じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

慈悲を語る・・・ぷっ!!!

2011-11-19 15:39:26 | 日々の雑感
自費出版というのが流行で、色んなものが出されているけれども、まっ、やっぱし自力でも世に出したいと思う気迫が籠っている書物が多く、早い話がマニアックであるなと思う訳です。
が、その自費ではなくて「慈悲」を語ってみようかと思う訳です。
いや、多分途中で尻滅裂の腰砕けになるのは解り切っているのでありますが、書くのはタダですから・・・暇つぶしです。

慈悲とはなにか? いつくしみ あわれみ いとおしみ はぐくむ こころ・・・では国語辞典になってしまう訳で、仏教の慈悲は仏の心なのであります。
大慈悲というのでありますが、それこそが仏の心なのであると、色んな本に書かれている訳です。
が、しかし、大慈悲とは仏の心なのか、ああそうかと納得できる人は幸いでありますが、凡夫には余計に何の事やら解らなくなっちまう訳です。

で、歎異抄には第四章に慈悲が出てくる訳です・・・いや、今ここを読んでいたんですが。
慈悲に聖道・浄土のかわりめあり・・・と、言う事で、慈悲には二つの道がありますよ、と親鸞は言う訳です。
で、「聖道の慈悲というは ものを哀れみ愛しみ(かなしみ)育むなり。しかれども 思うがごとく助け遂ぐること 極めてありがたし」と言う事で、聖道の慈悲は容易じゃないぞ、凡夫にゃ無理なんで「浄土の慈悲というは 念仏して急ぎ仏になりて 大慈悲心をもって思うがごとく衆生を利益するをいうなり」と解いている訳です。

おっさん流の解釈では、お前ごとき凡夫が人に助けの手を差し伸べた所で最後まで面倒見切れないんだから止めておけ、と・・・聖になる道はままならないから無理だろうな、と。
しかし、それではお前自身の気持ちが助からないから、弥陀の本願にすがり念仏を唱えて浄土で悟りを開いて、それから大慈悲の力を借りて衆生を助けろ、と述べているなと思う訳です。

と、解ったような事を書いてみましたが、しかし、問題は、大慈悲の力を借りて衆生を助けるとはいったいどうすれば良いのか?であります。
いや、具体的に手を差し伸べて助けようとするならば聖道の再現に陥るのは明らかで、んじゃぁどうすれば良いのか?・・・ここが肝じゃないかと思う訳です。
で、歎異抄の解説書から答えを導くと必然的に「念仏もうせよ」そうすれば弥陀が助けてくれるんだから、念仏するように勧めろよな、と言う事になるんじゃないかと思う訳です。

まっ、アレです・・・回りくどく述べましたが、聖道は自力の道で念仏は他力の道と、どの章の答えとも一致する訳なのでありますが、しかし、ここはへそ曲がりの凡夫らしく一捻りしてみる訳です。

まず、おっさんのような凡夫は助ける側なのか助けられる側なのか?であります。
で、聖道を目指す慈悲はあきらかに助けようとする側の存在であると思うのであります。
が、念仏を唱えて他力にすがって浄土に行こうという凡夫は弱者であります・・・助けてもらいたい筆頭であると思う訳です。
と、考えると、慈悲に聖道と念仏があると言うのは入り口からして次元が違うんじゃないかと思うのでありますが・・・大きく勘違いしてますか?

で、助けると言うのがまた聖道と念仏の道では意味が違うと思う訳です。
聖道の助けとは、互いに仏への道を手を取り合って助け合いながら行こうという類いのものであれば念仏の道と行き先が一緒なんで良いんですけれども、おっさんの解釈ではそうではないと思う訳です。
巷の衆生の現実的な苦しみに対しての助けを語っているとおっさんには読めるので、それだと念仏して助かる道とは違く無いか?と思った訳ですが・・・浅はかですか?

