じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

南風のたより 雑談

2020-03-01 19:29:32 | 南風の便り

道路工事

ここしばらくドゥマゲッティーからシアトンの近くまで日本のODAによる道路の鋪装工事が続いていた。
日本人の技術者も見かけたが、鋪装はほぼ終わって今は側溝の工事をしていた。
道は本当に走り易くなって軽トラの振動が半減した。
この工事、風の噂では光ファイバーのケーブルが埋め込まれると言うのだが、真偽の程は定かでは無い。

フィリピンの道路工事は人力による所が多い。
多いというよりもほとんど全部人力と言っても良いのである。
例えば側溝の工事は小型のバックホーで掘ってU字構を埋めるような方法はとらない。
たぶん、重機のレンタル料よりも人夫の日当の方が安いからだと思うのだが、すべては人力なのだ。
いや、小型のダンプさえなくて砂も砂利もトラックからスコップで下すのだから大変だ。
穴を掘っていて石に当たったら鉄の棒・・・いわゆるバールの尖った方で叩き崩して行くのだった。

スコップ一丁で溝を掘ったら溝に型枠を組みナマコンを流し込む。
また、ナマコンはミキサー車がどっと運んで来るのでは無く、現場でエンジン式の小型ミキサーで作るのだ。
しつこく説明すれば、砂を震うのも人力である。
あっ、ハイウェイ(普通の国道)だと転圧だけはローラー車がやっていたかも知れない。

出来上がった道路にはセンターラインが引かれるが、流石にこれは手書きでは無くなった。
かと言って日本のように機材を積んだトラックが自動で引く物では無い。
日本では駐車場の線引きなどで見かける、人力で移動させる簡易型の機械で線を引く。

これでもすごく進化したのである。
実は春先に見た線引きは全てが手書きだったのだ。
長方形の木型を道路に置きその上から刷毛でペンキを塗っていたのだった。
焼けるような南国の炎天下にこれを延々とくり返して行くのである。  


豚の串焼きを食べへに行った

下の写真は街中の大衆食堂のくし焼き屋の写真だ。
焼かれているのは1本5ペソのブタ肉のくし焼き「トシーノ」である。
もうもうと上がる煙りは甘ったるく絡み付くような感じで店に充満している。

タレをつけて焼くトシーノは軽く焦げて香ばしく、ほのかに甘くて美味いのだ。
串焼きは一本12円ほどで庶民でもなんとか食べられる価格なので夕飯どきにはとても混む。





この日ダイビングのお客さん6人と街の串焼き屋で食事をした。
炉の前では楽しそうな、本当に何が可笑しいのかと思う程良く笑う彼女達が、くし刺しの肉を焼いている。

鳥もも肉のチキンバーベ-キューを10本とトシーノを20本位と手作りソーセージのチョリソ-を5~6本にビールを15本飲んで料金はシメて2000円ほどだった。

串焼きで一番美味いのは「アタイ」という鶏のレバーだと思うのだが、この店には無かった。
アタイを大げさに前宣伝をして案内した手前後には引けないので翌日少し高級な地元民が美味いというレストランに出向いた。
そしてその評価は・・・鳥料理屋の娘さんが絶品だと唸ったので間違い無いと思う。

どうですか、トシーノとアタイを食べにこの街を訪ねてみませんか。
あっ・・・ハロハロも美味い店があります。

    ・・・ではまた・・・

        では また

(2003年 9月27日 書きました)

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南風の便り アメリカ人のダン

2020-02-28 10:04:07 | 南風の便り
機材満載の軽トラ

アメリカ人のダン

8月某日、アポ島で昼飯を食べていると若い白人の男性が近付いて来てた。
彼は流暢なビサヤ語で私に話し掛けた。
白人コンプレックスを持つ私は英語で話しかけられる事に対して身構えていたので少し拍子抜けした。

