この前のエントリーで「宗教的生き方」を書こうとして支離滅裂になり、結局は野田政権とTPPの悪口を書いて終わっちまい「宗教的生き方」の方には行けなかった・・・文章各能力はとても低いのに、なんで好きなんだろ?
こんな所に書いて良いのかドーか・・・まっ、読んでいる大多数には分らないだろうからいいか?
おっさん、積極的に女性と関わりを持つ時には「女」としてみる対象以外には興味が無かった訳です。
で、ありますから「女」として見られない、もしくは見ては行けない対象には努めて興味を抱かないようにしていた訳です。
興味を抱かない相手であれば、居ても居なくても良い訳で、そう言う女性とは関わりたく無いので「女友達」と言う存在は皆無でありました。
いや、友人のかみさん、とか言うので親しくつき合う女性などが居るんでその辺は曖昧でアレなんですけれども、それはある意味義理に絡む事でもある訳で、おっさんから積極的に保っている関係ではない訳です。
で、この度・・・まっ、おっさんの身辺の話なんて誰も興味は無いわね・・・やめだ。
ナンであれ、おっさんは「女」しか相手にして来なかったんだけれども、今何となく「女性」でも男と同じ感覚で友達付き合いが出来る様な気になっていると・・・歳取ったのかぁ?
さて、宗教的生き方・・・何を書こうとしていたんだっけかなぁ? 余計な事書いてるうちに忘れちまいました。
そうだ、思い出した・・・TPPで日本が痛めつけられる、と言うネタから、日本の政治家なんて、政府なんてまともじゃ無いよな、と持って行って、そんな事言ったらンじゃぁ過去にお国がまともだった事なんて有ったかね?と話を膨らましたかったのであります。
で、それが何故に「宗教的生き方」に結びつくのかと言いますと・・・まともじゃ無い国、まともじゃ無い世界に生きて行くのに、自分だけまともにやろうとしても可笑しくなっちまうでしょ、で、そんな世の中でまともに生きる術が有るとしたら「宗教的生き方」しかないんじゃ無いかい、と結びたかった訳です。
で、宗教的生き方とは、と来る訳で、その落ちは「ドーだって良いじゃネェかそんな事」と言う訳で、いい加減な世の中はいい加減生きるのが良いと、仏様の教えていますからね、と言いたかったのであります。
禅の方では「ドーだって良いじゃネェかそんな事」をもっと上品に「放下著」(常識にとらわれない)や「一得一矢」(ドーでも良い)と教えている訳です。
で、本から拾って来た言葉をさもさも自分の言葉のように並べて吹かしてみても中身は無い訳であります。
実際仏教的生き方和実践しようとすると、それこそ裸になって与えられるものを喰って、足りなかったら死んじまう・・・そんな生き方になっちまうな、と、痛切に思う訳です。
おっさん等は娑婆に生きている・・・極楽浄土を見て来た人は無く、ナンボ良い所だと教えを受けても信じて良いものやら。
現実に女の肌は柔らかく、黒髪の匂いは香しい・・・そして酒は旨い。
サンマの塩焼きは香ばしく、栗ごはんは美味い。
それを過剰に求めようとすると苦しくなるんだけれども、取り合えず分相応に廻って来る程度のものは頂き、有難いと感謝しつつ、欲はこかないと言う程度の「消極的欲」に生きるのは、現実の娑婆での「宗教的生き方」ナンじゃないのかなどと思う今日この頃、日曜の夜・・・あなた様は、もう寝ますか?・・・ンじゃお休み。
いや、コレも昨晩からの「慈悲」の続きで、聖道と念仏浄土の続きなんだよね・・・わからねぇなぁ。
こんな所に書いて良いのかドーか・・・まっ、読んでいる大多数には分らないだろうからいいか?
おっさん、積極的に女性と関わりを持つ時には「女」としてみる対象以外には興味が無かった訳です。
で、ありますから「女」として見られない、もしくは見ては行けない対象には努めて興味を抱かないようにしていた訳です。
興味を抱かない相手であれば、居ても居なくても良い訳で、そう言う女性とは関わりたく無いので「女友達」と言う存在は皆無でありました。
いや、友人のかみさん、とか言うので親しくつき合う女性などが居るんでその辺は曖昧でアレなんですけれども、それはある意味義理に絡む事でもある訳で、おっさんから積極的に保っている関係ではない訳です。
で、この度・・・まっ、おっさんの身辺の話なんて誰も興味は無いわね・・・やめだ。
ナンであれ、おっさんは「女」しか相手にして来なかったんだけれども、今何となく「女性」でも男と同じ感覚で友達付き合いが出来る様な気になっていると・・・歳取ったのかぁ?
さて、宗教的生き方・・・何を書こうとしていたんだっけかなぁ? 余計な事書いてるうちに忘れちまいました。
そうだ、思い出した・・・TPPで日本が痛めつけられる、と言うネタから、日本の政治家なんて、政府なんてまともじゃ無いよな、と持って行って、そんな事言ったらンじゃぁ過去にお国がまともだった事なんて有ったかね?と話を膨らましたかったのであります。
で、それが何故に「宗教的生き方」に結びつくのかと言いますと・・・まともじゃ無い国、まともじゃ無い世界に生きて行くのに、自分だけまともにやろうとしても可笑しくなっちまうでしょ、で、そんな世の中でまともに生きる術が有るとしたら「宗教的生き方」しかないんじゃ無いかい、と結びたかった訳です。
で、宗教的生き方とは、と来る訳で、その落ちは「ドーだって良いじゃネェかそんな事」と言う訳で、いい加減な世の中はいい加減生きるのが良いと、仏様の教えていますからね、と言いたかったのであります。
禅の方では「ドーだって良いじゃネェかそんな事」をもっと上品に「放下著」(常識にとらわれない)や「一得一矢」(ドーでも良い)と教えている訳です。
で、本から拾って来た言葉をさもさも自分の言葉のように並べて吹かしてみても中身は無い訳であります。
実際仏教的生き方和実践しようとすると、それこそ裸になって与えられるものを喰って、足りなかったら死んじまう・・・そんな生き方になっちまうな、と、痛切に思う訳です。
おっさん等は娑婆に生きている・・・極楽浄土を見て来た人は無く、ナンボ良い所だと教えを受けても信じて良いものやら。
現実に女の肌は柔らかく、黒髪の匂いは香しい・・・そして酒は旨い。
サンマの塩焼きは香ばしく、栗ごはんは美味い。
それを過剰に求めようとすると苦しくなるんだけれども、取り合えず分相応に廻って来る程度のものは頂き、有難いと感謝しつつ、欲はこかないと言う程度の「消極的欲」に生きるのは、現実の娑婆での「宗教的生き方」ナンじゃないのかなどと思う今日この頃、日曜の夜・・・あなた様は、もう寝ますか?・・・ンじゃお休み。
いや、コレも昨晩からの「慈悲」の続きで、聖道と念仏浄土の続きなんだよね・・・わからねぇなぁ。