と、言う事で結論なんでありますが・・・人を救うなんて大それた事は出来ないので、知らんぷりしていた方が身の為だな、と言う所へ落ち着く訳であります。
しかし、それだと良心が少し痛み後ろめたいので、たまに余裕の範囲で人助けの真似事などして見たりして自分を慰め助けるという事で・・・自力の真似事と念仏の合わせ技が現実的なんじゃないのか? なぁーんてね・・・。

いや、100万円の金の観音様を毎日眺めているととても気持ちが落ち着くし、現世の利益などとるに足らないものであるな、早くお浄土で仏様に会いたいなと思う訳です。
そうでも思わないと支払日が近づくにつれ気持ち的に憂鬱の極みな訳で滅入っちまいます。

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日本と世界を語ってみる

2011-11-19 13:43:02 | 日々の雑感
なんちゃって、そんな事が馬鹿の見本のおっさんに出来る訳が無い。
しかし、おっさんは自分で自分を馬鹿だと思うようになっただけ賢いのかも知れないと思う今日この頃、土曜日の午後のひと時、一般国民、またの名を平民とも呼ばれるの皆様に置かれましては如何お過ごしでありましょうか?・・・ナニっ?屁こいて昼寝ですか?

ナニから行くかな・・・オリムパスか?
あれっ、外人社長が解任された時、おっさんは何の根拠も無く、何かで株価を下げて外資が美味しく食う仕掛けなんじゃないのかと述べた訳なんだけれども、やっぱし其れだったようですね・・・外人社長ってドー言う経緯でなったのか知りませんけど、トロイの木馬だったんじゃないんですかい?
いやはや、おっさんでさえ解りそうな事を大会社のお偉いさんは解らないもんですかねぇ?
アレか?外から眺める部外者だから見える訳で中に居ると解らないものなのかなぁ?

ブータン国王夫妻・・・おやじはイケメンでかみさんは美人の女子大生・・・GDPよりGNHですと。
国民はさぞかし幸せに暮らしているんでしょうね・・・と、言うよりもアレだな、幸せの質と言うか基準が違うんでおっさんがブータンに行っても幸せになれるとは限らないんだろうな・・・幸せなんてのは相対と自己満足の勘違いだからな。

屁みたいな朝鮮が威張るのは・・・馬鹿だから?
では無くて、それなりの裏付けを得ているからな訳で、ケツ持ちはアメリカな訳だ。
最近だけでも韓国は二度は破産しているんだけれども、その度ごとに日本が救いの手を差し伸べている訳ですね。
それでも韓国は日本に勝つのだとか敵国だとか逆恨みしてくる訳です。
これだけインターネットで海外からの情報取得が容易な現代でもまだ解っていないという所が決定的にアレですね・・・正しい日本語では馬鹿という奴ですか?


日本の政治家がキムチを食うのは・・・馬鹿だから?
では無くて、腰抜けだからだとおっさんは推測する訳です。
たぶん、政治家になる前やなったばかりの時点ではそれなりの政治理念やら正義感や愛国心を持って望んでいるのだろうと思うんですが・・・いや、そもそも政治家を良く思うのが日本国民の大間違いの元か?
まっ、最初は真っ当な考えがあったと仮定して、恐らく、日本国を正しい方向に導こうとするととても大変な目に合うのが解っちまう訳です。
例えば中川昭一とか、小渕さんとか、他にも居たでしょ、ドアノブで首吊った大臣とか、自殺した国会議員とか・・・いや、勝手な推測ですが・・・そう言う目に遭いたく無いんで大人しくなっちまうんじゃないかと。
で、ドーセそう言う事なら任期中に面白おかしく銭でも貯めてあとは引退と・・・こんな感じで朝鮮からの裏金とか、キムチをつまみにマッコリなんか呑んじまうんじゃないんですか?

