥神社さまの入口に
保田與重郎さまの
申大孝と
刻まれます石碑は
そのことをお示しになられているそうです
今日は
発想がかわって
今までかかえていた
なやみ
前進することを
かべ
長い間