と、文字にすると劇画調なのだが実際は、唐突に大声でダイビングの料金を聞いて来たのだった。
流暢なビサヤ語でまくしたてた内容は、フルレンタルのランチ付き2ダイブで1000Pにしろと言うずうずうしい話だった。
しかも、マラタパイから便乗してきたので帰り足が無くドゥマゲッティーまで乗せて行けと言うし。

私は、タンク代とボート代を考えても2500Pが相場だ言ったのだが、彼は1ダイブ10ドルが相場だと言い張った。
そんなダイビングサービスがあるのならそこへ行けと私も強気に出たが、彼のしょんぼりした顔を見てつい、「しょうがねぇーなぁー」と言ってしまった。
彼に日本語が分かるはずは無いのだが、彼はそれを交渉の余地ありの言葉だと思ったらしく、1500Pでどうかと、言葉を和らげて下手に出てきた。

どうせ明日も一人客を乗せてアポに来るので1000Pでも良かったのだが噂が強いので1500で話を決めた。

ダンはセブに住むアメリカ人で、もう7年もこちらで仕事をしているとのことだった。
それにしてもビサヤ語は上手だった。
ビサヤ語も英語も半端な私をからかって彼は、ビサヤ語と英語を教えるからダイビングをタダにしろと言った。
アメリカ人から英語を習うのは魅力的だったので突っ込んで話をすると、セブに来てくれたらなで誤魔化されてしまった。
私はくやしかったのでその後のブリーフィングは日本語で通してやった。

翌日は日本人客をノノイに任せ、ダンは自分がガイドをしたのだが、何が気に入ったのかとても楽しかったと言ってくれた。
握手をしながらまた来るぞと言っ彼に、1500ペソならお断りだと言って見送った。


 オカイ・オカイ(Ukai-ukai)

ドゥマゲッティーのとなり街のバーコンでフェスタがあった。
日本で言えば村まつりに当るものだろうと思う。
村祭りには出店がたくさん出る。
店の種類は様々で、アイスクリーム屋、ホットケーキ屋、日本のガマの油売りのような怪し気な薬を売るじいさんやら、おもちゃ屋、履物、鞄、野菜、果物、ブタ、鳥・・・・とにかく手持ちの物を売ろうとする人々が軒を並べる。

フェスタの物売りで一番場所を取っているのは古着屋だ。
古着や古靴などをテントを張った店で売っている。
このような店をオカイ・オカイという。
冷やかしで覗いて歩くと、男女を問わず、下着から豚革のジャンパー、穴の開いたジーンズにフリースのシャツ等、自分はボロ布に見える下着まで売られていた。

ほとんどが海外から送られた中古品である。
日中の気温が30度を超す南国で革のコートや綿入りのジャンパーや日本でも冬用の衣類がたくさん並んでいた。
そして、それを買う人がいるのに驚いた。

ひとりの男がフリースのプルオーバーを買った。
250ペソはけして安い買い物ではないが、男はそでを通して満足そうな笑みを浮かべていた。
彼はフリースを着たままフルフェイスのヘルメットをかぶりバイクに乗って立ち去った。
彼の足元は編み上げのワークブーツで固められていた。
日中の炎天下で気温は33度位・・・感覚の違いに驚かされた。


 高校生・リトル

近所の高校でMr&Miss.ナンバーワンを決めるコンテストが開かれていると聞いて見に行った。
うちのサービスで時々ガイドをしてもらっているロイの娘のリトルが出ると言うので見に行ったのだ。
このコンテストはペアで出場して歌やダンスを競うのだが、流石に東洋のラテンと言われるフィリピンの高校生でそのノリは素晴らしかった。

歌の部では、目をつむって聞いているとマライアキャリーやセリーヌディオンがぞろぞろと出て来るのだ・・・なぜか女性の声ばかりが聞こえていた。



ダンスも凄かった。
私はダンスなんて全く知らないのだが、見ていて楽しくそして美しかった。
例えばリトルは14才なのだが踊る姿にはもう大人の色気さえあった。
遠いステージを35ミリコンパクトカメラで写したので豆粒だが、リトルのスタイルの良さは分かると思う。