スペインがヤバいってかい?
まっ、少し前までは日本よりもGDPが上だった訳なんですが、スペインって闘牛とフラメンコ以外に何か産業ってあるのかな?
いや、一寸調べたら自動車があると言うんだが、セアトとかペガソなんて車知りませんけど、輸出品目なんだそうで・・・南米へ送っているのか?
正味の収入は観光なんだろうな・・・ギリシャと一緒か? そりゃヤバイな。
スペイン娘は嫌いじゃないんで国が傾いた暁には一人二人の為なら一肌脱ぐのも吝かではないんだが・・・地球最強の円を握りしめて援助に行って来るかぁ?
スペイン語は苦手だけど・・・いや、しかし、今は大した国ではないんだけれども世界中にスペイン語の名残は残している訳で、そりゃぁ昔は凄かった事が忍ばれる訳だが・・・。

イタリアもヤバイってかい?
いや、薄々フランスもヤバイって言うんでEUはドイツ以外は全部沈没なんじゃないんですか?
で、そうなったら幾らドイツが機関車役をやった所で前には進まない訳で、御愁傷様です。
しかし、EUがダメなのは解ったとして、日本はどんな影響を受けるんだろうか?
まっ、日本は輸出大国と言ったって内情はそれほどの依存度は無い訳で、地球最高の円高で輸入品は易く買えるんで暮らし向きはそんなにキツくならないんじゃないか、と思うけど甘いか?
其れを考えると、やっぱし、これからの売り先としては中国とインドだよなぁ・・・TPPにはフランスと中国を入れないと嫌だって、野田がごねたら面白いのになぁ。


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旅の記憶

2011-11-19 11:05:31 | 旅と感想
旅の記憶・・・なんちゃって、おっさんが言うと陳腐であるなと思いますが。
旅は随分した・・・ダイビングのツァーで添乗員の真似事をしていたので仕事の旅行なんだけれども、国内も国外も随分行った。
ホテルに泊まった回数と言うのだと、20代から40歳までひと月の半分は出張でホテルに泊まっていたので何百泊なのか何千泊なのか解らない・・・これで本来の放浪癖が閉じ込められていたのだなと、今は思う。
だから、会社勤めを辞めた途端に本性があらわになりあちこちと放っつき歩いたのだろう。

一番感慨深い旅はやっぱしアレだな・・・17年前に会社を止めてフィリピンに行った時。
順路と予定の決まったパック旅行じゃなく、航空券を持って泊まる所も決めずに・・・しかし、行き先はダイビングで何度か行って勝手を知っているフィリピン。

サラリーマンにとっては21日の休みというのは殆ど不可能で、フィリピンで観光ビザの期限いっぱいの21日間を過ごしたのは結構衝撃的だった。
この時、ずっとフィリピンに居続ける術は無いかと考え、その後ダイビング屋の真似事を始めた訳だ。
そして、今、ダイビング屋は夢破れて山河あり・・・城は無かったのけれど、家を建て、車を買い、ボートを建造し・・・思い出以外に何も残らなかったが、まっ、それも縁という事だから。

以前は1週間なんて言うのは旅とは言わないと思っていたが、歳を取ったからか、生活が普通になったからか、一週間でも旅は旅だなと思うようになった。
何でもそうだと思うのだが、長ければ良いとか大きければ偉いというものではなく、その値の基準は人それぞれだな、とつくづく感じるようになった。

プーケットの記憶



プーケットなんて俗っぽいリゾートに行こうと決めたのは、手軽でにぎやかな所に行きたかったからだ。
プールサイドでビールを片手に文庫本を読む・・・目的はこれだけ。



日傘の下に居るので日焼けはしないのだがそれでも暑くなってプールに飛び込む。
誰もいないプールでのんびり泳いでいたら水に映った影がきれいだったのでカメラを向けた。



昼飯を食いに街に出た。
飯屋の店先の小さな水鉢に南国らしい色の蓮の花が浮いていた・・・お釈迦様がこの花が好きだったとしたら、けっこう色っぽいのも嫌いじゃなかったんじゃないのか、なんて意味も無く思ってみた。



辛く無いスープとチャーハンを頼んだ。
その昔し、ここでロブスターと呼んでいるゴシキエビの1キロ程度のものが500円で食えたが、今ではそれが3000円でも食えるかどうかだ。
だから迂闊にシーブドは頼めない。



