何度タイに行ったのか、正確には覚えていない。
6年前にフィリピンから引き揚げるまでのタイは、私にとって、言わばライバル国だった。
バンコクやビーチリゾートの歓楽街は世界中の男性から絶大な支持を得て確固たる地位を築いていると言うのに、我が第二の祖国フィリピンは、金看板の「エルミタ通り」が国の政策で浄化されその方面のパワーが大きく削がれていた。
フィリピンにはもう一方の横綱である「アンヘルス」が残るのみとなって、自分は全くの部外者なのにとても寂しく思ったものだった。
余談だが、フィリピンであれタイであれ、殿方が目指した「性地」は総てベトナム戦争の遺物であり、歴史的には悲しい場所なのだが、今となっては触れても仕方の無い過去であり、現実は、それで生活する人が存在し、タイの国の仕組みに厳然と組み込まれた当たり前の日常なのだ。
その当時の自分の仕事は、ダイビングのガイドだった。
海を案内しつつ、夜の街も案内する、その道の好きな殿方には重宝なガイドであったと自負していたが、ダイビングサービスは常に閑古鳥が啼いていたので一般受けする方向ではなかったのだろう。
そんなフィリピン馬鹿の自分ではあったが、年に一度か二度はタイに行っていた。
ダイビングの素材としての海の実力はフィリピンは一級であると確信していて、タイには逆立ちしても負けないと自分は思って居たのだが、もしかして、との思いから彼方此方と歩いてみたのだった。
もうダイビング屋を止めて6年も経つのだから本当は何も言えないのだが、当時の思いを正直に言えば、タイの海に見るべき物は少なかった。
私は所謂バックパッカースタイルの旅はした事が無いが、その匂いは好きで、カオサン通りには良く足を運んだ。
当時タイは貧乏旅行者のハブであり、沈殿場所でもあった。
バックパッカーはタイをハブにして、多くの者はインド方面を目指していた。
インドを目指すものがウォーミングアップをしつつ情報を集め、インドから戻った者は、日本に戻る為にクルーダウンをしていたのだろうと思う。
今年の5月に久し振りにカオサン通りに足を運んでみたが、20年前とは雰囲気が変わり、随分健全な街になったなと思った。
しかし、これが時代の趨勢なのだろうと思うとともに、薄味になったカオサンに少し寂しさを覚えた。
しかし、飯時になり適当な屋台を見つけてプラスティックの椅子に腰掛ければ、何時もと変わらない美味い飯があって、自分の感傷とは別次元のタイの時を感じるのだった。
タイの屋台飯は美味いし、旨いし、甘いのだ
屋台は大概女性が切り盛りしている 男女比率は8対2?
タイ人の家には鍋釜は無く外食が基本だそうだ
この手の屋台村が彼方此方に有り朝までやっている店もある
赤豚肉のラーメン 40バーツ(円安で125円か?)
アヒル肉のラーメン 40バーツ スープは同じ
イカ塩醤油 イカの風味に濃い塩味 魚醤と違い生臭く無い
アヒルや豚肉に興味は無く 撮ったのは美人の娘
タイ人は自宅に竃を持たないので毎食、買い食いになる。
屋台で食べるときも有るし、屋台で買って自宅で食べる事も有るだろうし、道端のベンチで食べる事もある。
食べると言う事にとても自由な感覚をもっているのだと思う。
タイ飯は何を食べても美味い。
時に、相当グロテスクな魚や虫類が売られているが、勢いに乗って口に放り込めば、味は良い。
タイ飯は、日本人の感覚からすれば相当に安い。
かなり豪華に晩飯を食べても300円有ればお釣りが来る。(食べる量にも因るか?)