ちなみにリトルはNo.1に輝いたので夜はロイの家で祝賀パーティーでした。


    ・・・ ではまた

          では また

(2003年 9月 書きました)
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南風のたより ブタを焼く

2020-02-27 09:47:54 | 南風の便り
レチョンバヴォイの焼き方 

 ブタはあっと言う間も無く、頸動脈にナイフを入れられ即死しました。
頸動脈から吹き出す血をバケツに集めている所で血はすぐに料理されます。
フィリピン人はこの血を煮て固めたものが大好きで、ペースト状の物を御飯にかけて食べます。


ブタが生き物から食べ物に変わった瞬間でした

ブタをきれいに水洗いします。
水洗いの後熱湯をかけて鉄のヘラでブタの毛をそぎ落とします。
作業としてはこれが一番時間が掛かります。
お湯をかけると肌が薄いピンクから真っ白なろうそくの色に変わって生き物のブタから豚肉に変身します。

水で血や汚れを洗い流します

熱湯をかけて最後の脱毛処理です

ブタの内蔵を取り出す為に肛門の周りを大きくくり抜きます。
腹はナイフではなくカミソリで裂きます。
この処理は大切で、腸を破いてしまうとウ◯コが飛び出して万事休す、です。
なので気合いを入れて慎重に切ります。

尻の穴をくりぬく

内蔵を取り出されたブタの尻の穴から竹ざおを刺して行きます。
この作業も熟練を要する作業で簡単に竹は通らないのです。
死後硬直でブタが丸まって固くり、何度か軌道修正をして男が二人掛かりで仕上げました。

串刺しの風景

ブタは半日かけて焼かれますのでその間に崩れないように針金で形を整えたり釘で固定したりします。
この時の整形がうまく無いと焼き上がった時に台の上の座りが悪く横に寝てしまいます。


ブタが逃げないように釘を打ちます

捨てる部分はウ◯コだけです。
内蔵もすべて料理しますが、痛みやすい内臓から手早く処理して行きます。
日本なら法律で許されない料理ですが、この国ではこの処理ができる男はポイントが高いのです。
向こう側に掘られた穴の前で大腸は処理され、臭いので穴はすぐに埋められます。

手前は腸を洗い、奥ではウ◯コを埋めています

ブタの腹にレモングラス・ブラックビーンズ・ニンニク・タマネギ・塩・スプライトなどの調味料を入れて、全ての穴が縫い合わせて塞がれます。
焼くと滲み出すスプライトの糖分がブタの皮をクリスピーに仕上げます。

縫合手術

下ごしらえに約2時間。
やっと火に掛けられるところまできました。
この後、赤シャツのディトさんは半日も火の前でブタを回し続けるのです・・・彼の本職はペンキ屋です。

やっと火にかけられました

良い色になって来ました。
しかし今回はディトさんが途中で酔っぱらって少し焼き過ぎてしまいました。

一番美味しい後ろ足の前の腹が焦げています

知らない人が8割の誕生パーティー

ブタの丸焼きをメイン料理に近所の人も含めた40人ほどで私の誕生日パーティーを開きました。
習慣に則って食事を始める前にお祈りをしました。
普段は神も仏も、なんじゃいそんなものとうそぶいている私ですが、自分の為にたくさんの人が祈ってくれる姿に感激してこの日の散財の痛みは忘れました。
まあ、すぐに酔っぱらって地が出るのですが、2~3分は神妙にしていました。
日本ではほとんど相手にされる事のない私でも祝福されるフィリピンは、お金さえあれば幸せです。

ドゥマゲッティー・・・この次は貴方の誕生日をここでやりませんか?

   ・・・ではまた
 
      では また

(2003年 8月30日 書きました)
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南風のたより 16

2020-02-26 10:26:16 | 南風の便り
ハリセンボンを膨らませる ノノイ


 アポのサンゴは世界一 ?

