こんにちは! ただち恵子です

政治と社会、日々の暮らしの小さな喜び。思いつくままに綴ります。

「少しの支えで その人らしく」・・・91歳の母が暮らす場所

2014-02-13 23:57:50 | 父・母のこと
昨日と今日、横浜で開催された自治体問題研究所主催の「第25回市町村議員研修会」に参加しました。

今日の講義が終わったのは3時前。

新横浜から新幹線で帰るまでの時間、横浜市内に母が暮らす小さな高齢者の共同住宅を訪ねました。

「せっかく横浜まで来たのだから母の顔を見て帰りたい」ということもありますが、一緒に研修会に参加した森下議員と一緒に施設長さんのお話を聞かせていただくことが目的でした。

泉大津市内でも様々な形態の高齢者の専用住宅が増えているものの、「これでいいのだろうか?」と疑問に思うことも少なくありません。

森下議員はさすがに一歩踏み入れたとたんに、「暮らしの匂いがある暖かさ」を感じてくれたようで、その印象をブログに書いてくれていました。



↑ 写真も森下議員のブログからいただきました。

開設から15年。ちょうど介護保険スタートの年だったということ。
でも、介護保険とは全く関わらず「高齢者共同住宅」として建てられました。

今は有料老人ホームとしての指定を受け、ケアステーションとし訪問介護、ディサービス(別の場所で)もやっています。
事業の内容は変わっても「できるだけ自由に、その人らしい暮らし方を支える」と言う考え方は一貫しています。

施設長さん自身が御両親の介護をする中で「自分で納得できるような施設がなければ作るしかない」と思われたそうです。
認知症の高齢者だけを対象にしたグループホームなら市の補助金制度があることを知っても「元気な人も、少し心細くなった人も、そして認知症の方もいろんな人が一緒にいるのが、普通の暮らし」と考えたとおっしゃいます。

母は第1号の入居者でしたがしばらくは「入居者よりスタッフの方が多い」時期が続いたとか。今は、10室が満室。

小さな事務室に続いた食堂は、入居者の皆さんの団欒の場でもあります。
手仕事が好きな母は、いつも編み物をしていますが週に一度は「編み物サークル」の場にもなり、そして一年に一度、手作りの作品を持ち寄ったバザーで地域の方々に来ていただきます。

母が家での一人暮らしに不安を感じるようになったときに、ちょうどこの場所ができました。
老人福祉法に掲げられた理念が、そのまま生きて形になったような場所。

老人福祉法 第二条  老人は、多年にわたり社会の進展に寄与してきた者として、かつ、豊富な知識と経験を有する者として敬愛されるとともに、生きがいを持てる健全で安らかな生活を保障されるものとする。

母が暮らす「無憂樹」のHPを見つけました。



「年を重ねてきた人々が共に、なるべく自由に暮らせる場」「介護、医療、福祉・・・それらは必要な時、手の届くところにある暮らし」
これを“あたりまえ”と考える施設長さんは、その実現のために介護保険法も老人福祉法も「使えるものは使う」という立場なのだと思います。

研修会で勉強してきたことについては、もう一度資料を読み返し後日書くこととします。
それにしても明日も朝から会議、一般質問の締め切りも迫り、明日の夜は議会基本条例の説明会。そして明後日の朝までに後援会ニュース作成・・・なかなか大変です。







コメント (2)
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