じじい日記

日々の雑感と戯言を綴っております

日産のモコに乗った!!!

2015-03-07 16:10:09 | 日記的雑談
いや、女房のノートを整備に出すんで、代車に日産の軽自動車のモコを置いて行かれた訳です。
で、本日はスキーにも行かずに暇を持て余していた私は、ちょい乗りでお試しをと思い、近所の買い物に出掛けてみた訳であります。

アレです・・・買い物は訳ありのナニでして、その後の顛末も一筆啓上仕りたいモノなんでありますが、それは後に譲るとして、まずはモコの試乗記であります。

まず、外観ですが・・・そう言うデザイン的な者とか内装の出来不出来というのは多分に個人の好みなんでどーでも良い部分であるな、と思います、が・・・中々に落ち着いた雰囲気でして、しかも、安っぽくない感じは好感が持てました。

で、今流行なんでしょうね、少し高めの屋根と、ぎりぎりまで張り出したスクエアーなデザインは軽自動車の枠としては大きく感じられるモノでありました。

で、内装でありますが・・・やっぱし軽自動車の顧客ターゲットは基本的に女性なのでありましょうか? 
白とベージュとを基調にした内装は明るく好感が持てました。
試乗した車のグレードがどの辺りなのかは判りませんけれども、踏み込み式パーキングブレーキを装備し、エアコンはオートでほとんどフル装備と言える感じなんで、安い方ではないと思いますが、昔の軽自動車が持っていた様な、安いんだからこんなもんでしょ、的な部分は感じられませぬ。

目立つのはシートの形状や質感でありましょうか?
形状は、ボディーの四角感と合わせている感じでして、こちらも四角であります。
形状は広さの演出という部分で成功しているなと思いますが、特筆すべきはシートの材質で有りましょう。
ナンと言う素材なのかは判りませんが、安っぽくない織物の質感がとても軽自動車とは思えない落ち着きを醸し出していまして、高級感とまでは言いませんが、安っぽさや残念感は無いモノでありました。

それと、この車の使われ方と言いますか、乗る人の欲求を想定したと思われる小物入れの配置が秀逸でありました。
つまらないモノですが無いと困るのがドリンクホルダーなんですけれども、いかにもコレですと出張って居られるのも目障りだと思うのであります。
しかし、モコのそれは普段はダッシュボードの一部に隠れていて、いざという時に引き出して使えるという優れものな訳です。
その他にも、小さな小物入れが随所に、そしてシート下にも結構大きな物入れがあり、最後部のラッゲージスペースは蓋を取り外すともう一息背の高い物が積めたり、普段は邪魔な物を押し込んでおくスペースとして使えたりと・・・徹底的に工夫しましたというのが見られるのであります。

さて、内外装を随分と褒めましたが・・・走りっぷりや、車としての素性や如何に、であります。
まず、走り出す前に感じるのは、開放的な室内の感覚と相まって、見切りが良いという事であります。
まっ、車自体が小さくて角張っているというと四隅の感覚ともはっきりと判るし、見切りが良いのも当たり前とも言えますが。

で、プッシュ式のスイッチでエンジンを駆けますと・・・思ったよりもアイドリングが静かであります。
女房の車のノートよりも静かかも知れないという感じでして・・・これは私が知っている軽の認識からは相当上を行く感じで有りました。

変速機はCVTであるらしくドライブに入れてもギャーの入った感は無く、クリープ現象も強くない感じでありました。

さて、どーせ軽だからと言う認識でアクセルを踏みますと・・・やややっ、と言う感じで前に出る訳であります。
いや、軽々と50キロまで車速を上げる加速力は、急ぎの右折などで肝を冷やす事もなさそうですし、もしも高速道路に乗る場合の合流にも恐怖心は持たなくて済みそうであります。

そして、これは特筆物だなと思ったのはエンジン音の静かさと、音質であります。
確かに、そこそこ以上の回転数になれば多少のうなり感は有るのですけれども、それが極度に耳障りとか、頑張ってる感が悲壮で可哀想とか、以前の軽から受けた非力さ故の騒音と言う印象は無いのであります。

音に関して言えば、タイヤがスタッドレスであったために少しロードノイズは拾う訳ですが、しかし、それでも十分に静かであると感心するレベルでありまして、坂道で加速させたら車内の会話はしばらく途切れざるを得ない、ナンて事は無いと思う訳です。
少し高めのオーディオを積んでのんびり聞きながらドライブなんてのを十分にこなせる静けさであります。