それでも、20年前から比べれば随分高くなったなとは思うのだが、タイの国の物価の上昇を考えれば、食べ物は未だに安く押さえられていると思う。
タイの屋台は大概女性が切り盛りしている。
親子、母娘の組み合わせが多いように思う。
男性がやっている屋台は移動式で、リヤカーを引いたりバイクに側車を付け得意先を回って歩くのが多いようだ。
こちらの食べ物は持ち帰りの弁当形式で、場所が固定で椅子とテーブルを提供する屋台よりも一段と安い。
食べ物が自由だと精神的にも自由になる。
この考えはどうだろうか?
私などは大正生まれの父に躾けられたので貧乏人の倅なのにそこそこの礼儀作法を仕込まれた。
だから食卓での礼儀作法も最低限度の事は無意識のうちに守ってしまっていると自分では思う。
しかし、食事の作法が堅苦しいと言う事にどんな意味が有るのかと考えると、それは、自由な発想とは逆向きの意識だろうと思うのだ。
これ程社会からはみ出した生き方をしている自分の中に、いつも一歩踏み外せない常識の枠があるのは、多分、子供の頃の躾の性だろうと思うのだ。
だから、タイの屋台で飯を食うのに抵抗は無くても、昔のカオサン通りの雰囲気の中に沈殿する事は出来なかったのだと思う。
タイと日本を比べれば、物価は日本の方が馬鹿高いと思いがちだが、そうでも無い。
物の質を問い、尚かつ、収入との相対的な物価となれば、間違い無く日本の方が安いと思う。
タイの屋台のラーメンが120円で安いと思えるのは日本人の収入の後ろ盾からの発想であり、タイ人の感覚では無い。
しかし、殆どポケットの有り金全部を吐き出した形で食べているタイ人を見ると、とても楽しそうで、残金が乏しい事など頭の隅にも無いようだった。
自分だったらどうだろうか?
これが最後の500円玉か、と思いつつコンビニ弁当を食べたとしたら笑って食べられるだろうか。
明日は明日の風が吹くさと言えるのは、熱帯の風が吹く国だからと思うのだが、しかし、あの感覚、責任の欠片も持たない無職の身になっても尚、未だなれないのは、心底自分は日本人なのだなと思うのだ。
6年前にフィリピンから引き揚げるまでのタイは、私にとって、言わばライバル国だった。
バンコクやビーチリゾートの歓楽街は世界中の男性から絶大な支持を得て確固たる地位を築いていると言うのに、我が第二の祖国フィリピンは、金看板の「エルミタ通り」が国の政策で浄化されその方面のパワーが大きく削がれていた。
フィリピンにはもう一方の横綱である「アンヘルス」が残るのみとなって、自分は全くの部外者なのにとても寂しく思ったものだった。
余談だが、フィリピンであれタイであれ、殿方が目指した「性地」は総てベトナム戦争の遺物であり、歴史的には悲しい場所なのだが、今となっては触れても仕方の無い過去であり、現実は、それで生活する人が存在し、タイの国の仕組みに厳然と組み込まれた当たり前の日常なのだ。
その当時の自分の仕事は、ダイビングのガイドだった。
海を案内しつつ、夜の街も案内する、その道の好きな殿方には重宝なガイドであったと自負していたが、ダイビングサービスは常に閑古鳥が啼いていたので一般受けする方向ではなかったのだろう。
そんなフィリピン馬鹿の自分ではあったが、年に一度か二度はタイに行っていた。
ダイビングの素材としての海の実力はフィリピンは一級であると確信していて、タイには逆立ちしても負けないと自分は思って居たのだが、もしかして、との思いから彼方此方と歩いてみたのだった。
もうダイビング屋を止めて6年も経つのだから本当は何も言えないのだが、当時の思いを正直に言えば、タイの海に見るべき物は少なかった。
私は所謂バックパッカースタイルの旅はした事が無いが、その匂いは好きで、カオサン通りには良く足を運んだ。
当時タイは貧乏旅行者のハブであり、沈殿場所でもあった。
バックパッカーはタイをハブにして、多くの者はインド方面を目指していた。
インドを目指すものがウォーミングアップをしつつ情報を集め、インドから戻った者は、日本に戻る為にクルーダウンをしていたのだろうと思う。
今年の5月に久し振りにカオサン通りに足を運んでみたが、20年前とは雰囲気が変わり、随分健全な街になったなと思った。
しかし、これが時代の趨勢なのだろうと思うとともに、薄味になったカオサンに少し寂しさを覚えた。
しかし、飯時になり適当な屋台を見つけてプラスティックの椅子に腰掛ければ、何時もと変わらない美味い飯があって、自分の感傷とは別次元のタイの時を感じるのだった。
タイの屋台飯は美味いし、旨いし、甘いのだ
屋台は大概女性が切り盛りしている 男女比率は8対2?