 アポのサンゴの素晴らしさを再認識する機会が会りました。
ミクロネシア連邦・ポナペで潜ってすぐにフィリピンへ戻りアポ島で潜りました。
記憶が鮮明なポナペの海と比較して、アポ島のサンゴの種類と生きの良さには我ながら驚きました。

南太平洋のマジュロやマーシャルのサンゴも見事に残っていて、雑誌によっては世界一書いてありましたが、どっこい、フィリピンはネグロスオリエンタル州・アポ島のサンゴも全くひけを取らない、世界一のサンゴの群生ではないかと私は思うのであります。
いや、この際世界一がたくさん有っても良いのです・・・気にせずに。

アポのサンゴはミクロネシア連邦のように大平洋の真ん中、外洋の流れに洗われているオフショアのサンゴとは趣が違います。
あちらが男性的珊瑚礁とすれば、アポ島はずっとずっと女性的で色鮮やかにして艶かしく、そしてキュートです。
そう、まるで陽気なフィリピーナのようです。
そのサンゴやソフトコーラルの周りには、宝石のように輝く小さな魚たちが乱舞しています。
潮の少し早い時等はどの魚も同じ方向に頭を向けて整列し、さながら幼稚園か小学校のようでワイルドな南太平洋では味わえない趣だと思います。

  今頃(8月)のアポ島

アポ島は今ハバガット(南風)の季節です。
アポの表玄関、チャペル前は波が高く船が着けられない日が多くなっていてダイバーの休憩は裏側のコゴンビーチになります。
コゴンビーチは遠浅で、ジャブジャブと歩いて行くと最初はサンゴのかけらの混じった砂ですが、やがてバキバキとエダサンゴを踏みつぶすようになります・・・いや、例えての話ですのでバキバキはしませんよ。
コゴンビーチはすぐ目の前に枝サンゴの群生が広がっているのです。
それもそのはず、潮通しの良いマムサポイントの延長に当る場所ですからサンゴが育っているのも頷けます。

唐突ですが、花見に行って桜の花をまじまじと見た事がありますか?
サンゴも間近でよぉーく観察するととても楽しい「生き物」である事がわかります。
まったく違う種類か?と思うと、生息場所で色が違っただけだったり、同じかなぁ?と思って図鑑で調べるとなんか違うようだなぁーとか。
簡単そうで意外と特定の難しい種類も有ります。

風裏になったコゴンビーチは静かです。
弁当を食べていると犬が寄って来るのはいつもの事ですが、ここでは鶏も寄って来ます。
犬は食べ残しの魚や肉を狙っているのですが、鶏は、御飯とマンゴーの皮を狙っているようです。
ここに居ると静かすぎて海が荒れているとはとても思えず、休憩しているとお客さまに「海、静かになりましたね」と言われます。
しかし、風が無いのも波が無いのもわずかな風裏のこのスペースだけなので帰り道は波に叩かれるのですが。

コゴンビーチは小さな貝殻の多いビーチです。
波打ち際に腰掛けて探すときれいな貝が沢山みつかります・・・休息時に探すと楽しいですよ。

  Tシャツの値段

アポのお土産シスターズも随分豊かになりました・・・何度も同じ書き方するなって?。
10年前には考えられなかったほどに様変わりしています。

犬さえ見栄えが変わって、栄養失調で毛が抜け落ちた犬とかがいなくなりました。
人が飢え無くなると犬も飢えなくなるんですね。

島での収入は、漁業とお土産売りの収入とダイビングサービスで働く収入ですが、日々の現金収入はなんと言ってもTシャツ売りでしょう。
しかし最近ではTシャツも売れなくなっています。
以前は記念に、お土産にと1人が何枚も買う姿が見られましたが、最近は来島者の財布も口が固いようです。

アポ島のTシャツは150ペソ、パレオが250ペソで2.5円換算で375円です。
これが高いとは決して思えないのですがみなさん良く値切ります。
ダイビングの雑誌に値切るのが常識、ゲーム感覚よ、と書かれるのも一因でしょうが私はこの姿が大嫌いです。
3枚買うから交渉して、とお客さんに良く言われますが、私が交渉すると10ペソしか安くなりません。