そして、一番驚いたのは足回りであります。
10年前の2000cc程度の車の乗り心地を超えています。
まっ、自分の車の足回りが結構固めでして、静かでは有るけれどもゴツゴツ感の残るモノなので余計に感じるのかもしれませんが、道路の段差や繋ぎ目を拾う時にも、トトン、と言う感じでして、ダタバタした感じは皆無であります。

そう言う事であれば、足回りの本質とも言える腰や粘りはドーなんですかと聞いてみたくなるのが私の性分でして、ワインディングロードで試してみました。

これがまた、古き良き時代の日産車の足回り・・・そーですねぇ、310型のブルーバードと比べても遜色無い・・・いや、訳の判らない喩えでご免なさい・・・私、今でからこそスバリストですが、20代から50代の初めまで、ズーッと日産党で来たモノですから日産の足回りには思い入れが有るんです。

そーですねぇ・・・私が最後に乗っていたのは、二つ前のエルグランドが最後なんですが、アレはカルロスゴーンが社長になってからの車種なんで内装も足回りもその前のより落ちてましたんで、只今現在のモコに負けてるかもしれませんね・・・まっ、それは無いですけれども。
しかし、モコの足回りは軽自動車だからというインチキな足回りではなく、しっかりと踏ん張りショックを吸収し、攻め込んでもリアから流れ始まるというナチュラルな物でありました・・・まっ、タイヤがスタッドレスなんで限界も低いんですけど。

付け加えれば、小さな車体で背が高い・・・これでコーナーにオーバースピードで入ったら相当傾くかと思いきや、適度な所で踏ん張る感じで恐怖は起きませんでした。

おおっと・・・ハンドリングは癖が有ると言いますか、日本の車のたいていはコーナんですけれども、真っすぐ走るのが苦手と言いますか、低速でハンドルが固くて(重くてではない)ギクシャク感が出ると言いますか・・・恐らく電動式のアシストだと思うんですが、感覚的には今一で残念であります。
まっ、乗ったすぐに感じたけれども慣れれば、と言う程度では有りますが、でも、唯一残念感を感じた箇所では有りました。

さて、車には辛口の私としましては、殆どべた褒めなんですが・・・やっぱし、先入観として、軽なんだからと言う下駄を履いた部分は否めないかもしれません。
言い換えれば、軽である事を意識させない仕上がりの車で、ライフスタイルに合う車を選んだらモコであり、そしたらそれは軽でありましたという結果になるのかと思う、新しいカテゴリー・・・軽自動車を選択したというのではなく、選んだ車が軽だったという、質感その他で普通車に引け目を感じる事は無い車、と言う事なのかと思う訳です。

ところで・・・これだけの装備と質感ですから、お値段も普通車に近いんでしょうね?
でも、普通車と競い合ったらドーなんだと言えば・・・今時の普通車はこの水準よりもやっぱし上かも知れない・・・いや、海外生産の日産ノートなんかよりは良いんですけど、まっ、そう言う事ですね。

なにっ・・・結局良いのか悪いのか? ですか?
いや、車なんてのは好きずきなんで、趣向品と思うと何でも有りという事で・・・モコはそれなりに良い車でした、と。










コメント (2)
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多吾作 物語り

2015-03-07 08:15:58 | 盗作童話
昔々、遠くの山の麓に多吾作という者おったげな。
多吾作はとても働き者で、毎日山や田んぼの仕事に精を出していたったと。

そして多吾作は信心深い人でもあって、暇を見つけてはお地蔵様の周りの草取りをしたり、祭りの頃には、貧しい暮らしの中から餅などお供えしていたんだと。

多吾作は遊ぶ事は何もしないで、村の衆に誘われても酒も飲まなければ博打もしなかったと。
そんでまた、多吾作の家は山の麓の一軒家だもんで隣近所も無く、んだから、知り合う娘っ子も無く、独り身だったと。

んだぁ~・・・可哀想っちゃ、そう言う身の上でなぁ・・・。
多吾作のお父もお母も前の飢饉の時に無理したのが祟って、早くに仏様になっちまってるもんで家には一人なんだなぁ。
お父の残した猫の額程の田畑を少しずつ広げたり、家とは呼べねぇあばら屋を切ったり貼ったりしてなんとか格好つけていたったんだと。

そんなもんで多吾作は夜明けとともに起きては、日暮れ間近まで働いて、粗末なおまんま食ったらせんべい布団に包まって寝るだけの毎日だったと。

そんな話し相手も居ない多吾作だども、朝夕の野良仕事の行き帰りには、お地蔵さんに、お早うでござりす、と言って手を合わせ、帰りしなには、只今でござりす、と手を合わせていたと。