照り返しが暑いんで日向は歩きたく無くて用も無いのにビーチ沿いを歩いた。
ビーチパラソルと椅子で1000円じゃ足りないのだろうな、とパラソル屋の呼び声を無視して歩きホテルに戻る。
またプールサイドで本を読む。



夜になって飯を食いに出かけた。
何の祭りか表通りはパレードの列と見物人でごった返していた。
そう言えばホテルで特別なディナーショーをやるからと案内の紙を配っていたっけ。



歩道も車道も歩けないし通りに面したレストランは客が溢れていた。
仕方が無いからビーチを歩いてメイン通りの外れまで歩く事にした。
上桧木内の紙風船上げと似たようなものを上げていたが絵は書かれていない質素なものだ。
波打ち際では灯籠流しをしていたから恐らく仏教行事なのだろう。



海岸から一本向こうの通りまで歩いて寂れたレストランに入って飯を食った。
帰り道、あまり高くあがらない花火があがった。



足はホテルに向かわずに人がごった返す喧噪の方へ自然と向かう。
昨晩と同じ店で腰を下ろすとレイラが隣に座った。
レイラはレディーボーイだ。



プーケットから香港へ向かう飛行機の待ち時間、手持ち無沙汰でやっぱり飲んでしまう。
スーパードライがあったので飲んでみたら、見事に同じ味だった。
最近スーパードライはアジアのどこでも見かける。
しかし、以前は見かけたキリンが全く見られなくなったように思う。
バドワイザーも減った。
そして今一気に増えていると思うのがフィリピンのサンミゲールだと思うんだが、これの資本がキリンなんだよな、なんて事を考えて二本目を買いに行った。



香港は宿代がべらぼうに高く繁華街の良いホテルにはとても泊まれない。
九龍地区の安宿に泊まった。
それでも朝飯もつかずに一泊8000円もする。
プーケットはプール付きで抜群に美味い朝飯付きで6000円だったのに。



殆どタクシーで歩いたのだが話の種にと二階建てバスと地下鉄は乗ってみよう思った。
香港はイギリスの影響で日本と同じ左側通行なのに地下鉄の表示は米語だ。
面倒臭いのはイギリスに習ってエレベーターの一階はGで一階は二階だと言う事だ。



九龍から香港島へ行くスターフェリーに乗ってみた。
観光用なのだろうと思ったら豈図らんや今でも普通に庶民の足として生きているのだ。
方向転換せずに往復する船はどちらも船首で同じ形をしている。
旧い船の内装に日本の国鉄時代の木製の車両を思い出した。
どちらもイギリスの影響を受けたものだから同じ匂いがするのかと思う。



観光客らしく香港名物のサンパン船(樽船)に乗ってみた。
元は水上生活者の居住用の船だったらしいが今でも似たような船での水上生活者は見られた。
船頭はおばちゃんで父ちゃんは陸で椅子に座って煙草をくわえ時折来る客に愛想を振りまいていた。
アジアの稼ぎ手は女で母なのだここでも思う。



田舎者の自分にはコンクリートだらけの香港は息苦しい。
鉛筆のような高層ビルが林立する都市には違和感しか感じない・・・ここには絶対住めないと確信する。
しかし、その高層ビルの建築の足場が未だに竹で組まれる辺りが流石に中国だ。



一応観光客なのだから中国らしいものを食おうと思ってうろうろしてみた。
アワビやフカヒレは手が出なかった。
広東料理の定食(北京ダック付き)290元の看板を見つけて入った。
店内はだだっ広く観光客用なのか、中国人のお上りさんと思しき人達で溢れていた。
出て来た北京ダックは台湾や上海で食べたものとは似て非なるもので皮よりも肉が多かった。



香港から成田へ向かう飛行機に乗り込んでなんだかホッとした。
いつもは帰りたく無いなと思う旅の終わりなのだが、香港からの脱出は嬉しくて、わずかな期間なのに日本が懐かしかった。



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