一枚10ペソずつまけてもらって30ペソ得しますが、日本円で75円です。
ホテルではビール一本飲めるかどうかと言う金額です。
気持ち良く定価で買って底抜けの笑顔に囲まれる方が私は良いと思うのですが、価値観の相違ですね。

    8月23日ブタをシメる日

 私の誕生日は9月なのですが、もろもろの事情が有って少し早く誕生パーティーをする事になりました。
ブタを潰す機会が多くて成長が間に合わないので知り合いのトライシクルドライバーJ・Rの家にいるやつを分けてもらう事にしました。
立派なブタではありますがたぶん高く吹っかけられて3000ペソ位は言われるでしょう。
今は大工もいて彼等も一口かじって行くでしようから、ビールが4ケースとスプライトが3ケースと・・・また出費がかさみます。

私はフィリピンでずいぶん好き勝手に暮らしています。
日本では考えられない程、感覚的には豊かに暮らさせてもらっています。
そのくせ税金なんてほとんど取られた記憶が有りません・・・違う意味での授業料はたくさん払いましたが。
こんな機会に私と少しでも縁の会った人たちに御馳走するくらいは潤滑油だと私は考えています。
まあ、この感覚の甘さが無いとこの国とは付き合っていけないので自分に言い聞かせている面もありますが。

フィリピンは経済的には小人の国だと言ったら失礼ですが、普通の日本人は小人の国に迷い込んだ「ガリバー」だと思うのです。
最近やっと、その自覚がほんの少しだけ持てるようになりました。

フィリピン人にとって日本人は「ガリバー」なので背中に多くの羨望や嫉妬のつぶてが飛んで来るのが分かるようになりました。
そして小人の国の住人にも色々な人がいて、ガリバーを生け捕りにしようと企む人もいます。
大きくて隠れる事のできないガリバーは意外にも脆く、簡単に捕われてしまう事もあります。
そんな時には普段どんな風に近所の人や周囲の人と付き合っているかが物を言うのも分かって来ました。
だから私の誕生日は私の為の物では無かったりする訳です。

   ・・・ではまた。

        では また。

(2003年 8月24日 書きました)

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南風の便り 15

2020-02-24 10:29:03 | 南風の便り



2月から3月にかけてMDSに沢山の人が来てくれました。
3月には久しぶりにオープンウォーターダイバーの講習もあったりして、人手の少ない当サービスにあって、ガイドは唯一の常勤スタッフのジェフリーが活躍しました。
ジェフリーはセブの大手の日系のダイビングサービスに勤めた経験もあり、地元ではそこそこ使えると言う評判の男であります。
片言以下の怪しい日本語と、私よりは少しましかなと言う程度の英語を話します。
そして飲ん兵衛で助平で、カラオケが大好きな良い男でして私とは公私共に気が合います

ダイビングのお客さんが有る日の私の4時起床です。
夜明け前に起き出して、まず飯を炊きます。
人数によっては電気釜一杯では足りずに、でかい寸胴なべを使う事もあります。
兎に角、飯を炊きます。
そして次に野菜いためやらビーフン炒めやら、魚の空揚げや豚肉の炭焼きや鳥の炭焼きと、その日によって変わる弁当のおかずを作ります。
これでだいたい6時になって、冬でも外は明るくなっています。

6時になったら充填所にタンクを取りに行きます。
軽トラに中腰でタンクを積み降ろしするのはけっこう腰に来ます。
一人で30本も積んだ日には軽トラも重さでへコへコですが、私の腰もガクガクであります。

戻って来て6時30分。
御飯だけを弁当箱に詰めてあったのが冷めているので、おかずを入れて弁当の出来上がり。
バスケットにスプーンと水のボトルと、マンゴーと包丁と・・・2度点検しても忘れる時も有るのは南国ボケでしょうか?