タイ人の家には鍋釜は無く外食が基本だそうだ
この手の屋台村が彼方此方に有り朝までやっている店もある
赤豚肉のラーメン 40バーツ(円安で125円か?)
アヒル肉のラーメン 40バーツ スープは同じ
イカ塩醤油 イカの風味に濃い塩味 魚醤と違い生臭く無い
アヒルや豚肉に興味は無く 撮ったのは美人の娘
タイ人は自宅に竃を持たないので毎食、買い食いになる。
屋台で食べるときも有るし、屋台で買って自宅で食べる事も有るだろうし、道端のベンチで食べる事もある。
食べると言う事にとても自由な感覚をもっているのだと思う。
タイ飯は何を食べても美味い。
時に、相当グロテスクな魚や虫類が売られているが、勢いに乗って口に放り込めば、味は良い。
タイ飯は、日本人の感覚からすれば相当に安い。
かなり豪華に晩飯を食べても300円有ればお釣りが来る。(食べる量にも因るか?)
それでも、20年前から比べれば随分高くなったなとは思うのだが、タイの国の物価の上昇を考えれば、食べ物は未だに安く押さえられていると思う。
タイの屋台は大概女性が切り盛りしている。
親子、母娘の組み合わせが多いように思う。
男性がやっている屋台は移動式で、リヤカーを引いたりバイクに側車を付け得意先を回って歩くのが多いようだ。
こちらの食べ物は持ち帰りの弁当形式で、場所が固定で椅子とテーブルを提供する屋台よりも一段と安い。
食べ物が自由だと精神的にも自由になる。
この考えはどうだろうか?
私などは大正生まれの父に躾けられたので貧乏人の倅なのにそこそこの礼儀作法を仕込まれた。
だから食卓での礼儀作法も最低限度の事は無意識のうちに守ってしまっていると自分では思う。
しかし、食事の作法が堅苦しいと言う事にどんな意味が有るのかと考えると、それは、自由な発想とは逆向きの意識だろうと思うのだ。
これ程社会からはみ出した生き方をしている自分の中に、いつも一歩踏み外せない常識の枠があるのは、多分、子供の頃の躾の性だろうと思うのだ。
だから、タイの屋台で飯を食うのに抵抗は無くても、昔のカオサン通りの雰囲気の中に沈殿する事は出来なかったのだと思う。
タイと日本を比べれば、物価は日本の方が馬鹿高いと思いがちだが、そうでも無い。
物の質を問い、尚かつ、収入との相対的な物価となれば、間違い無く日本の方が安いと思う。
タイの屋台のラーメンが120円で安いと思えるのは日本人の収入の後ろ盾からの発想であり、タイ人の感覚では無い。
しかし、殆どポケットの有り金全部を吐き出した形で食べているタイ人を見ると、とても楽しそうで、残金が乏しい事など頭の隅にも無いようだった。
自分だったらどうだろうか?
これが最後の500円玉か、と思いつつコンビニ弁当を食べたとしたら笑って食べられるだろうか。
明日は明日の風が吹くさと言えるのは、熱帯の風が吹く国だからと思うのだが、しかし、あの感覚、責任の欠片も持たない無職の身になっても尚、未だなれないのは、心底自分は日本人なのだなと思うのだ。