その内、陽気の良い日には少し腰を下ろして一服つけるようになって、序でに独り言など語るようになったんだと。

ああ、んだんだ、何の楽しみも無い多吾作と言ったけれども、煙草だけは嗜んだんだねぇ。
ほれ、自分家の畑で葉煙草育てていたもんで、それば嗜んでいたんだね。

その内、多吾作は朝な夕なの行き帰り、お地蔵さんさ野良での出来事や畑の出来具合など語っては「お地蔵さん、今年の秋の田んぼの塩梅はなんとしたもんでがすかぁ~」などと問いかけるようになったんだと。

あれだすな・・・多吾作の独り語りが日課になって結構な月日が経った頃には村の人たちもそれを知る事となって、いつの間にかお地蔵さんのことを多吾作地蔵と呼ぶようになったんだと。

ある日の事だった、と。
多吾作は「お地蔵さん、山の木ば切ったげ、材木出たもんで小屋掛けてけるっす」と言って小さな祠ば拵えたと。

小屋が出来上がって一服つけてたら、眠ったように半眼だったはずのお地蔵さんが目ば開けて「多吾作どんやぁ、オラ道ばたの地蔵だで、そげにしてもらっても何もしてやらんねぞ」と語ったんだと。
するとドデンして腰抜かした多吾作では有ったけれども気を取り直して「いやいや地蔵さん、オラ話し相手もいねし、他に愉しみ無いもんではぁ、自分我のためにしてるのっす・・・気に留めねでくらい」と語った、と。

それからだったと、多吾作が祠に立ち寄っては地蔵さんとナンデカンデ話ばするようになったのは。
地蔵さんとソンナコンナば話してると、時たま、「多吾作、あと半月もすっと霜が降りっからよ、とか、今年の夏は日照りになっから溜め池掘ったら良かんべ」などと言う話をもらって手を打つもんだから多吾作の田畑はどんな年でも豊作で、村の衆は魂消たと。

豊作続きの多吾作はずんずんと豊かになって、小金も持つようになったんだと。
んだからって、多吾作の暮らし向きには何も変わった事は無く、日々地蔵さんに参っては山仕事や野良仕事に精を出していたんだと。

あれは、ほれ、里山にも桜の花が見られるようになった頃だったべか。
多吾作が野良仕事終えて家さ帰ったれば、若い娘が上がり框に座っていて「多吾作どん、お帰りなせぇまし」と三つ指着いた、と。

いや、ドデンしたのは多吾作で「あいやぁ~、あんたは神社の祢宜様の娘さんでないかぃ・・・なんとしてこげなあばら屋に、しかも三つ指なんぞ着かれてはぁ~」と、語ったと。

「あいや、ホントは父ちゃんが来なくちゃなんねぇ話なんだども、父ちゃんはアレでも神主だもんでお地蔵さんのお告げば教えてくれろとは言えねぇんでがす。んだもんで私が代わりに来たのっす」と、娘は語ったと。

「いや、話はそればかりではねぇのっす。父ちゃんからは多吾作どんの家さおいて貰えって・・・んだから、嫁に貰ってくらいん、と言うことでがんす」と、語ったと。

多吾作は何がなんだか飲み込めずに「まんず、話は落ち着いて聞くども、白湯ば一杯くんねぇべか? んだんだ、オラ、水ば汲んで来るっす」と言って水桶担いで駆けて行った、と。

水桶の天秤棒担いだまま多吾作はお地蔵さんの祠に来て「地蔵様ぁ、こげな話になってんだげっとオラなじょしたら良かんべ?」と問うた、と。

したけど、お地蔵様はなぁ~んにも答えねぇで、普段の石の地蔵様のままだったと。
多吾作は泣きべそかいて「あいやぁ~地蔵様・・・なんして黙っちまったんだべ。良い知恵授けてくれねぇべか?」と語った、と。

「多吾作・・・嫁さん貰うんだから、もう石の地蔵と話しをしなくても良いでしょう。私は天の国に帰ります」とおなごの声が聞こえたと思ったら、石の地蔵様が薄衣纏った天女の姿になって空に昇って行ったんだと。

そんでも、石の地蔵さんは祠の中に居たんでがすと。

そんで、多吾作の言う事にゃ、お地蔵様は弁天様の仮の姿であったが、祢宜様の娘が嫁にって事になったもんで焼きもち焼いて出て行っちまったんだ、と。

しかし、多吾作は地蔵さんからのご託宣を聞く事ができねぇもんで以前のように豊作は出来なくなってしまったと。

いや、話はここまでなんだなぁ~。
また元の貧乏暮らしに戻っちまった多吾作の家に祢宜様の娘が居着いたかドーかは、誰も語らねぇのっす。

昔し語りっつうのはそう言うもんでがすとぉ~。



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