これで間もなく7時です。
今日チェックアウトのお客さんが居ると早めに戻らなければならないのでダイビングの出発は7時です。
時間に追われ急いで軽トラに器材とランチを積み込みます。
ホテルの前ではダイビングに行くためにチャーターしたバス(便宜上バスと呼びますが・・・)が待っています。
バスに荷物を移し替えてお客さんを待ちます。
あぁ、今日も朝飯を食う暇が無かったしトイレに行く時間も無かった、と・・・トイレは飯より一大事なのですが。

普段は9時出発なので7時30分頃に朝飯を食べ、一息入れてホテルに向かう余裕があります。
どーですか? こんな仕事に憧れませんか? 楽しいですよ?

ダイビングから戻って来るのは意外と早くて、チェックアウトの人がいる日は12時~1時です。
普段でも3時にはホテルに戻ってお客さまはすぐホテルのプールで塩抜き・・・ビールタイム?。
私は器材と軽トラとタンクを洗います。
タンク洗いが終わったらタンクを充填所に運びます。
チェックアウトのお客さんは3時にホテルを出ますのでその日は大忙しです。
自分もサラッとシャワーを浴びて着替えなければなりませんが、この場合のシャワーは器材洗いの水道水をかぶるだけです。

普段は器材を洗いながらのんびりムードに戻って行きます。
弁当の洗い物だけを残して片付いたら、充填所へ。
充填所にタンクを降ろしたらすぐ近所のサリサリストアーへ。
そこで5ペソのハッピーピーナッツをつまみに、ジェフリーとビールを2本づつ飲みます。
店の前の道ばたに日除けのテントがかかっているので快適です。
少しすると他のショップやサービスのガイドもやって来て人数が増えるのが常です。

ここで一息入れたらチャンゲ(市場)へ明日の弁当の買い出しに行きます。
お客さんを晩飯へ案内するのが6時か6時30分なので急いで戻ります。

晩飯で夜の街を案内するときはほとんど割り勘ですが、これが貧乏BOMBEEには痛いのです。
家で食れば100円で充分足りるのに毎日レストランでの食事代はきついのです。
ジェフリーが一緒だと彼の分は私持ちですが・・まあ、楽しいんだから仕方なしですが。

食事が終わって街で唯一のコンビニに寄ってホテルに戻るのが9時頃です。
4時起きの私はもう眠さ絶頂の時間であります。
この後もう一杯・・・などと言われてもけっして断らないのが私であり、ジェフリーであります。
カラオケ? レッツゴー・!!!プールバー?・ オバンカァー(いっしよに)と行ってしまうのであります。
当然翌朝は地獄であります。
翌朝、ボートが動きだしてからすぐに僅かのスペースを見つけて横になります。

忙しい日と暇な日の比率は圧倒的に暇な日の勝ちでありますから、たまに地獄の忙しさも楽しいのが本音です。
大手ダイビングサービスの日本人スタッフはタンク運びや器材洗いなどはほとんどしません。
現地スタッフが全部やってくれます。
うちのスタッフのジェフリ-は給料が安いので重労働は嫌います。
ですから普通は現地スタッフがするような仕事こそが私の仕事です。
時にボスはジェフリーかと聞かれる事さえ有ります。
それも仕方の無いことでして、彼の方が顔が広いからすぐ仕切ってしまうし、態度でかいんですから。

どーですか?
こんな楽しい南の島のダイビングサービスで貴方もガイドをしてみたくなりませんか?

えっ? 遠慮しとく、ですか? 
ホントのことを言うと、最近は自分も少し考えるところがあります。

そこで提案なんですが・・・ダイビング屋の人脈とノウハウと少ない財産(軽トラ・テレビ・冷蔵庫含む)の統べて一式を無料でお貸ししますので、誰か私の代わりをやってみませんか?

お客さんがいれば飯は食べていけますし、毎日ビールも飲めます。
イントラでなくてもダイブマスターでやれますから・・・どーですか?

    ・・・では また

         ではまた


(2003年 3月15日 書きました)



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